第63話「微睡みの中で(2)」

「おい。おい、ラン!」

「はい? なんでしょうかフィル」

「いや露骨に無視しただろう今」

「さて、私にはわかりかねます」

「いや待てって」


 街中でばったり出くわすということがある。そりゃもちろんある。だがその同僚を無視し、掴まれた肩を振り解こうというのはどういう了見だ。俺はそこまで彼女に嫌われた覚えはない。


 首都内部でも少々アングラな南部地下3層で、同僚であるランを見かけるというのは珍しかったから、俺は声をかけたのだ。


 お世辞にも治安が良いとは言えない地域に、まだ年若い女性が一人で歩き回るというのは良くないだろう。俺は宇宙船のパーツを求めてやってきただけだが、彼女がこんなところに用があるとは思えない。

 表情変化の乏しい彼女は、目を細めて精一杯の不機嫌さを示しながらこちらへと向き直った。少し短めの銀の髪を揺らし、耳元の青いイヤリングが見え隠れしている。


「ご用件は何でしょうかフィル。お誘いは嬉しく思いますが、私はこれから所用がございますので、後ほど改めてというわけにはいきませんか?」

「微塵も嬉しくなんて思ってないだろお前。こんなところを一人で歩いてたら危ないだろ。付き添ってやるよ」


 その俺の提案に細めていた目を見開いたランは、少しだけ逡巡したのか視線を泳がせ、やがて結論を出したのかいつものように無表情へと戻った。


「ご提案には感謝しますが、それには及びません。こんなところを二人で歩いているのを見つかったらと思うと、そちらの方が危険です」

「どういう意味だよ」


 相変わらず丁寧なのか丁寧じゃないのかわからない奴だ。所長こと叔父貴が連れて来たメンバーの中では最もよくわからない奴かもしれない。ともあれ何かと情報処理や業務の世話になっている相手だし、放っておくわけにもいかなかった。


「配慮が足りませんでしたフィル。どうかお許しを。今後、もしあなたと恋仲なのではと噂されようものなら、私の手が震えて業務に支障が出てしまいますので、どうかお引き取り願います」

「ねぇよ! いいから来い!」


 本当にどういう意味だこら。俺は強引にランの手を取って歩き出していた。先ほどランが向かっていた方向へ足を向ける。目的地は一体どこなんだ。


「まるで人攫いだなアーゲン」

「うるさい。それで、どこへ行くんだラン」

「本当についてくる気ですかフィル」

「そのつもりだ」


 様子を見ていたというか周囲を警戒していたナビがすかさず後ろについてきた。一言多いが、こればかりは昔からだから仕方がない。十年以上も稼働していればその思考回路も複雑化するのだろうし、それこそがナビの個性といえるだろう。


「これは、困りましたね。私は、所長からあなたをなるべく荒事に近づけるなと厳命されているのですが」

「……つまりこれからお前が荒事に関わるってことか?」

「はい。ですので、引き返していただけると助かります」

「どうするアーゲン。彼女の言う通り荒事だというのなら、君にとってあまり良くない事柄のはずだが」


 俺の脚が止まっていた。手を繋いだランと、その後ろについていたナビも動きを止める。荒事。争い。戦い。戦闘。そういったものを前にすると、俺はどうしても身体が震えるようになっていた。

 それは、多分自分の中にある記憶とデータの不一致のせいだろう。いつかは乗り越えなければならないことだと思う。それは、今なのだろうか。だがそれ以上に。


「それで女一人荒事に行くって言ってるのを見過ごせって?」

「良いだろうアーゲン。君がその気なら私は全力でサポートしよう」


 俺の決意にナビが応えてくれていた。もう長い付き合いだ。俺が荒事を避けて来た経緯と理由は知っている。だから、俺にとってその肯定はとても嬉しく、頼もしいものだった。

 そう一歩を踏み出す覚悟でいた俺だったが、そこへ向けられたもう一人の視線は冷たい。冷や水とはこういうことを言うのだろうか。


「盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが、フィルのナビに戦闘用ソフトは入っていないでしょうし、足手まといになりそうなので大人しくしていて貰えると助かります」

「……台無しじゃねーか。こっちは結構な決意で奮い立ったってのに」

「そのように奮い立たないといけないくらいでしたら、どうぞお引き取りを」

「ぐっ」


 真正面から否定されてしまった。俺は、守ろうとした同僚の女性相手にここまで言われるほど頼りない存在だったのだろうか。


 確かに、確かにこれまで荒事は避けて来ていたが。それでも、男として譲れないものがある。しかし、それも俺のエゴなのだろうか。確かに不慣れな素人なんて邪魔者でしかないだろう。


 だがここで彼女を一人で向かわせて良いのか。いや良くないだろう。子供っぽいかもしれないが、それを良しとしない気持ちが俺の中にはあった。

 そして、何故かそう思っていると、これから荒事と向き合うかもしれいないという恐怖が少しだけ和らいでいく。


「はぁ、わかりましたフィル。こうまで言っても帰らないのでしたら仕方がありませんね。あなたは、私が全力で守りますので。どうか大人しくしていてください」


 ランは、おそらく俺が見た彼女の表情の中ではじめての、見てわかるほどの笑顔を見せて、そう宣言していた。


 いや、いやいや守られてどうするんだよ俺。

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