第16話魔性のキス

遠目で見たとおり、集落に人は少なかった。


 それどころか、俺やシロのような部外者も珍しいらしく村人は俺たちを好奇の目で見ていた。シロが馬を置いてきた判断は、正しかったかもしれない。


 取り囲まれるようにジロジロと見られるのは非常に居心地が悪く、村人たちが農具を持ち出したときは寒気がした。クワもスキも十分に武器になりうる農具であり、あんなものを振り回されては敵わない。


 だが、シロは非常に落ち着いていた。異世界を渡り歩くというのは、こういうのも日常になるということなのだろうか。


「君たちは、どこから来たんだい」


 村人を代表して話しかけてきたのは、青年だった。こういう役目は村長の年長者が行うものだと思っていた俺は、ちょっとばかり驚いた。


 青年は金髪で、これまたゲームに登場するキャラクターのような美しい顔立ちだった。だが、シロと同じように牧歌的な服装がまったく似合っていない。


 この世界は、外見に対して気を配るという文化がないのかもしれない。あるいは服装に気を配れるほど豊かではないのか。


髪の色は紅お嬢様の世界と比べればバリエーションが豊かで、金、黒、茶色、赤と人間の人種の人通りの色合いがそろっている。だが、シロのような白い髪はおらず、年長者の髪でさえ自身の色合いを力強く保っていたのであった。


おそらくは、シロの髪はこの世界でも凄く珍しいのだろう。


村人の視線も、よく見ればシロの頭髪に注がれていた。紅お嬢様の世界でも珍しがられた白い髪だが、あちらの世界の老人の髪は白かった。だが、こちらの世界ではそれすらなさそうだ。


「遠くから逃げてきた……」


 シロは、言葉を濁す。


 どうやら、答える内容を考えているらしい。


「その髪。魔物じゃないのか?」


 村人の一人が、魔物と口にした。


 ゲームと似ている印象が強い世界だったので、魔物と聞くとどうしても悪の象徴的なイメージが浮かぶ。シロも同じものを想像したのか、若干不機嫌そうになった。


「魔物ではない。この髪は……神罰だ」


 シロは、紅お嬢様にもそういっていたっけ。


 だが、村人はシロの言葉を信じようとしなかった。農具を俺たちに突きつけて「あっちに行け」とばかりに、睨んでくる。


「少し落ち着け!」


 それを止めたのは、金髪の青年だった。


「この人は、魔物じゃない。それに、あいつらは人とはぜんぜん違う姿をしていたじゃないか。この人は――」


 青年は、シロに手を伸ばす。


 何の躊躇もなく、彼はシロの頬に触れた。その距離感の近さに、シロは少し驚いていた。それでも、足は後ろには下がらない。


「暖かくて柔らかい人間だ」


 青年の言葉に、村人は武器を下ろした。


 俺はほっとしつつも、シロの機嫌はどんどん悪くなっていた。シロからしてみれば予想外のことで疑われた挙句に、知らない男に頬を触られたのだから当然である。


「……初対面の人間に触られるのは、なれていない」


 それでも疑いを晴らしてくれた礼のつもりなのか、シロは金髪の青年の手だけは振り払わなかった。逆に、青年のほうが驚いたように手をひいた。


「君、男性だったのか?」


 その驚きに、俺は「あっ」と声を漏らす。


 村人の男性は髪が短く、長いのは女性だけだった。男性が髪を伸ばすという概念がない世界らしい。それを前提に考えるのならば、シロの姿は女性的に見えないこともない。


「こんなに身長がある女がいてたまるか」


 シロは、不満げであった。


 だが、俺もシロの後姿は女性的だと思っていたので思わず噴出してしまう。


「なんで、笑う?」


 シロは、俺に詰め寄ってきた。


 まぁ、ここにいる人間でシロが気楽に話せるのは俺だけだろうが、もうちょっと時と場所を考えてもいいと思う。


「いや、髪が長すぎるから仕方がないだろ。俺のところでも、そんなに伸ばしているのは女の人以外はいなかったし」


 シロの元の人格は、たぶん自分の服装や容姿に無頓着だった。


 伸びている髪だって不精で伸ばしてしまっただけで、特に深い意味はないだろう。俺は、そういう周りの目を気にしないところが職人ぽくて格好がいいと思っていたけど。


「誰かきたの?」


 甲高い声が響いた。


 村人たちが道を譲ったその先には、女性が立っている。


 真っ白な肌に、亜麻色の髪。


 とても美しい女性だった。


 だが、彼女の顔には表情というものがなかった。暗さは感じられない。どこか神秘的な印象だ。良くも悪くもシロと雰囲気が似ている。


「リーシャ様、外の人間が訪れただけですよ」


 リーシャというのが、女の名前らしい。


 よく見れば、彼女の衣装は手が込んでいる。


 ワンピースの刺繍は色とりどりで、履いている靴も出歩くのには向いていない分厚い厚底であった。様付けされて呼ばれていることを考えたら、有力者の娘か妻なのかもしれない。


「外の人間……魔物ではないのね」


 リーシャは、ゆっくりとシロに近づいた。


 そして「かがんで」と呟く。


 シロは言われるがままに、わずかに膝を折った。


 リーシャは白い手で、シロの髪に触れる。


さっき散々話題になった髪だが、さすがにシロも女の前では不機嫌にはならなかった。


「……魔物は人の姿に近いと聞いたけど、あなたは本当に人間なのね」


 リーシャは、シロの髪から手を離す。


 彼女がシロを人間だと断定してくれたせいなのか、周囲の空気が緩んだ。有力者の妻や娘というには、彼女は村人の信頼を得すぎているような気がする。


「一つ聞きたい」


 シロは、リーシャにたずねる。


 表情の乏しい女は、シロの言葉に首をかしげる。


「この髪はおかしいか?」


 シロは、自分の髪の毛を不安げにつまみ上げていた。


「でも、綺麗よ」


 リーシャは、そう言ってくれた。


 俺は、彼女の返答にほっとしていた。


「魔物には、綺麗なものだっていたわ。あなたは、そういう綺麗さがある。だから、自分を変えようとは思わないで欲しいの」


 はっきりとそう言った女は、再びシロの髪を手に取った。


 そのとき俺には、リーシャの顔がわずかにほころんだような気がした。


 リーシャは髪を引っ張って、自分とシロの顔を近づける。


 シロはまさかリーシャが自分のことを引っ張ると思わなかったらしく、シロは前のめりに倒れそうになった。リーシャはそれを支えて、シロの唇に自らの唇を触れさせた。


 あまりの突飛な行動に、シロの動きは止まる。


 俺も人生初の生キスを見て、びっくりしていた。


 この世界の女の子は、手が早すぎる。出会ってまだ数秒なのにと考えていると、シロから離れたリーシャの表情が俺に目に焼きついた。何かに詫びるような目だった。


 だが、次の瞬間にはリーシャの表情は隠れていた。


「本当に、綺麗よ。英雄殺し」


 その一言に、シロがリーシャから距離をとる。


 俺も、思わずシロに続いた。



「どうして、それを知っているんだ?」


 シロは、リーシャを警戒していた。


 客観的に見れば、リーシャはか弱い女性である。


 シロに対して何かをできるような力を、リーシャは持っていないように思われる。だが、シロは『英雄殺し』という言葉を知っている彼女を恐れていた。リーシャの顔は、一瞬だけ驚きにゆがむ。


「あなたは魔物じゃない。でも、人間でもない。英雄殺しですら、なかった」


 だから、私の毒血の餌食になってしまうわ。


 ごめんなさい。


 シロの膝が崩れた。


 何が起こったのだ、と俺は思った。


「おい、シロ!」


「こっちにくるな!!」


 俺に向って、シロは叫んだ。


 シロの呼吸は乱れていた。さっきまでは元気だったのに、様子が明らかにおかしい。


「シロ、でもお前の様子がおかしいぞ。なにがあったんだよ」


 俺は、混乱する。


 村人たちも、俺のように何があったのかが理解できないようであった。


「リーシャ様……こいつは」


「フィル、白い髪の人を捕らえて。今ならば、動きが鈍っているわ」


 フィルと呼ばれた金髪の青年は、仲間から農具を奪ってシロへと振り下ろした。


 シロの髪が舞い上がり、手のような形を作る。その髪は、フィルの手から農具をはじく。それを見た村人全員が、どよめいた。


「……クロ、こっちへ」


 シロは走り出そうとするが、大きくふらついた。



 俺はシロに肩を貸して、走り出す。


「あんまり、自分に近づくな」


 とシロは言うが、俺が支えないとシロは走れない。


 村人たちは俺たちを追いかけてくるし、止まることもできない。


 シロは、口笛を吹いた。


 甲高い音が響いて、シロは髪で俺の胴体を掴んだ。俺の体が浮かび上がり、気がついたとき俺は馬の背の上にいた。筋肉質なユニコーンみたいな馬は、シロの口笛に答えてくれたらしい。だが、シロは馬に乗らない。


 乗れないのだ。


 俺は必死に髪を引っ張って、シロの体を馬の背に乗せた。そのときに、シロの腕を掴んだが予想以上の熱さだった。


「シロ、おまえどうしてそんなに発熱しているんだよ!」


 シロは、答えない。


 だが、かなり辛そうだった。


 俺はシロがやっていた通りに馬の腹をけって、走らせる。さすがの村人も馬の足にはついてこれず、村はどんどんと小さくなっていった。


「どうなってるんだよ」


 答えてくれカミサマと俺は叫ぶが、カミサマの声は聞こえなかった。

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