それは私なのですか?
ゆたりん
私は私、あなたはあなた
会話でもなんでもコミュニケーションしてるときに、こっちの意思確認をすっ飛ばして勝手に話を進めてしまう人が結構いたりする。他人がなに考えてるのかなんて分かるものじゃないからある程度はしょうがないのだけど、どうにもそれが極端。会話の部分部分から定型的な人物像を組み上げて、それを元に構築した脳内人格と会話している感じで。
自分が普通であると自覚している人ほどそういうコミュニケーション方法を取っているような感じがする。確かにそういう者同士がコミュニケーションするときはお互いが普通であるという前提を持っているので、おそらく会話はスムーズに進行するんだろう。普通という共通認識を常にアップデートしていけば、常にスムーズな会話をすることが出来る。テレビやネットで同じ番組、同じサイトを見たりして共通の話題を集めるっていうのもその一環なのだと思う。
しかしそれは一体何を相手にコミュニケーションをしていることになるんだろうか?
ビジネスや一般的な日常会話はともかくとして、1対1や密なコミュニティでの対話ではそういったコミュニケーションでは齟齬が生まれてしまうと思うのだけど。
最近はいろんなものが形式化して来ている。普通であることを求める声もよく聞く。確かに毎日決まったやり取りや受け答えをすることで安心は得られるとは思う。けれどそれでは相手のことをちゃんと見るような社会では無くなっていっているように思える。
あなたが見ている私の姿、それは本当に私なのですか?
そして普通であると自覚しているあなた、それは本当にあなたなのですか?
それは私なのですか? ゆたりん @nirakuyu
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