第30話モニカのスキル

 目が覚めると、俺はベットの上にいた。

 

 この世界に来て初めて目覚めた部屋で、俺は「ああ、よかった」と胸をなでおろした。シロの偽者に、自分の腹を破られる夢を見た。あまりにリアルだったので、俺は安心するために自分の腹部をなでる。

 

 そのときに、気がついた。

 

 俺は、この世界の平均的な衣服を着ていない、代わりに来ているのは、ゆったりとしたパジャマのような服だ。ボタンは一切なく、紐がついていてソレで左右の袂をあわてる。

 

 俺の世界の病院に入院するときの服も同じような感じだったと思う。病院は縁遠かったから、違うかもしれないけど。


「これって……」


 俺は、ベットから降りて窓の外を見る。


 外では――この世界では日常的なことだが――車が浮いていた。そして、眼下に広がるのはSF的な近未来都市。


「さっき見ていた夢の完全再現なわけがないよな……」


 目の前の現実は、あまりに夢に似すぎている。


 だったら、答えは一つ。


 夢のほうが、現実なのだ。


「俺は……俺は、腹を」


 ドアが開かれる。


 俺は、そちらを振り向いた。


 そこには、シロがいた。


 この世界で平均的な体にぴったりフィットするダイバーみたいな服の上に、踝まで届く白いケープ。この世界の出身だけに、よく似合っている。今のシロは、地球を侵略しにきた宇宙人みたいに見えた。


 だが、泣きはらしたような赤い目が近未来的な服装には不似合いだった。


 シロは、じっと俺を睨みつけていた。随分と長いこと、そうやっていたような気

がした。


「しっ……死んだかと思った!」


 やっとのことで、シロは言葉をひねり出す。


「どっ、どうしたんだ」


 俺は、どうしてシロが泣きそうな顔をしているのかが分からない。


 シロは涙を零しそうな目をこすって、俺に向かい合う。


「死んだかと思った!!」


「それはもう聞いた!!」


 俺が怒鳴ったせいなのか、シロは涙ぐむ。


 そして、俺を殴った。


「死んだかと思った!!」


「三度目はさすがにくどいぞ!」


 シロ相手では、俺に何があったのかが分からない。


 シロはシロで、泣きそうだ。


 その顔は、シロの実年齢よりもはるかに幼い顔だった。


「……なにが、あったんだよ」


 たずねてもシロは何も言わない。


「大怪我したのは、覚えている?」


 声が響く。


 部屋に入ってきたのは、イバラだった。


「大怪我って。やっぱり俺は腹に……」


「そう、偽者のシロに一発やられた。でも、私とモニカであなたたちを一度過去に

連れてきたの。あなたの治療をすぐに出来そうな世界だったし、偽者のシロから逃れるには最適の手段だったわ。なにせ、モニカの世界観移動は時間さえも飛び越えられるからね」


「時間の飛び越えは、そう簡単なことじゃない。これで、百時間の休憩の必要だ」


 イバラの後に続いて部屋に入ってくるモニカには、少しばかり疲労が見て取れた。どうやら異世界を渡ったり、時間を移動するのはモニカの負担が大きいらしい。あるいは、時間の移動だけがモニカの負担となるのか。


「ここは……偽者のシロが現れる三日前の時間だ」


 モニカの言葉に、俺は驚く。


「本当は一ヶ月前に飛んだが、おまえの治療に思ったより時間がかかった」


 俺は、自分の腹をなでる。


 病衣をめくりあげると、俺の腹にはうっすらと傷が残っていた。


 それで、ようやくぞっとする。


 俺は、死に掛けたのである。


 イバラとモニカの話によると、俺は偽者のシロに腹を貫かれた。このままでは俺がシロの偽者に殺されると察したイバラとモニカは、俺とシロの過去の世界へとつれてきた。


 ちょうど一ヶ月の前、シロが生み出された世界に。


「ちなみに、執刀医は私だったから」


 いきなりの、リサの出現に俺は驚く。


 シロの生みの親の一人と言っていたから、てっきり研究員の一人だと思っていたがリサは医者だったらしい。


「久々の手術だから痕は残ったけど、他の人間にやらせると色々と面倒だったから」


「面倒?」


 俺はその言葉に、疑問を感じる。


 俺の疑問に答えてくれたのは、モニカだった。


「俺たちは、本体ならば三日後にこの世界に来る。それが正しい、この世界本来の時間の流れだ。それを極端に変えれば、この世界を殺すことになりかねない」


 俺たちが今この世界にいる情報を極端に制限すること。


 それが、モニカの時間移動にまつわる制限の一つのようだ。


「俺たちが、この世界にいると周囲に認識されることからまずい。だが、おまえの治療のために医者を頼らなければならなかった。シロも負傷していた」


 モニカの言葉に、俺は納得した。


 俺はともかく、シロの治療をできる人間はたぶん少ない。


「だから、人間もシロも治せる私にお呼びがかかったってこと」


 リサは、自慢げに微笑んだ。


 彼女が、シロの治療をしてくれたのは行幸であった。


「俺がこの世界で最初にリサに会ったとき、もうリサは俺に会っていたのか?」


 俺の疑問に、モニカは首を振る。


「違う。おまえが最初にあったこの女性は、おまえを知らない。どう説明してよいものやら……」


 戸惑うモニカの肩を、リサはぽんと叩いた。


 その顔は、どこか得意げであった。


「タイムパラドックスが生じたことによって、パラレルワールド化したんだよ」


 つまりは、俺たちが過去に来たことによって未来が分かれてしまったということか。

 

 俺と最初に出会ったリサは俺たちと初対面だったが、今顔を合わせている時間軸のリサは俺たちと出会っていたというふうに物事が変わってしまったのである。

 

 このようなことを繰り返せば世界を殺す原因になりうるし、当然のごとく今の時間軸にいる自分たちとの接触もできない。

 

 

 俺が納得した顔になると、モニカはますます首をひねった。


「その説明で分かることが、分からない」

 

 ふふーん、とイバラは鼻を鳴らした。


「機械に囲まれたこの世界の暮らしにあまり戸惑わず、自然あふれるリーシャの世

界で戸惑っていたクロの行動を見ていれば、どれぐらいの科学的進歩があった世界から来たのかは予測できる。たぶん、クロはそれなりに科学が発展した世界からやってきた。科学の進歩は思考の進歩でもあるから、クロの時間の概念はそれなりに複雑化している。だから、クロは私の言う単語の意味を理解できる。リーシャの世界よりも自然に密接した暮らしをしていたモニカが、私たちが理解している概念を理解しろというのはかなり難しいことね」


「……時間は過去から未来へ流れるだけだ」


 リサの説明を聞いていたモニカは、フードをかぶっていても分かるぐらいに疑問符を浮かべていた。時間を操るモニカが、一番時間について単純な考えをしているというのもおかしな話ではある。


「どうして、俺を助けたんだ?」


 俺は、イバラに尋ねた。


 偽者のシロが現れたときは、俺たちは共闘した。だが、それはほとんど成り行き上のもので、時間を行き来きしてまで助け合う関係性ではない。


「だから、あなたのことを嫌っているわけじゃないっていったでしょう。それに、あの偽者のシロは――英雄殺しの記憶を持っているから苦しんでいる。放ってはおけないわ」


 イバラは、ぎゅっと拳を握り締めていた。


 英雄殺しから逃げたイバラには、偽者のシロの気持ちが一番分かるのだろう。


「そういえば、今現在の偽者のシロの状況はどうなんだ?」


 俺の言葉に、イバラは「生まれていないわ」と答える。


「偽者のシロは、この建物で奥村という政治家の依頼で作られている。すでに肉体も出来ていて、元のシロの人格とシロの記録をもったまま目覚めるのを待っている状態よ」


 イバラの説明に、俺は疑問を覚える。


「どうして、前シロの人格だけじゃないんだ。前の人格だけでも、十分だっただろ」


 正直は話し、シロの記憶というのは蛇足だと思ったのだが。


 俺の質問に答えたのは、リサだった。


「元の人格のみだと、目覚めた瞬間に自殺するという可能性があった。だから、シロの記録の複製を移植することで、それを抑えるつもりだったの」


 シロの記憶で元シロの人格の記憶を客観的にし、絶望を和らげようとしたようだ。だが、偽者のシロを見ているかぎり、その実験はまったく成功していない。偽者のシロは、自分の本来の肉体を処分しようとしたのだから。


「戦うことを第一に考えて作って見たけど、そんな副作用がでるとは思わなかったわ。今から、処分するのは駄目なのよね?」


 リサの言葉に、俺はあっけに取られた。


 彼女はシロの生みの親だし、偽者のシロに対してもそうだ。なのに、こうも簡単に処分という単語が出てくるとは思わなかった。


「俺たちのことを知った上での行動は控えろ。それによって、世界が死ぬ可能性がある。忘れられているようだが、私のスキルも英雄のものだ。油断していると、この世界を殺すぞ」


 モニカの言葉に、リサはため息をついた。


 彼の時間移動を頼り未来を修正するという行動はできないらしい。たしかにモニ

カの能力は英雄のもので、彼自身にも世界を殺せる力はあるのだ。


「なぁ、リサ。あんたにとってシロたちは、替えがきく実験動物みたいなものなのか?」


 俺の疑問に、リサは答える。


 その声は、冷静だった。


「そうよ、クローンなんだから当たり前でしょう。カミサマの依頼や奥村氏の依頼を受けたのも、戦闘用のクローンがこの世界の歴史を大きく塗り替えると思ったから。私は世界が驚くようなクローンを作り出したいとは思っていても、世界を殺したいとは思っていないわ」


 この世界に住むリサの常識を、俺の常識と良心では測ってはいけない。


 だが、奥村氏がクローンを兵士として実践へと投入し、そこでクローンが人権を得る足がけになればいいと思ってしまった。世界は殺されるのかもしれないが、人として扱われないクローンを黙って見ているよりずっと良いと。


「あれは……偽者の自分じゃない」


 口を閉ざしていたシロが、ようやく口を開いた。


 俺は、その言葉を誰よりも真剣に聞いていたと思う。


「前の人格の自分も本物で、今の自分も本物で、前の人格と今の自分の記憶を持つ自分も本物だ。だから、呼称は「偽者のシロ」ではなく「第三のシロ」が妥当だと思う」


「お前は、ビールか何かか!!」


 真剣に聞いていて、損したわ!!


 全員が違う話をしているときに、おまえは呼称のことをずっと考えていたのよ!


「まぁ……たしかに偽者のシロというのはあんまりね」


 イバラは、こほんと咳払いをする。


 たしかに呼びづらいし、他人に説明できない。


 イバラも俺と同意見であったらしく、口を開く。


「凝った名前を考えるほど相手を知っているわけではないし、ここはグレイという呼称にしましょう」


 俺とシロの間みたいな名前だが、こんなことに時間を割いている場合でもない。俺たちには、緊急を要する課題があった。


「さて、私たちはグレイを倒せるかね」


 イバラの言葉に、全員が黙り込む。


 俺たちは、全員がグレイに負けた。


 時間の流れに逆らうことで俺たちは逃げられたが、三日後にはグレイが目覚める。俺たちは、グレイと戦わなければならない。グレイと戦い、奥村を倒さなければ、シロの世界は死んでしまう。だが、勝つ自信はどこにもない。


「グレイの肉体は、シロより強化してるわ」


 リサの情報に、俺はため息をついた。


 どうりで、シロがまったく歯が立たないわけである。


「戦う方法を考える前に、尋ねたい」


 シロが、俺の顔を覗き込む。


「クロは戦える?」


 その問いかけに、俺は息を呑んだ。


 イバラとモニカは、驚いたように俺を見た。


 俺は、すぐには答えられなかった。戦えると信じていたのだ。だが、死に掛けた後では軽々しく「できる」とは言えない。


 怖い、と思う。


 あの痛みが、恐ろしい。


 死ぬかもしれないほどの痛みが、ものすごく恐ろしい。


 あれを怖がっている俺は、たぶん戦えない。


「俺は……」


「無理、なら大丈夫」


 シロは、俺に手を伸ばす。


 だが、伸ばされた手は結局はどうすることも出来ずに下げられた。


「前の人格の自分は、誰かに失敗を許して欲しかった。だから、世界を殺したのに身勝手に『ごめんなさい』と言えた。今なら、ただ許して欲しかっただけなのが分かる」


 シロは、顔を伏せる。


 俺の世界が壊れたとき、シロの前の人格は「ごめんなさい」と言った。


「それだけだったのに、クロはカミサマに選ばれた。……だから、許さないでいい。今回はイバラたちがいるし、次からは一人で戦える」


 シロは、俺から離れる。


 ずっとお前は一人で戦ってきて、俺は見ているだけだったじゃないか。


「シロ、俺は……」


 言い訳のような言葉は出てきても、後が続かない。


 シロは俺の心が分かっているかのように、もう振り向かなかった。

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