リーシャの世界

第14話目覚めれば草原と馬

 草の匂いがした。


 目が覚めると、俺は草原のなかで眠っていたようだった。


 体を起き上がらせると、そこには青空とどこまでも続く平原が見える。人の姿も動物の姿もなくて、風に揺れて擦れる葉の音色だけが唯一の音だった。


 久々に雄大な自然を見たせいなのか、俺は少しばかりほっとしていた。


 紅お嬢様の世界も街から一歩出れば自然があったのだろうが、あの世界に滞在している間は俺たち街の外には出なかった。


「起きたか……」


 起き上がると、先に体を起こしていたシロと視線がかち合う。


 シロの服装は、さっきまでのものとはまったく違っていた。


 革のベストに、革のブーツ。質の悪い麻のズボンとシャツと言ったいでたちで、西洋風のゲームに出てくる村人といって感じだ。白い髪が神秘的に見えるせいで、エルフが無理やり人間の格好をして生活をしているふうにも見えた。


 端的に言うならば、まったく似合っていなかった。


 だが、俺の服装も同じようなものになっているので、これがこの世界の平均的な服なのだろう。紅お嬢様の世界の服よりは、俺の世界の服装に近くはなっている。


「おう……その大丈夫か?」


 カミサマのところでは、シロはだいぶ疲弊していたようだった。というより、カミサマを恐れていた。


「傷は手当した。しばらくすれば、塞がる」


 だが、シロは俺の心配を身体の外傷へのものだと勘違いしたようだ。カミサマはシロの痛みは取り除いてくれたが、傷までは治せないようだ。


「なぁ、シロ。あの時、俺はお前を止めてよかったのか?」


 シロは赤に刺された後に、彼を追おうとした。


 あの時は、シロが赤と戦うのかもしれないと思った。けれども、今考えればシロは単に英雄を殺そうとしただけなのだろう。俺は、それを知らずにシロを止めた。


「……自分が英雄を殺せば、赤は助かっても納得はしなかった。自分で敵を討てたから、赤は納得できたと思う。クロは、間違ってないとは思う」


 シロの言葉は、どこかたどたどしかった。


 だが、俺も自分の行動が正解かどうかなんて分からないのだ。


 シロも同じなのだろう。


「着ているものからして、ここは西洋風の世界なんだな。気候も随分とからっとしてる」


 周囲が静かだからそう感じるだけなのかもしれないが、紅お嬢様の世界よりも住みやすそう気候である。だが、周囲にこれだけ何もないとなると人が住んでいる集落を探すのは骨が折れそうだ。


「クロ、歩こう」


 シロも俺と同じことを考えていたらしく、もう出発の準備を整えていた。


 今の俺たちにはとりあえず歩いて、集落を探すしか道はなさそうである。怪我をしているというのに、シロの歩みによどみはなかった。痛みが消えているせいなのかもしれないが、その状態で無理させるのも怖い。だが、歩かなければ始まらないのも事実だ。


「あんまり、無理するなよ」


「平気。自分は、普通の人間よりもだいぶ丈夫だと記録している」


 そういえば、こいつは紅お嬢様の世界で皇帝の近衛に向って落下しながらの体当たりなんて荒業を使っていたっけ。


先に着地していたのが髪だとはいえ、自分の頑丈さに自信がなければ怖くて出来ないはずだ。


 それでも何かカミサマも気を利かせて薬でももたせてくれていないかと、俺は最初から手に持っていた鞄を探る。


 出てきたのは、ナイフである。


 しかも、反りが天を向いている紅お嬢様の世界のナイフだ。こんなものがどうして、と俺は一瞬考えた。


「そうか、あの時……」


 紅お嬢様と初めて会ったとき、彼は男に絵師を探してもらっていた。その男が落としたナイフを、俺は確かに拾っていた。鞄の中には、そのナイフ以外は何もなかった。


 異世界からの物体は、俺が持っていれば持ち込めるようだ。


 俺は、武器を鞄の奥深くにしまいこむ。何となくではあるが、これを今のシロには見せたくはなかった。


「クロ」


 シロに呼ばれた俺の背が伸びる。てっきりナイフのことがばれたかと思ったが、シロが指差した方向には馬がいた。手綱をつけていない馬だから、もしかしたら野生のものなのかもしれない。


「ちょっとまて、アレは本当に馬か?」


 目の前を走っている馬だと思われるものは、足が六本あった。


 胸の筋肉も俺が知っている馬よりもたくましく、気のせいか一回り体が大きいような気がする。そして、額には鋭い角が一本ついていた。


 ……こんなに、たくましいユニコーンは見たくなかった。


「あれを捕まえて、背に乗る」


 シロの言葉に、俺は「止めろ」と彼の腕を掴んだ。


 まだ傷が治っていないのに、あんな筋肉質なユニコーンを相手にする必要はない。


「大丈夫。馬の相手をした記録もある」


 シロの髪は、再び風になびいた。白い髪は大きく広がって、二つに分かれる。それは人間の手を模したような形になった。


 紅お嬢様の世界でも、壁をよじ登ったたり殴ったりするときに使用していた形である。


 シロは、その髪を馬に伸ばした。


 馬は臆病な性格らしく得体の知れない髪から逃げようとしたが、シロは追いかけなかった。馬はシロを警戒するも、やがて逃げる足を止めてシロという生物をじっと見つめるようになる。


 長い時間、馬はシロを見ていた。


 シロが、自分に害をなさないかどうかを確かめているようだった。


 ――大丈夫だ、と俺は馬に向って念じていた。


 ――シロは、おまえを傷つけない。


 ――だから、お前もシロを傷つけないでやってくれ。


 馬は、おずおずとシロに近づきだす。シロは髪を戻して、ただ馬を待っていた。それは、まるで「攻撃の意思はない」とシロは馬に証明しているかのようでもあった。


 やがて、馬はシロの手が届く範囲にまで近づく。シロの手の匂いをかぎ、それをぺろりとなめた。ついで首筋の匂いをかぎ、さっきは動いた白い髪の匂いまで嗅ぐ。


 シロは、馬に一歩近づいた。


 馬は、シロから逃げなかった。


 馬もシロのことを「自分を襲わない人間だ」と感じとってくれたのだろう。


 シロは鞍も手綱もない馬に、ぴょんと飛び乗った。


 さすがに安定しないのか、シロの体が前後に揺れる。それでも、馬はシロを振り落とすようなことをしなかった。


 そのとき、俺は自分が息を止めていたことに気がついた。シロが成功したと分かって、ようやく呼吸ができる。安心した。


「クロ、こっちへ」


 シロに呼ばれて、俺は馬の側へと近づいた。


 馬を驚かせてシロが落とされては適わないので、できるだけゆっくりと歩いた。近くで見ると、筋肉質なユニコーンは普通の馬よりも威圧感があった。馬より、体が大きいのだから当たり前なのかもしれない。


 しゅるり、とシロの髪が俺の胴体に伸ばされた。


 その髪は俺に絡まりついて、俺を筋肉質なユニコーンの背まで運んだ。俺が背に乗っても、髪は解かれない。どうやら、俺が落とされないように抑えているつもりらしい。


「少し走らせるぞ」


 シロが軽く腹を叩くと、馬は軽やかに走り出す。


 だが、鞍をつけていないから、俺の体はとんでもなく揺れた。舗装がなってない道路を運転する車以上の揺れに、俺はシロの背中にしがみついた。体は支えられていても、しがみつけるものがないと怖くて仕方がなかった。


 シロの背中も、俺と同じように揺れている。


 なのに、シロは馬の首に髪を巻きつけるだけで他の支えを必要としていない。


 一人で立てる、真っ直ぐな背中だった。


 急に、シロは馬を止める。


「どうしたんだ?」


 たずねると、シロは言いにくそうに視線を泳がせた。


 だが、黙っていることにも耐え切れなくなって、結局は口を開く。


「久々の乗馬だったから……お尻がいたくなったんだ」

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