第12話お嬢様の正体
「おい、シロ。大丈夫か!」
俺がシロを呼ぶと、シロはぼんやりとしていた。
紅お嬢様に背中を刺されたのに、シロはあまり痛みを感じていないようだった。
「刺された……」
「それは分かっている!紅お嬢様、なんで!!」
紅お嬢様は、隠し持っていたナイフを俺にも向ける。俺はそれに怯えたが、シロは起き上がって俺と紅お嬢様のあいだに立ちふさがる。まるで、俺を守るような姿だった。
「あなたたちも英雄の皇帝を殺したいのよね」
「……そうだ」
シロは、そう答えた。
相変わらず、表情はぼんやりとしている。
「なら、あんたたちは私の敵よ」
紅お嬢様は、再びシロを刺そうとする。だが、シロの髪は再び意思を持ったかのように動き出し、シロとお嬢様との間の壁になった。
「自分は、英雄と戦えるように作られている。普通の人間なんて、相手にならない」
だが、紅お嬢様はシロから逃げない。
異質なシロの能力を見ても、紅お嬢様は戦うことを選択する。
そんなに、皇帝の愛人になりたいのか。
「シロ!」
俺は、後ろからシロを羽交い絞めにした。シロのほうが身長は高いのに、刺されたせいなのか俺でも拘束することが出来た。シロも抵抗しなかった。
「紅お嬢様はいかせてやれ!おまえも俺も、人は殺しちゃいけない。殺しちゃいけないんだ!」
俺は、シロに向かってそう叫んだ。
紅お嬢様にも、きっとそれは聞こえたのだろう。
「クロ、あなたは……何がしたいの?」
紅お嬢様は、俺に尋ねる。
そして、あきれたようにため息をついた。
「あなたは、私の正体に気がつかなかったのね。シロは気がついていたみたいなのに」
紅お嬢様は、自分が持いたナイフを自分の首筋にあてる。
お嬢様は血を流すことはなかったが、シロは血がついたナイフは紅お嬢様の白い首筋に赤い線を残した。
まるで、これで死んだと言わんばかりだった。俺とシロが知っている紅お嬢様は、ここで死んだのだと。
「ぼくの本当の名前は、赤。君たちも知っているだろう竜に食われたいけにえの聖女月は、ぼくの兄妹だ」
紅お嬢様――いや、赤は俺たちに自分の正体を明かす。
贅沢にたっぷりと布をつかった衣装を脱げば、そこに現れたのは動きやすい格好をした少年であった。
顔は紅お嬢様のままなのに彼がまとう雰囲気には、もう明るく元気で押しの強いお嬢様の面影はなかった。強い決意を抱く、少年であった。
姉の敵を――家族の敵を討とうとする少年であった。
俺は呆然として、少女の絵を描いたシロを見た。だが、絵は見たものをそのまま書き写すわけではない。
シロは彼の裸体を見て、絵の中で少女して再構成させていたのだ。俺は紅お嬢様の体を見なかったから、それが分からなかった。
絵の中にあった少女の裸体が現実のものではないと知りながら、現実さえも見なかった。
俺は、赤に尋ねた。
「英雄を殺す気なのか?」
「殺す。月お姉さまを竜のいけにえにささげて、父を――先代の皇帝をその地位から追いやった英雄を殺すよ。父には何も悪いところはなかった。なのに、悪評を立てられて皇帝の地位から下ろされてしまったんだ」
俺は、子供のための劇を思いした。
あの劇では、英雄と先代の皇帝が唐突に戦いを始めて終わった。
どちらが勝ったと明確に描かれていなかったのは、先代の皇帝が政治的に敗退しただけだからなのかもしれない。
死んでいない先代の皇帝をさすがに「死んだ」とは子供用の劇のなかでも言えなかったのである。
「竜は、皇帝の血族ではないと殺せないと劇では言ってた……」
「そんなのデマだ。結果的に、姉さんが倒せたから後からそういうふうに言われるようになったんだ」
赤は、姉が命と引き換えに竜を倒したのだという。
だが、彼の姉は優れた法術使いであっても自分の命も他人の命も粗末にする人ではなかったと赤は叫んだ。
「月姉さまは、英雄なんかと出会ったせいで変わった。姉さんが死んだのは、皇帝のせいだ」
俺は、唾を飲み込む。
なぜならば、赤の推理は当たっていた。
皇帝には異性を惑わす力があって、聖女すらもそれに惑わされた可能性は高かったのだ。
赤は、逃げた皇帝を追って姿を消す。
シロは赤を追いかけようとするが、俺はシロを抑えた。
「カミサマ!どういうことなんだよ」
俺は、カミサマに向って叫んだ。
赤から聞いたことが信じられなかったし、同時に英雄を殺そうとする人間が俺たちのほかにもいるとは思わなかった。
それも――この世界の住人が、世界を一度は救った英雄を殺そうとするなんて。
「英雄は、この世界を一度は救ったんじゃなかったのかよ」
子供たち向けの劇では、英雄を救うために聖女は自ら犠牲になった。
それでも、俺は英雄が世界を救ったのだと思っていた。
英雄が自身の力を使って、竜を倒せる人間を操った。それで、世界は救われた。ハッピーエンドだったと思ったのだ。
『世界というのは生物のようなものだ。病気になっても、それに対応できる免疫ができる。その免疫は、月という聖女だった』
「……なにがあったのかを教えてくれ」
俺は、カミサマにこの世界で何があったのかとたずねた。
俺は、この世界の事件について子供のような英雄譚しか知らなかった。
『この世界には平和を乱す竜がいた。しかし、竜の弱点となる力を持った聖女も同じく生まれた。本来ならば彼女が長く修行し、法術使いとして竜を倒すはずだった。ところが、女の好意を操る英雄が出現し、彼女は英雄のために捨て身の戦いをしてしまった』
本来ならば、聖女は竜と戦っても死ななかったのだという。
竜さえも超える力をいつかは身につけて、その技術を後世に伝える役割を担うはずだった。
『無論、月が法術使いとして成熟するまでには何十年とかかった。その間に竜は多く殺しただろう。それでも、世界は自らの病を治す術を持っているのだ。英雄は、その病を治す薬を無視して、無理やりに世界を救ってしまう。おかげで、月が発明するための法術のいくつかはこの世界では数百年を待たなければ生まれなくなった。そしてなにより、この世界の人々は努力こそが最大の武器であると学ぶ手段を失った』
カミサマは続ける。
『月は竜を殺す才能をもった法術使いであったが、最初はその威力は微々たるものだった。だが、彼女は大いなる努力で竜を倒すはずだった。だが、英雄が現れ、心を奪われ、端的に自分の身を犠牲にして、竜を倒してしまった』
カミサマの言葉に、俺は劇を思い出す。英雄の心を奪われた、ユエというヒロイン。
彼女は将来的に竜を倒し、後継に様々な知識を残すはずであった。
だが、恋焦がれた彼女は男のために最短ルートを選んでしまう。自らの命と引き換えに、ユエは竜を殺したのだ。
「でも、竜が倒れたのならば……世界の危機は去ったんじゃないのか?」
『去らない。竜は子供を産んでいる。これから五百年後に、また同じように竜は現れる。だが、このまま英雄がいれば、法術使いの女たちは英雄に惚れるばかりで術の進展はない。それどころか、法術使いの人口が半数以下に減ってしまう』
その言葉に、俺は驚いた。
「法術使いが減るってどういうことだ?」
皇帝は別に悪法を敷いているというわけではなさそうだ。
この世界のことをほとんど俺は知らないが、悪法を敷いていれば住民からきっと嫌われていた。
でも、ここの皇帝は誰にも嫌われていなかった。女にも男にも嫌われていなかった。
『この時代のほとんどの法術使いの女は、皇帝に惚れている。だが、皇帝は相手に触れると好感度が落ちるスキルの持ち主だから、彼女らと子供は作らない。単純なことだ。女が子供を作らないから、子供が減るんだ。しかも、法術使いになりうる優秀な子供がな』
世界に、英雄は必要ない。
カミサマは語る。
『世界に必要なのは、英雄ではない。その世界に生きる人々なのだ』
どん、と音がした。
俺は、その音に驚いてシロを強く抱きしめる。恐る恐る音をしたほうを確かめると、そこにはナイフの刺さった皇帝が倒れていた。
ナイフで刺されて、上から落とされたのだ。
「何でだ、なんでこうなった……」
皇帝が――英雄がうめく。
シロが皇帝に止めをさそうとするが、俺は強く抱きしめてそれを止めた。
怖い――シロが人を殺すことが怖い。
「俺は……俺は英雄になったんだ。さえない会社員から、輝かしい英雄で皇帝に!」
がはり、と皇帝は血を吐きだす。
「死ぬ勇気のない聖女を役に立つように殺したんだ……なんで、なんでハッピーエンドにならならないんだよ!!」
皇帝と呼ばれた男は、子供のように駄々をこねる。
何故、自分は幸せにならない。
何故、こうなった。
何故、何故、何故……何故。
ただ、問いかけが続く。
「俺は……この世界を救ったんだ。ご褒美をもらったっていいだろう」
俺は、その問いかけをシロを抱きしめながら聞いていた。
やはり、という気持ちが強かった。
皇帝として好き勝手する男にとって、この世界の今はただのご褒美でしかなかったのだ。紅お嬢様や市場の人々が生きる日常ではなくて、世界を救った自分へのご褒美。
「この世界は……お前のものじゃない」
俺は、シロを押さえつけながら呟く。
シロは、まだ英雄を殺そうとしていた。
「英雄のものじゃない……ましてや、英雄殺しのものでもない」
俺の言葉を聞いた英雄が、再び血を吐く。
そして、息絶えた。
「この世界は、この世界の人々だけのものだ!」
俺は、上を見上げた。
螺旋階段の向こう側には、赤がいた。
紅お嬢様だった、赤が。
皇帝を殺したのは、シロではなくて赤だった。
シロは、俺の腕をぎゅっと掴んだ。
俺はふと、シロが倒した近衛を見た。近衛たちは、たった一人も死んでもいなかった。
あれだけ圧倒的に法術使いと戦っていたくせに、シロは誰一人として殺さなかった。
「クロ、シロはおまえの武器なのか?」
螺旋階段の上から、赤は俺に問いかける。
なぜ、と俺は思った。
俺は、シロを武器だとは思ったことがなかった。それどころか、シロはこのように戦えることを俺は初めて知ったほどだった。
「知らないの。そいつは、髪で戦うときだけぼんやりしてた。まるで戦いたくないみたいに。でも、クロの目だけがきらきらしていた」
俺は、呆然とする。
――きらきら。
――きらきら、だって。
「俺は、殺したくない。英雄だって、誰だって、殺したくはないんだ!!」
俺は、叫んだ。
殺したくはない、というのは本音だった。
今だって、殺せるとは思えない。
「嘘だ。おまえは、殺せるよ。ぼくも、姉の敵が討てて大変満足だ」
赤は笑った。
「姉の月は、あんな皇帝になんて心奪われるような人ではなかった。それは、今ではもう証明はできない。……うん、ぼくはここで満足だ」
俺とシロの体が、うっすらから透け始める。
「これは、なんなんだ?」
『この世界でのおまえたちの役割が終わったんだ。私のところに、おまえは戻ることになる』
神様の声に、俺は赤を見る。
姉の敵を討った少年は、これからどうなるのだ。
聖女と祭り上げられた姉の敵を討った赤の末路は――。
『駄目だ。変えられない』
カミサマは、俺の心を見透かしたような言葉を口にした。
『赤を助けようとしたら、この世界に何かしらの影響を与えてしまう。だから、この世界で人を助けようと思うな』
「でも、ここに残したら……」
あれだけ人気のあった皇帝を暗殺した赤の末路が、ただただ心配だった。
彼の意見を人々は、聞き入れないだろう。赤の末路はきっと、俺が想像するよりも悪いことになるだろう。紅お嬢様を――赤という少年に向って俺は手を伸ばした。
「ぼくは大丈夫。覚悟をしていた」
だが、赤は俺の手を掴まなかった。
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