第25話アイスクリーム正義
俺は、とりあえずリサからこの世界のことについて聞いてみた。
英雄が救いそうな事件やあるいは救われたと思われる出来事があるかもしれないと思ったのだ。だが、リサからの答えは「そんなものはない」というものだった。
「良くも悪くも、劇的なことはなかったと思う。ここ数年で戦争が終結したって話も聞かないし」
リサの話を聞きながら、俺はコーヒーを飲んだ。
随分と久々な味で、俺はほっとしていた。この世界の飲み物の充実っぷりはすばらしく、コーヒーだけで何百の種類があった。むろん、紅茶にもコーヒーと同じように何百通りの種類があり、ジュース類も豊富だ。逆に食事には手をかけないようで、サプリメントみたいな錠剤が食事なのだという。
「伝染病が発祥したとか、不治の病の治療法が見つかったとか」
「聞かないね」
この世界にも、ネットと同じようなシステムがあった。
調べるのは随分と楽だが、発展した世界では常に技術革新があり、なにが英雄の所業なのかがとても分かりづらい。
「とりあえず、シロが治るまでは動けないんだから気長に調べてみたほうがいいかもね。君が目覚めた部屋をしばらくは使っていいよ。君の指紋でドアが開くように設定しておいたから」
リサは、俺にいくらかの資金も融通してくれた。
彼女はいつもシロの面倒を見てくれているお礼と言っているが、面倒を見られているのは俺のような気もするので使いづらい。だから、最初に買うのはシロが欲しがっていたものにしようと思った。
俺は、シロが休んでいるビルを出た。
どうやらこの世界では、歩行者が地上を歩き、車が空中を飛ぶのが基本の交通ルールらしい。道行く人々は、俺と同じくケープを羽織っている。防寒やお洒落のためというよりは、一種のマナーのようだ。道端でケープを脱ぎ捨てた子供相手に、母親が怒っていた。
「うわ、めっちゃキラキラしてる」
そして、このケープ。
階級や年齢、性別などで色やデザインが分かれているわけではないらしい。そのため、町を歩くとスパンコールで全身を飾り立てるコーディネイトや虹色に輝く布を使ったケープなどが目を引いた。だが、着ている人間は総じて若かったのでパンクファッション的なものだったのかもしれない。
俺は、この世界のスーパーマーケット的なものを探す。
だが、食料が錠剤の世界のスーパーは、俺からしてみれば薬だけしか売っていないドラックストアであった。その隣にあったドリンクショップでは、牛乳や砂糖、バニラエッセンスといったものが売られていた。内装は、俺の世界でいうところのコーヒーショップに似ている。ただし、注文方法はもっと複雑だ。
カップの大きさを選べるのはもちろん、コーヒーの上に乗せることができるクリームの種類あるいはコーヒーに混ぜるスパイスの量なども自分で決めることができるようだった。さらにコーヒーの濃さまでも選択可能なので、もういっそのこと自宅でコーヒーを入れたほうが注文するより早いような気がしていた。
牛乳やバニラエッセンスは、ぜんぶコーヒーのカスタマイズに使うのだろう。必要なもののなかで、俺は砂糖だけは多めに買い込んだ。
また調味料がない世界に飛ばされたら困る。
塩はあるかとたずねると、経口補水液の作り方と一緒に売られていた。この世界
では、塩は熱中症対策ぐらいにしか使われていないらしい。
ビルに戻ってから、俺は職員に氷をもらう。
必要分だけもらって、あとは買ってきた材料を適当に混ぜた。
リサは俺がやりたいことに気がついたらしく、コーヒーショップで買えたのにと笑った。そういえば、冷たいコーヒーとかの乗せる飲みかたもあったのだ。自分で作ろうと思う前に、ちゃんと店員に聞けばよかった。
しっかりと目張りした缶を二つ作った。
一つには氷と塩。
もう一つには、牛乳、砂糖、バニラエッセンスを入れた。
そして氷と塩の入った缶に、牛乳とか砂糖とかを入れた缶を入れる。足でその缶を転がしながら、俺は荷物をチェックする。
俺が目覚めたときに置いてあった、鞄。
たぶん、リーシャの世界で一度壊れたからカミサマが直したのだろう。新品のように綺麗になっていた。なかには硬いパンと味のしないグミみたいな食感の実、紅お嬢様の世界で拾ったナイフ。そして、最後に出てきたのは厳重に蓋をされた小瓶だった。なかに入っているのは黒く、ラベルが張ってあった。
――毒血。
その表示に、俺は息を呑む。
リーシャは俺たちの目の前で自殺し、覚えていないがその返り血を俺もいくらかは浴びたのだと思う。カミサマは、それすらも俺が得たものだとカウントしてくれたらしい。ただ、そのまま持ち運ぶのは物騒すぎる代物なのでサービスはしてくれたみたいだが。
俺は、毒血を含めた荷物を全部しまった。
毒血が見えなくなると、少し落ち着く。まだ足で転がしていた缶を開けるには早すぎるので、俺は与えられた端末で情報収集することにした。俺の世界にもあったフマホみたいなものが、この世界でも普及しているらしい。
考えることは皆同じらしく、この一台が身分証にもなり電話にもなり財布にもなる。そのスマホもどきで、ネットを覗き見るがやっぱり英雄がかかわっていそうな事件はない。そして、気になったこともう一つ。
「なんか臓器がお手ごろ価格で売られてるし……」
俺の倫理観としては結構とんでもないことだが、心臓やすい臓やらの内臓がネット上で売られていた。俺がいた世界の科学技術では内臓移植というと他の人から融通してもらうのが一般的だったが、この世界ではクローン技術が発展している。臓器だけのクローンとかも、可能なのかもしれない。俺の世界でも、そんな研究がなされていたらしい。
そうやって、俺は自分の中の倫理観と折り合いをつける。
もう少しネットで情報を集めようとネットサーフィンをしていると、どうみても十八歳以下のお子様お断りなサイトに行き着いてしまった。
間違えた、と俺はページを閉じようとする。
そのとき、ふとサイトのうたい文句が引っかかった。
どこよりもクローンが安い、というポップな字体。
クリックしてみると、どろりと死んだ目をした女の裸体と値段が網膜に焼きつい
た。
どうしようもない嫌悪感に、吐きそうになる。
リサは、この世界のクローンには人権がないといっていた。だから、こういうこ
ともありえる。価値観が、俺の世界とはまったく違う。だから、嫌悪しても文句は言うなと俺は必死に自分自身に言い聞かせた。
足の平に当たる冷たい缶の感触が、心地いい。
俺はできるだけ、そっちに意識を集中させた。
たぶん、もうできたはずだ。中身を確認するより、この缶の滑稽さをシロに見せてやりたかった。この方法、知らなければきっとびっくりするだろう。
俺は部屋を出て、シロのところに缶を持っていった。シロが起きている確証はなかった。それでも、この缶をもっていってびっくりさせたいという気持ちが上回った。
シロが寝ている部屋に、俺は向う。
知らぬうちに、俺は走っていた。なんとなくだが、生まれてはじめてセミの抜け殻みつけたときのことを思い出した。あのとき、俺はそれを父親に見せようと思って息を弾ませながら走った。一刻も早く、俺は父親にセミの抜け殻を見せたかった。だって、それがこの世で一番面白いものだと思ったから――だから、見せたかった思いを覚えている。
けれども、セミの抜け殻を見た父が何と言ったかまでは覚えていない。
シロは、部屋で寝ていた。
やっぱりという気持ちがあり、俺は何にもない床にへたり込んだ。それでも、はいずるようにしてシロの側に行く。シロの寝顔を見た俺は、少しほっとした。
シロの寝顔は安心しきっていて幼く、人間のものだった。
その事実が、俺を安心させる。
「クロ……?」
シロが、目を開けた。
「あっ、悪い。起こしたか?」
「気配がした……」
シロはぼうっとしていて、微妙に会話がかみ合っていない。
それでも体を起き上がらせると、シロは俺を見て首をかしげた。
「顔色が悪い」
シロの言葉は、意外だった。
俺は自分の頬を引っかきながら、苦笑いする。
「お前のほうが、悪いだろ」
治療中の人間に心配されるほど、具合が悪いわけがない。
それでもシロは、俺の顔を覗き込む。
今のシロの顔色は、本当に真っ白だ。今まで気がつかなかったのは、髪のほうが白くて顔色まで目が行かなかったからだろう。
「それより、シロ。いいものもって来たぞ」
俺は、シロに缶を持たせる。
冷たい感触に、シロは驚いていた。
「アイスか?」
すぐに言い当てたシロに、俺はちょっと悔しい思いに駆られた。
「ちっ……作り方を知ってたか」
材料を缶に入れて、その缶を氷と塩を入れた缶に入れる。それを蹴ったり振った
りし続けるとアイスができるのだが、材料費や労力を考えるならば買ったほうが手軽である。俺もこの世界でアイスの購入が可能だと知っていたら、作らなかった。
だが、シロは缶を若干楽しそうに振っていた。
もうすでに食べられるぐらいにはなっていると思うのだが、缶を振ることをシロは楽しんでいるようだった。その気持ちは、実はよく分かる。缶を振って自分でアイスを作るという作業は、面倒くさいながら抗えない魅力的な遊びでもある。
「もういいかな」
とシロは呟いて、缶を開けた。
予想通り、缶の中ではアイスが出来上がっていた。
「……すごい」
シロは、感動しているようであった。
「そんなに驚くことじゃないだろ。知らなかったわけじゃないんだし」
「知っているのと経験するのとでは、ぜんぜん違う。こういうやり方でアイスが出来るという方法は自分は知っていたけど、それは所詮は知識。だから、実物を見るとすごく楽しい」
アイスも食べれる、とシロはスプーンを構える。
皿に移さず、シロは缶のままアイスを食べ始めた。
俺は食べる気なかったからいいが、シロの行動は完全に一人っ子のものだ。妹の雪だって、まず最初に俺に分けてくれた。……そういえば、シロって俺が英雄殺しになるまでに一人だったんだよな。物をわけあう、認識がないのも当然なのかもしれない。
そんなことを思っていると、シロは俺に缶を差し出してきた。
ぽかんとしていると、シロは「食べるだろ」と言う。
「ああ、ありがと」
俺は、缶を受け取った。
そして、シロが思い出したように呟く。
「あっ、この世界は皿があったんだった」
「お前……皿がない世界だと勘違いしてたのかよ」
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