第31話悩みのなかでの活路

 俺は、部屋のなかで自分が死にかけたことを思い出す。


 自分の腹にグレイの髪の毛が突き刺さり、痛みでなにも考えられなくなった。あのときの俺は、死が怖いというよりは痛みから逃れたがっていた。


 あの痛みから逃れられるというのならば、死だって救いだった。


 それでも、今は死が怖い。


 そして、痛めつけられるのも怖い。


 シロはこの恐怖にさらされても、戦い続けられている。


 イバラもモニカも、恐れていない。


 俺だけが、恐れて戦えない。


 ……いや、今までもずっと恐れていた。いつかは克服できると信じて、タイムリ

ミットを引き伸ばしていただけだ。カミサマに、殺されたくなくて。


 今でも、殺されたくない。


 死にたくない。


 でも、そのことを理由にして戦うことも出来ない。


 ――なら、英雄殺しなんてやめたら。


 俺の耳元で、紅お嬢様の声が聞こえるような気がする。


 だが、その声は幻だ。


 彼女――彼がこの世界にいるわけなんてないし、もしかしたらもう生きていない

かもしれない。


 ――英雄殺しなんていなくても、ぼくたちは自分たちの力で英雄を排除できるこ

とだってある。英雄殺しなんていらない。


 紅お嬢様は、赤のときの口調で俺に甘く語りかける。


 だが、俺がここで諦めればカミサマにシロまで殺される。


 ――私と父を救ってくれなかったのに、どうして自分たちは救われようとする

の?


 リーシャの声が、俺の耳元でささやく。


 俺たち英雄殺しを、リーシャは優しい声で責める。


 ――私は、英雄を殺してくれない英雄殺しを許さない。


「簡単に、殺せるわけないだろ!」


 俺は叫んだ。


 あんな痛みを他人に味合わせられるわけがない。


 死に至る、あの痛みを――死を甘受するほどの痛みを……誰かに与えられるわけ

がない。


 ――英雄殺しの果てには、希望に裏切られた絶望しかない。


 最後に語りかけてきたのは、グレイという名になったシロの元の人格だった。俺

の家の定食屋に訪れた美大生の姿で、彼は口を開く。


 表情が乏しく、全ての事柄に絶望した男の声。その声が、シロのような言葉で俺

に絶望を語る。それはまるで、シロが俺に絶望を語っているかのようであった。


 ――たとえ、何かに希望を見出しても……英雄殺しは必ず裏切られる。だから、今ここで死ぬべきなんだ。


「……違う」


 俺は、すべての声を否定する。


「俺は殺したくないし、死にたくない!なんで、そんなシンプルなことが叶わないんだよ!!俺は、死にたくない!」


 叫ぶ、俺の望みを肯定してくれる人間は一人もいない。


 俺とであった人々全員が、英雄殺しと俺を責める。


 ――無理、なら大丈夫。


 最後に聞こえたのは、シロの声だった。


 ――自分一人で――殺せる。


「そう……じゃない」


 俺は、シロの手を握りたかった。


 握って、彼の歩みを止めたかった。


 そうでもしないと、シロは立ち止まることなく、どこかへ行こうとする。それが間違った道でも、平気な顔をして進もうとする。


「俺は、おまえを一人で戦わせたくない。お前に殺して欲しくもない!」


 その願いは、叶わないだろう。


 シロは誰かを殺し、殺さなければもっと死ぬ。



「俺はずっと……おまえに」


 平和に過ごして欲しかった。


 誰も殺さず、誰にも殺されず。俺のいた世界のようにただの美大生として生きて

欲しかった。平和に平穏に生きて欲しかった。


 だが、それはできない。


 シロは英雄殺しとしてデザインされて生まれてきた存在で、それ以外の道がな

い。シロは英雄と同じように、救われない存在だ。それでも――俺はシロに幸せに生きて欲しい。


「シロ……お前は殺すな」


 殺すな。


 殺すな。


 どうか、殺すな。


 幸せに生きるために、どうか殺すな。


「シロ……殺すな」


 たぶん、俺が聞いているものも見ているものも全てが夢だ。


 そう――夢だ。


 でも、俺の思いだけだが本物だ。


「なに、マイナス思考におちいっているんだ」


 俺の背中を叩いたのは、イバラだった。


 シロたちと一緒に出て行ったと思ったのだが、彼女だけこの部屋に戻ってきたらしい。


「……私には、グレイの気持ちが分かる。英雄殺しになんて、救いはないって私も思っている。でも、その考えを他人に強制的に押し付けるのは嫌いだ」


 イバラは、言う。


「シロは、まだ英雄殺しには続けるだろう。そのことを私は否定はしないし、シロを殺そうとするグレイは気に入らないから止める。私たちの行動原理はそれだ。クロ……シロから聞いたけど、お前は英雄殺しに向いていない。私やシロの前の人格のように、お前は英雄を殺すということに一時でも誇りや遣り甲斐は見出せないだろう」


「でも、俺がやらないとシロが!」


 俺は、イバラに対して怒鳴っていた。


 どうしようもないほどに、追い詰められていたのだ。


「その、俺がやらないと全部が駄目になるって考えは止めろ!」


 イバラも怒鳴った。


 俺は、呆然とする。


「私が逃げたら、カミサマは代わりを作った。クロ、お前は逃げられないようにがんじがらめにされているみたいだが、結局のところは替えの効く部品に過ぎない。だから、逃げていいし、やんなくていい」


 イバラの目は、真剣だった。


 俺はその目に、呆気に取られてしまう。


「でも、俺が逃げたらシロがカミサマに殺され……」


 俺は、はっとした。


 そして、イバラを見た。


 とても……とてもいい方法が思いついたのだ。


「誰も死ななくていいし、殺さなくていい方法がある」


 俺の言葉に、イバラは首をかしげた。


「そんな夢みたいな話があるわけないだろ」


 俺の言葉を、イバラは否定した。


 だが、俺は力強く肯定する。


「この世界では、あるんだ。ちょっと、力を貸してくれ。奥村に接触する」

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