第15話集落
馬を三日走らせて、俺たちはようやく人間の集落を見つけた。馬がいなければ、おそらくはもっと長いあいだ俺たちは草原をさまよっていただろう。
シロは遠回りして、集落が見下ろせる丘へと進路を変えた。そこで目を凝らすと、集落の全貌がほぼうかがえた。
集落にすむ人々は、俺やシロとさほどかわらぬ格好をしている。集落の大きさはさほどではなく、きっと人口は百人に満たないであろう。
家の作りはレンガ造りのようで、随分とちんまりとしていた。
畑のようなものも見えたが、規模が随分と小さい。その代わり、俺たちが乗っている馬と同じ生物とヤギのような生物はたくさん飼われていた。どうやら、この世界の人々は酪農を中心にして生活しているらしい。
「クロ、ここからは徒歩だ」
俺が返事をするより早く、シロは俺を馬から下ろした。
集落への距離はまだ遠く、俺たちの足だけならば二時間以上はかかるであろう。どうしてたずねると「昔、動物盗んだ疑いを掛けられて追いかけられた記録がある……実感はないけど」という答えが返ってきた。
「その実感がないって、どういう感じなんなんだ?記憶があって、それを活用できるんなら不便はないように思えるけど」
シロは、前の人格の記憶を持っている。
そして、それを活用もしている。
実感だけがないというのは、どのような感じがするのか少し気になっていた。
シロは、少し困ったように考え込んでしまった。
「よくわからない。自分は……自分の人格が出来たときから、この感覚だった。もうすでに、この感覚には慣れ親しんでいるし――どんな語彙や表現を使って説明したところで、それも前の人格が蓄えた記録や知識でしかない」
わからない、というシロの説明に俺は申し訳ないような気持ちになった。
対等に話せる知識や馬を手なずけた経験をシロは利用しているが、シロ自身は今の人格になってから日がたっていないのだ。自分で学習し、自分が経験した言葉で、自分の状態を説明できるはずがなかった。
「ええっと」
話題を変えたいと思い、俺は考えをめぐらせた。
だが、俺たちの間で共通の話題は少ない。
黙りこんでしまった俺に対して、なにかを思ったらしくシロは口を開く。
「だから、自分は前の人格が学習した記録を使って喋ったり考えたりをしている。その語彙によれば、クロは大変好ましい人柄だ」
シロは、なんてことのないように言った。
真正面から褒められた俺は、あっけに取られる。
「好ましいって」
「だって、クロは自分の絵を褒めてくれた。絵は自分の記憶の中で、一番楽しい記憶で、今も書いていると楽しい。それを褒めてくれるクロは、好ましい」
それだけ。
たったそれだけで、シロは俺を好ましい人物と判断していた。なんていうかチョロいというか、こいつは純粋すぎないだろうか。それでも、面と向って好ましいだなんて言われたのは初めてだった。
「お前……前の人格もときも俺のことを好ましいだなんて思ってたのかよ」
前のシロは、常連客の美大生だった。
会話を交わしたことは、なかったかもしれない。けれども、俺は職人然としたあの人に憧れていたのだ。
「前の人格の気持ちは分かるけど、言わない。自分の前の人格は死んだ。死んだ後に、感情を引きずり出すのは卑怯だ」
シロは、そっぽを向いた。
どうやら、こいつにとって前の人格の話はタブーらしい。
「ご……ごめん。ちょっと聞いてみたかっただけなんだ。うん、シロが俺のことを嫌いじゃなければそれでいい」
俺の世界で、英雄を殺せなかったのはシロの前の人格。
そして、俺の隣にいるのはシロ。
俺自身もちゃんと気持ちの整理をつけないと、俺はいつかシロを壊すことになるかもしれない。シロは俺の武器で、俺の戦う気持ちに反応する。
俺のほうが、シロより圧倒的有利な使い手の地位に立てるのだ。そのとき、俺はシロを壊すように動いてはならない。こいつは、前の人格とは違うのだから。
「クロ、行こう」
シロに呼ばれて、俺は集落に向って足を向ける。
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