第9話シロの絵
「ただいまー」
画材を買って宿に帰ると、シロが床の上で寝ていた。お嬢様がかけたらしい布団に包まって、絵に使った絵の具の色だらけになっていた。
眠るシロはカミサマの話にあったように、過去の人格を切り離しているからこそ幼い。
こいつが英雄を殺さなかったから、母と雪は死んだ。
俺がこいつと同じになれば、この世界の人が死ぬ。
「……どうして、俺の世界だったんだよ」
千人の英雄を殺したならば、どうして俺の世界の英雄も殺してくれなかったのだろうか。
どうして、俺の世界でためらってしまったのだろうか。
どうして、人殺しがいけないものだって気がついてしまったのだろうか。
「クロ!シロを説得して、この絵をどうにかしなさいよ」
紅お嬢様が、突然俺の後ろから表れた。驚いた俺は飛びのいたが、紅お嬢様が持っていた絵にはもっと驚いた。
「こっ……これって」
俺は、シロが被っていた布団を剥ぎ取る。
「起きろ。でもって、今すぐに絵を修正しろ!!」
絵には、俺まで書き込んであった。しかも、絵の中の俺は紅お嬢様の服を剥ぎ取っている。シロは実際にあったことを描いただけなのだが、目的を考えるのならば俺まで入れるのはまずい。
というか、こんな絵のなかに勝手に俺を登場させるな!!
「クロ……この絵、まだ色を塗ってない」
「そういう問題じゃなくて。なんで、俺を描いたんだ!」
ちゃんと使用目的のことを考えろ!と俺は怒鳴った。
履歴書の写真に他人が写りこんでいたら、普通だったらそれだけで失格になる。まぁ、俺がいた世界の履歴書の写真に他人が写りこむ余地なんてないのだが。
「……」
起きたシロは、無言で俺と絵を見比べた。
そして、おもむろに口を開いた。
「一人だと構図的につまらない」
「そうじゃないだろ。今回の絵は紅お嬢様を魅力的に見せるための絵なんだ!そこんところを考えて、もう一度ちゃんと描け!!」
俺はシロを叱りつけ、ちゃんと紅お嬢様だけの絵を描かせた。
だが、無理やり描かせたせいなのか、俺が描き込まれてしまっている一枚目のほうが圧倒的に出来がいい。
二枚目の紅お嬢様だけの絵も上手いことは上手いのだが、一枚目と比べると見劣りする。
一枚目の紅お嬢様には幼いのだが、危うい色気があった。
絵のなかの紅お嬢様の微笑みが、大人のように思えたのだ。体は少女で、表情だけがうっかり遊女の雰囲気をまとった絵。
シロが言っていたとおり隠れているのは股間だけなのだが、それよりなにより表情が淫靡だった。
幼く眠っていたシロがこんな絵を描いていたと思う、と何故だか喉がなる。
「お前、テンションとか気分とかで作品の出来栄えが代わるタイプだったのか……」
念のために三枚目も描かせて見たが、二枚目よりも如実に出来が悪くなっている。そしてなにより、シロが目に見えて紅お嬢様という対象から飽き始めていることを感じる。
一枚目の胸はわずかな膨らみがとんでもなく生々しいのに、三枚目にいたってはまな板で少年っぽい体つきになっていた。顔も、なぜかのっぺりしている。
「……そうなのか?」
だが、シロ本人は絵の出来に関しては無頓着だ。いや、無頓着というかシロ本人はどの絵も全力で描いているようなのだ。
それでも絵の質に差がでるというのは、プロに向いていないというか芸術家気質というべきなのか。
「とりあえず、無難に二枚目だな。一枚目は、絶対に使うなよ」
俺はシロに厳命し、二枚目を仕上げさせた。
一枚目さえ見なければ、二枚目だって良い絵だった。
だが、色を塗っている間中シロは少し不機嫌そうだった。どうやら、色を塗っているうちに自分でも「何か違う」と思いだしたようだ。
あるいは、俺たちが「二枚目より一枚目のほうができがいい」と言ったせいなのかもしれない。
「やっぱり、一枚目のほうがいい。二枚目からは、人に見せたくない」
「でも……俺がいちゃだめだろ」
これは、紅お嬢様のアピールするための絵なのだ。
間男的な俺が描かれている絵など、愛人選びの場に提出できない。それを説明しても、シロはやっぱり納得できないみたいだった。
「ほら、二枚目をちゃんと完成さえてくれ。お前の絵は、すごくいいんだから」
俺の言葉に、シロの手が止まる。
シロは、俺のことを疑うように見た。
「過去の自分は、英雄を殺せなかった……」
ぼそり、とシロは呟く。
シロはシロなりに、俺の世界を救えなかったことに思うところがあったらしい。
「それと、おまえの絵の出来は違うだろ。おまえは良い絵を描けるし、この絵も一枚目と同じぐらいに良い絵にできるはずだ」
二枚目も悪い絵ではない。
ただ、一枚目の情熱を超えられていないだけだ。
「良い絵になるだろうか?」
シロは、少しばかり不安げな顔をしていた。
彼には、二枚目に一枚目を越えさせる自信がないのだ。でも、俺はシロならばできると思った。
絵なんて自分では描いたこともなくてシロのことも良く知らないのに、彼ならばできるという自信がなぜか俺にはあった。
「描いてみてくれ。俺は、見てみたい」
シロは、再び筆を取る。
その目は、きりっとつり上がっていた。呼吸さえ邪魔だとでも言うふうに、シロは着実に絵に色をつけ始める。俺は、後ろからそれを見ていた。
不思議な光景だった。
絵の中の紅お嬢様は、どことなくのっぺりしていて色気はあまりなかった。
なのに、シロが肌の色を少しずつ着色すると驚くほど絵が立体的になった。頬にうっすらと赤が入れば、それが恥らう表情に見えてくる。髪は艶やかになり、肌の白とのコントラストが綺麗だった。
色気というぶんには、まだ一枚目のほうが上だ。
でも、二枚目には一枚目にはない不思議な魅力があった。
二枚目の紅お嬢様の体は少年と少女の間のような未成熟さがあり、それを彩る髪の艶は一枚目よりも二枚目のほうがあでやかだ。
俺は二枚目の紅お嬢様の絵は妖精のようだ、と思った。現実味が少し薄くて、綺麗なものだけをぎゅっと詰め込んだ幼い妖精。
「これ……どうだろうか?」
シロは、俺に尋ねた。
俺は、絵を見つめていた。
正確には、目を離せなかった。一枚目の絵には率直な色気があり、二枚目には清廉さあった。その清廉さが、紅お嬢様を妖精のように思わせていた。
「……すごく、良いと思う」
正直な話、俺は二枚目の絵のほうが好きになっていた。
「良かった」
シロは、とても小さく呟いた。
だが、その表情は柔らかい。おそらくは、無事に描きおえたことに安堵しているのであろう。そして、次の瞬間にはシロは寂しげに目を細めた。
「これって、これで完成なんだろ?」
「ああ……だから、もう手を加えられない。それが、さみしい」
シロは、筆をおく。
ことん、と響いた音でシロと絵の蜜月が終わった。
気のせいか、絵の中の紅お嬢様が寂しげな顔をしたような気がした。もう、この紅お嬢様はシロによって手を加えられない。そのことを絵の中のお嬢様が、寂しがっているような気がしたのだ。
「絵の中の紅お嬢様も、きっとさみしがっているな」
俺の言葉に、シロは目を見開いた。
俺が、そんな言葉を言うとは思わなかったようだ。
「……ありがとう」
何故だか、シロはそんなことを言った。
「絵の中の人物が生きているように感じてくれたのならば……それは絵描きへの最高の賛辞だ」
シロの顔は、相変わらず寂しそうだった。
けれども、どこかに誇らしさがあるように感じられた。
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