第10話 皇帝
完成した絵は、紅お嬢様が手続きして宮殿へと送った。
第一次審査終了までは数日かかるから、紅お嬢様にしたらドキドキの数日間であろう。
俺も元の世界で受験を経験していたら、そういうドキドキを味わっていたのである。
きっと眠れないほどの緊張だと思っていたが、紅お嬢様は以外にも落ち着いていた。
「こういうのは、待っている間にじたばたしても仕方がないでしょう」
それが、紅お嬢様の言い分だった。
「でも、貴方たちを雇ってよかったわ。私が選ばれたら、あなたたちも宮殿に着てね」
紅お嬢様の言葉に、俺は目を丸くする。
よくよく考えれば、カミサマはたぶんこういう展開を望んでいたのだろう。
紅お嬢様が愛人に選ばれれば、俺たちも楽に宮殿にあがることができる。
そうなれば、英雄と接触も増えるであろう。
「絵を描いた絵師も、一度は皇帝に会わせないといけないのよ。でも……正直な話、私はあいつを御せる自身がないわ!」
「俺だって、ないわ!!」
紅お嬢様の言葉に、俺は怒鳴り返していた。
シロの飼い主だと思われていたら、後々困るからである。
「だから、あなたはシロを監視していて欲しいの。絶対に余計なことはしないでね!!」
外で見た、あのオタク皇帝。
あの皇帝の愛人になることが、紅お嬢様の目標なのだ。別世界からきた俺はその皇帝を殺すことが目的だが、彼女の目標も出来る限り邪魔したくはなかった。
なのに、俺の思いを無視して事態はどんどんと進んでいった。
まず、紅お嬢様が絵の選考を突破した。
選考を突破できたのは三十人で、紅お嬢様はこの三十人のなかに混ざって宮殿へとあがる。それに、俺とシロも付き添うことになった。
紅お嬢様が俺たちに持ってきてくれたのは、俺たちが身につけていたものとは比べ物にならないぐらいに立派な衣だった。
どうやら紅お嬢様が愛人候補に選ばれたことを実家へと報告したら、金品の融資を受けられたらしい。
紅お嬢様の家の使用人たちは、喜ぶどころか何故か葬式に参加するような顔で金とか布とかといった宮殿に上がるのに必要なものを届けてくれた。俺とシロの衣は、その荷物から作られた。
衣はもちろんこの世界の正装なので、俺にはどうやって着るのかさっぱりであった。
普段着と変わりないだろうと思っていたら、外見はほとんど変わらないのに妙に紐や布が多い。たぶん、で着付けたらおかしなことになった。
だが、シロはなれた様子で用意された自分の衣に袖を通していた。
一方で、俺はたっぷりとした布や紐がひっからまって紅お嬢様に呆れられた。
「クロ、あなた正装になれてないの?」
「正装を着るような生活をしたことなかったんだよ」
俺の世界でだって、正装は制服ぐらいしか着たことしかない。
どうやってきればいいのか分からない衣服の着付けを手伝ってくれたのは、シロだった。前にもこの世界に来たことがあるのか、というぐらいに慣れた手つきだ。
「……こういうのは、さほど複雑じゃない。一度似たようなのを着ると応用がきく」
シロはそういうが、俺にとっては複雑だ。
「複雑じゃないって。洋服よりも、はるかに複雑だろ」
俺の言葉に、シロは無言でうなずいた。
俺の言葉に何か思うところがあったふうではなく、まったく聞いていないから適当に相槌を討ったようだった。
俺には簡単だといいながら他人の着付けに集中しているところをみると、やっぱりこの服の着付けは結構難しいらしい。
ひたり、とシロが俺の胸に耳をくっつける。
ぎょっとしたが、シロは俺に帯を巻こうとしていただけだった。俺はおとなしく、されるがままになる。
「うん……これでいい」
シロは、俺から離れた。
どうやら、関心の出来らしく絵が出来上がった後みたいな満足げな顔をしている。この世界に着てから数日がたったが、少しだけシロの表情が読めるようになった。
シロは戦うときや絵を前にすると、表情を厳しくする。
だが、絵などができあがると一気に表情を緩めるのだ。どうやら、集中すると顔が険しくなるタイプらしい。
「クロ、見違えたわよ」
紅お嬢様は着替えた俺をそう言ってくれたが、俺としては中華風のコスプレをしているようにしか見えない。
シロも同じかと思えば、不思議なほどに彼は用意された衣に馴染んでいた。
髪の色が白いのに、彼には薄い色がよく似合った。ぼんやりとしていて決め手にかけるのに、その淡いコントラストが二枚目の紅お嬢様の絵のように幻想的だ。
妖精のようだ、と言いかけて俺は止めた。
絵に向けては遠慮なく言える言葉も、人間相手になると気恥ずかしくてたまらない。
「さぁ、行くわよ」
紅お嬢様は胸を張って、宮殿へと向う。
俺たちは、その小さな背中に従った。
外は、お祭りムード一色だった。町の人々が、選ばれた美しい女性たちを一目見ようと列を成し、その人々に饅頭やら飴やらを売るために商人が声を上げる。その騒ぎは、宮殿の門をくぐるまで永遠と続いた。
だが、門をくぐってしまえば、そこは別世界のように静かであった。
町の人々は宮殿内に入れないため、宮殿には愛人候補の女性とその御つき、宮殿に勤める人々ぐらいしかいない。
ぐらしかいないといっても百人を超すほどの大層な数なのだが、外の大賑わいと比べてしまえば可愛いものである。
なにせ外は、お祭り騒ぎで熱気もすごい。宮殿に入ってから、気温が三度は下がった気分であった。
宮殿の門をくぐった俺たちは、天井の高いホールのような場所に連れて行かれた。
俺は、豪華絢爛な宮殿の内部をきょろきょろとせわしなく見渡した。大きな螺旋階段が特徴的なホールで、どこもかしこもきらきらしていて目に優しくない作りだ。
男も女もどれも彼もが、きらびやかに着飾る。どのきらびやかさは、まるで昨日まで普通の人間だったのに、ある日突然英雄なんてものに持ち上げられてしまった男の精一杯の贅沢であるように思われた。
俺は、皇帝の近衛兵たちの姿を見つけた。女ばかりの兵は特別な日だからなのか、きらびやかに着飾っている。
鮮やかな衣やきらめく鼈甲の簪は贅沢で、まるで彼女たちこそが愛人であるかのようである。
「ここにいる全員が、愛人候補なのか」
俺は、呟く。
集まる女たちは誰もが美しくきらびやかで、着飾った紅お嬢様でさえ風景の一部になってしまうような光景だった。
もう簪が揺らめいても、誰の飾りがきらめいたのかすら分からない。
誰かのあでやかな香りがかおっても、それがどの貴人のものかは分からない。
俺の隣で、白い髪のシロが歩く。
この世界で、シロの髪はとてもよく目立つ。
着飾ったどんな人間よりも、美しいものを描く絵描きは目立つ。
なんだか、俺はそれが不思議に思えた。
しばらく経つと、ホールに皇帝が現れた。
彼は集まった人々を一目で見渡すためなのか、俺たちと違って螺旋階段の途中に立っていた。相変わらず、オタクっぽい外見だ。
彼は、どうやってこの世界を救ったというのだろうか。
話によると、彼は異性の好感度を上げるスキルしかもたないらしい。実はこの世界の竜はメスで好感度上げて、ハーレムの中に入れたのだろうか。
『なんだ、説明していなかったか?』
カミサマの声が、耳元で響く。
『あの英雄は無条件で異性に好かれるスキルを持っている。そのスキルを使用して、聖女を自分に惚れさせて、自滅さえるような戦法を取ったのさ。ただし、あのスキルは対象に触れると解除されるようだな』
「解除って」
では、あの英雄は本心から周囲の女性に好かれているわけではないのか。
俺は、ふと思う。
愛人を毎年選んで、選んで――前の愛人はどうなったのか。
嫌われたから、捨てたのか。
あるいは、捨てられたのか。
そう考えたとき、俺の目には皇帝が作り上げた宮殿がハリボテの玩具みたいに見え出した。きらきら光る飾りはホログラムの折り紙で、宝石をちりばめた豪奢な飾りはガラス細工がはめ込まれたガラクタみたいだ。
「みな、集まってくれてありがとう。今年も選りすぐりの三十人が集まった。ぜひとも、最後の一人になるまで美を競って欲しい」
皇帝の言葉に、ぼそりとシロは呟いた。
「この距離ならば、とどく」
「えっ……おまえ、なにを」
俺が何かを確かめる前に、シロの髪が風で浮き上がる。
いや、風など吹いていない。
勝手にシロの髪が舞い上がり、くるくると勝手に三つ編みを作り出す。その異様な光景に、周囲は唖然としていた。
カミサマは、シロは魔法を使えないといった。
なのに、シロの髪はまるで魔法のように動き出す。
「カミサマ、これは……」
『それは魔法じゃない。他の世界の技術だ。シロは他の世界で生まれた人間じゃない人間だ。だから、私も人間にはできないサポートがギリギリまでできる』
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