冒涜との邂逅;progress

 『置き土産不良債権』、確かに奴はそう言った。元居た出版社から契約を切られ、名実ともに自称作家になり下がった俺に、かつての担当編集から示された唯一無二の生存手段。それがこの『K出版』だ。

 企業としての情報はありとあらゆる検索媒体上において皆無。出版社の看板としての文芸誌もなく、一冊の単行本も出ていない、おおよそ出版社として備えうる概念のすべてを欠いている。

その存在すらも疑われる一方で、大量の紙的資材成果物と思しき製品が某工場から他社の在庫倉庫へ数百億もの現金と交換で流れているだの、不幸な事故で作家界から消失したミリオンセラー作家たちを囲い込んで別名義で他社に売り込んでいるだの、それこそ有ること無いことの噂が飛び交っている、謎多き出版社。

 なぜ奴がそんなK出版へのコネクションを持っていたのか、結局最期まで口を割らなかった。


 今になってその理由が分かった気がする。


「君が新しい作家君かぁ…………良し、第一外部拘束解け」

 五分ほどの沈黙の後に発された、ヘルメットに仕組まれているのか、スピーカーで反響気味の澄んだ第一声と共に正味十キロほど身軽になる。

 K出版の看板がぶら下がる三階のドアノブを開けて中に入った途端、頭部に何か精密機器的なものを被せられ、数秒で拘束されたのがほんの少し前。当惑のさなかで俺は尋問のような何かを受けている。

「本名が三木晴樹、んでペンネームがHARUKI……なんというか、すっごく安直なヤツをつけているんだね。身バレとかあんまり気にならないタイプ?」

「ええ、まぁ文字書いて金さえもらえれば他は何でも良かったんで。幸いどこにでもいそうな名前だったし、そのままローマ字に」

「ステレオタイプな大衆作家なんだね。ほい、第二から五段階目までの拘束を簡易解除パージ

 自分の本来の自重とほぼ同じくらいの重しが取れて四肢に自由が戻ってくる。それでも視界だけは暗闇のままだ。

「そいじゃラスト。現在、君の視力を制限させてもらっている。その状態で頭の中に思い浮かんでいる物、光景、何でもいい。一つ極めつけってのを挙げて」

「ガッチガチに固めてた割には随分とあっさり拘束を解いていくんですね。これも心理テストかなんかですか」

「まぁそんなところ。あんまり深く考えずに、気軽に答えてみてよ」

 そんなところ、ねぇ。含みを感じる言い回しだったが、どう考えても主導権は向こうにある。迂闊な行動をとるのは得策ではないだろう。そいじゃ軽く済ませましょ。

 暗闇を視ていた瞳を閉じる。普段は絶えずとりとめのない思考を回している脳も活動を最小限に留め、無意識の中を無意識に観る。

「―――――――――滲んだ四角形、いや立方体かな。それが見える」

 俺の答えにも彼女(声音的にはたぶん女性)は何も返さない。最初の時と同様、それ以上の沈黙が流れ、空気が重くなりつつある。

 堪らず何か言い継ごうとしたその刹那。

「うーむ、図形か立体物の中間あたりが観えたってことは、二次から三次への多段階階層的干渉かな。滲んでるのは、うん、まぁ言わぬが華ってことにしておこう!」

 パチンと乾いた音がした。同時に顔面を覆っていたフルフェイスメットが夢の微睡みのごとく霧散し、光を取り戻したその先に、


精々ワンフロアの新都せかいがそこに在った。

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