同人誌に発行禁止の文字はない(代わりに刑事罰の三文字が付きまとうこととする)
「そらがあおいなー」
桜が早々に散り、青々と茂りゆく葉が学園に初夏の香りを連れてきた。
只今の日時をカレンダーに従って書き表すのならば五月の十五日。ゴールデンウイークも明け、重篤な精神病が学園全域に蔓延する頃。俺、三木晴樹の心は、この空と鏡写しであった。
普段は締め切られている(鍵が壊れているのはお約束)屋上に寝転がり、空を見上げる。
どこを見ても真っ青で雲一つない。ただ虚無だけがこの空を構成している。
そう……何もないのだ。これまで積み重ねてきた作品の数々も、これからも入り続ける予定だった
そして何より、約束されていた新シリーズもおじゃんとなってしまったのが痛い。おかげでこの春に大衆作家から
たった一度の出版差し押さえという名の発禁処分で全てがパァになってしまった。我ながらギリギリを攻めることができた気がしたのだが、いったいどれが引っ掛かったのだろう。
実妹をおいしくいただいてしまったのがまずかったのだろうか? それともラストシーンでの主人公のマッドな演説か?それとも…………
「結構候補が多いのだな……やっぱり確信犯じゃないのかい?」
「傷心気味の人間にあるゆる否定は禁忌なんだぞ……」
声音で誰なのかは九分九厘分かってしまったが、ここで聞こえなかったふりをすると後が怖い。苦虫顔で入り口のドアのほうからの声に視線を向けると、声に違わず彼女――――――波須キラコは佇んでいた。
「自分の発禁についての敗着を呟けるような人間が傷心なわけなかろう。これでも弁えているつもりさ。」
どうやら知らず知らずのうちに思考が言葉になっていたらしい。これも作家病って奴かねぇ……今は自称作家だが。
彼女はこの業界の酸いも甘いも知り尽くした古参、かつ今なお最大手だ。前半の皮肉は差し置いて、俺が一応の再起を遂げていることは事実である。
「痛い作家のモノローグは置いといて……あれからもう二か月だが、そろそろ新作を書いたりはしないのか?」
核心にキラコが踏み込んできた、そして続ける。
「あれだけ大事になったんだ、今なら『HARUKI』のペンネームを知らないものは一人も居らんだろう。故に、この機会を逃すのはお前の言うところの愚策、ではないのか?」
大衆作家の発禁、それも歴代全作の発禁という異例の事態が手伝ってか、俺の一世一代の不祥事は広域にわたり拡がった。一切の誇張なく、俺のペンネームを知らない者はいないだろう。今新作を書けば、評価の是非はともあれ、数千万部の消費が生じ、一生を投じても使い切れない額の印税が入ってくるのは明白だった。
すべての人々が、HARUKIの新作を眉を顰め怪訝な表情で批判しながら、それでも渇望している。当事者だからこそ、嫌でもその感情が伝わってくる。だからこそ――――――
「解ってる。それでもまだ駄目、なんだ」
俺は次の段階に進まない。
否、進むことができないのだ。
おそらく彼女には備わっていて俺にはない決定的なものが先への道を塞いでいる。それはきっと容易に手に入れることができるだろう。しかし手に入れた先を想像すると、それを手に入れてしまうことは容易に決断できるものではなかった。
容易であり、容易に非ざるもの。
反転した二面性がそこには在り、それを許容できるだけのナニカを持っている者だけがその領域に進めるのだ。
「そうか。ならば無理強いはせんさ」
それ故に、あの彼女もすんなりと引き下がる。今回でもう五度目の勧誘だ。彼女も半ばダメもとで来たのだろう。
また来るよ――――――
そう言い残して彼女は屋上から去り、また静寂が戻ってくる。こころなしか日の暖かみが増した屋上で改めて、
僕は空を仰いだ。
チャイムが鳴る。午前の講義が終わりを告げ、昼休憩を迎える。
遠くのほうからは勤勉な学生たちの喧騒が聞こえてくる。それは俺にとっての日常の終わりを意味する。
もうじきここも終わる。次なる安住の地へと移動をしなければならない。
さぁ、午後からは何処へ行こうか。
東西南北
上下左右
どこでも構わない。
しかしそこでなくてはいけない。
たどり着くべき場所は無限で
それでいて唯一無二の有限で。
そこへたどり着くために
この一点だけは確かであった。
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