第17話発病と手助け
しばらく馬を走らせるのは、俺にとってはかなりの苦難だった。
シロがどうやっていたかを思い出しながら、恐る恐る命令を出す。馬はその全てに従ってくれたが、俺自身の指示が間違っていたせいで何度も馬に振り落とされそうになった。
なにより、心配だったのがシロの様子だ。
体温が高すぎるし、時間が経つごとにぐったりしていく。
今のシロは、俺の胸にもたれかかって気絶するように眠っている。
何度か起こそうとしたがまったく起きず、俺もあきらめて眠らせている。それでもシロの髪は俺の体から離れず、今でも胴体に絡みついたままだった。とりあえず、休める場所を探さなければならない。
雨風が防げて、水が確保できる場所。
高熱にうなされるシロには、そういう安全な場所が必要だった。
何時間もさまよって、俺はようやく森のなかに洞窟を見つけた。とりあえず、雨風は防げそうである。俺は、ものすごく慎重に馬から下りた。少しでも油断すると、シロまで落馬するからだ。
馬から下りた俺は、シロを慎重に馬から下ろそうとした。
だが、思った以上に重かったシロに俺の腕では支えきることができなかった。シロは馬から落ちて、俺は下敷きになった。
「いってー」
だが、こんなふうになってもシロは起きなかった。
触っている感じでは、シロの熱は上がり続けている。三十八度以上の発熱だと思う。これ以上、熱が上がったらまずい。とりあえず、頭だけでも冷やさなければ。
俺はシロを洞窟の置くまで運ぶと、再び馬に乗った。
シロを頼らないで乗馬したせいか、だいぶ馬の乗り方は上手くなったと思う。
森のなか散策したが、動物や人間は見なかった。随分と自然が豊かなのに、動物が少なすぎるような気がする。そして、森の実りも少なかった。暖かい気候なのに、木の実も果実もほとんどない。
こういうのを植生が乏しいというのだろうか、と俺は思った。
「これ、食えるかな?」
森で唯一見つけたのはドングリのような実だった。だが、形は似ているが指で摘まんでみるとグミみたいな硬さだった。半分だけかじって見ると、食感もグミみたいだ。
だが、甘さはない。
無味無臭で、食感だけグミ。
美味しくなかった。
毒はなさそうだ。
俺は見つけたドングリのような実を集めて、今日の夕食にすることに決めた。シロがいたら魚とか鳥とかを髪の毛で取ってくれたのだが、残念ながら俺ではこれで精一杯だ。
しばらく歩くと、小川も見つけられた。
俺は、自分のベストを脱いでそれを水に浸した。
革のベストは水をはじいて、思うように水を吸ってはくれない。
それに、ここには水筒もなにもなかった。
シロのところに、水を持っていくことも出来ない。俺は無理やりベストで折り紙みたいにコップの形を作ってみるが、この形を保ったまま馬に乗ることは出来ないだろう。
俺の持っているものは、ナイフ一本だけ。
これでは、何も出来ない。
「日本だったら、竹でコップを作れるのにな」
だが、たとえ俺は日本で遭難しても竹の生えていた場所なんて知らなかった。
仕方がなく、俺はシャツも脱いだ。昔のアニメ映画で見たやり方だ。そのときの主人公は新品のシャツを使っていたが今は仕方がない。俺はシャツを水につけて、それをベストでくるんだ。
馬に再び乗って、シロを寝かせてきた洞窟に戻った。
シロの熱は、上がっている。
俺はぬれたベストをシロの額に乗せて、彼の唇にぬらしたシャツの水滴を落とした。シロの状態はインフルエンザとかに症状はよく似ているが、こんなにいきなり悪くはならないであろう。
シロの回復を待つべきなのである。
だが、ここには薬もない。
食料も十分にない。
水さえも満足に運べない。
これでは、いつかシロが死ぬ。
「せめて解熱剤があれば……」
たぶん、この世界にも薬草みたいなものはあるのだと思う。
だが、俺はそれを判断できない。
俺は、つんできた木の実を食べる。味がしなくて、まったく美味しくなかった。せめて砂糖でもあれば煮詰めて味をつけられるのだろうが、俺は調味料もなにも持っていない。
「カミサマ。おい、助けろよ!」
俺は天に向かって怒鳴ったが、カミサマはやっぱり答えてくれなかった。
シロの側で休みつつ、俺は今後のことを考える。
あのリーシャという少女が、英雄なのだろうか。だとしたら、なぜ英雄殺しという存在を知っていたのだろうか。シロの熱は、あの少女とのキスのせいなのだろうか。
「たしか、毒血って言っていたな」
この世界の英雄のスキルだ。
カミサマも言っていたが、あんな女性が世界を救って殺せるのだろうか。シロの容態を見る限り、毒血というのは自分と接触したものにインフルエンザのような症状を発祥させる能力だ。
この世界の医療レベルが低いのならば厄介な能力だが、身体への接触が発動条件ならば恐れるほどの能力ではないような気がする。もしかしたら、このあと仲間に徐々に風邪の症状が広がっていくのかもしれないが。
「ここだったか」
知らない男の声がして、俺は思わず鞄からナイフを取り出した。
ナイフなんて使ったことがないが、丸腰でいるよりもずっとマシであろう。
「おちつけ、俺は敵じゃない」
洞窟を訪れたのは、フィルだった。
村で一番最初に話しかけてきた男だ。
金髪の美しい男は、腰に剣を刺していた。俺のナイフよりもずっと長くて、よく切れそうである。だが、フィルは持っていた鞘のついた剣を地面に置く。
「君たちが英雄殺しだとは知らなかったんだ。薬を届けにきた」
フィルは、腰から草を取り出した。
どうやら、それは薬草らしい。
「熱を下げる薬だ。一時的にしか効かないけど、ないよりはマシははずだ」
「ど……どうして、ここが」
俺はナイフを構えながら、フィルに尋ねた。俺の声は上ずっていて、フィルのほうが武器を持っているみたいだった。
「馬の足跡をたどった。俺たちには簡単なことだ」
村は畜産を営んでいる。
動物の足跡を追うことは、きっと簡単だったんだろう。俺はここまで来るのに必死すぎて、足跡のことまでは考えなかった。
「さっきは俺たちに武器……農具を向けたろ。信頼はできない」
俺はそういうと、フィルは残念そうな顔をして肩をすくめた。
綺麗な顔にごまかされていたが、その腕には筋肉がついている。俺よりも立派な力瘤ができる腕は、簡単に俺を押さえつけることができるだろう。
「あれはリーシャ様がいたからだ。村人は、リーシャ様を尊敬している。あそこで、リーシャ様の命令に背くことはできなかった」
フィルは背負っていた鞄のなかから、さらに麻袋と革で作られた袋を取り出した。
革の袋のほうは、どうやら動物の胃袋で作った水筒らしい。麻袋に入っていたのは、パンだった。
「食料に水、薬。ここまで届けたんだから、信頼してくれ」
フィルはそう言うが、彼が持ってきたものに毒が入っていないとも限らない。
リーシャの能力には、殺傷能力がない可能性もあった。だから、こうやってフィルが止めを刺しにきたのかもしれない。
「信用してくれないのならばしょうがない」
フィルは、自分で持ってきたパンや水、ついでに薬になるらしい葉っぱまで食べた。
毒性はないとアピールしているらしい。
俺は、食料と薬をフィルから受け取った。
正直な話、これがないと俺ではシロの面倒を見れない。
「お前は、あの女の人に従わないのか?」
俺は、フィルに尋ねてみた。
フィル以外の村人は純朴そうで、リーシャという女に全幅の信頼を寄せているようだった。フィルだけが違うのは、引っかかる。
「別に村の全員が従う必要はない。それに、俺は君たちに希望を感じている。リーシャ様の毒血の効力は消えないが、薬で軽減できるはずだ」
俺は、シロに葉っぱを銜えさせてみる。
使い方は間違っていないようだが、前時代的な薬は利きが弱い。しばらく、様子を見ていないと駄目だろう。
「リーシャって子はなんなんだ?俺には、あの子が英雄だとは思えない」
魔物を退治するには、リーシャはか弱すぎた。
紅お嬢様の世界の英雄のように、周りを戦わせうるタイプにも見えない。
「英雄は、リーシャ様の父親だ。あの子は、父親から毒血のスキルを受け継いだにすぎない」
英雄は、彼女ではなかったらしい。
ということは、彼女の父の代に英雄殺しが訪れたのか。
だとすれば、リーシャがシロを英雄殺しだと知っていた話もうなずける。だが、その割にはカミサマは毒血のスキルの内容を知らなかった。元のシロの人格は、喋らなかったのだろうか?
「リーシャの父親は、魔物を全部倒したのか?」
たずねてみると、フィルは首をかしげた。
どうやら、俺が魔物のことを知らないことがフィルには不思議らしい。
「魔物は敵ではないぞ」
俺は、唖然とする。
言葉の響きから、俺は魔物は敵であると思い込んでいたのだ。
フィルによれば、この世界の敵は飢饉だったという。
リーシャの父親が現れたとき、この世界は記録的な作物の不作に見舞われた。森の実りにも期待できず、人間と魔物の間に食料をめぐっての争いの火蓋が切っておろされようとしていた。
そこに現れたのが、リーシャの父親である。
彼のスキルは、人間と魔物を同等に殺していった。
リーシャの父親のスキルは、彼がそこにいるだけで遠くに離れた人間を殺した。おそらくは、無自覚にウィルスを撒き散らすスキルを持っていたのだろう。
リーシャの父親という英雄が現れたせいで、この世界は戦争を起こすことができなくなった。
それよりも、もっと厄介な英雄という敵が現れたからだ。
この世界の人々は、英雄を殺そうとした。
だが、近づく前に彼らは英雄に殺された。
不思議に病にかからない人々もいたが、彼らはおびえて英雄に手出ししようとは思わなくなった。むしろ、英雄に生贄の娘を与えて、彼を神のように崇めるようになってしまったという。
「そんなときに、英雄殺しがやってきた」
だが、英雄殺しは英雄を殺さなかった。
そのまま世界を去り、後に英雄と生贄として差し出された娘も死んだ。
残ったのは生贄が生んだ、リーシャという英雄の娘だけだった。村人は英雄と同じ能力を持つ、彼女もまた神のようにあつかいながらも怯えているのだという。
「今度こそ、今度こそ、リーシャ様を殺してくれるんだろ」
フィルの言葉に、残念ながら俺は答えられない。
「俺は……英雄殺しとしては新米なんだ」
フィルは、眠っているシロをみやる。
「こちらは新米ではないのか?」
「ああ、たぶんベテランだ」
そのわりに、キスで発熱をしてしまったけど。
そういえば、シロはあのキスを普通に受けた。毒血ならばのスキルを知っていたのならば、この世界の人間の接触には警戒しそうなものなのに。
もしかしたら、この世界に来た英雄殺しはそもそもシロではなかったのかもしれない。俺は、活動している英雄殺しが何人いるかも知らない。
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