第7話秋葉系の皇帝と法術美人
シロは、ささっと紅お嬢様の裸の下書きをすませた。
本当にあっという間のことで、俺も紅お嬢様もあっけに取られてしまった。下書きが完成すれば、もうシロは紅お嬢様に興味をなくして本番用の紙に意識を集中させている。
じっと真っ白な紙を見つめて、シロは無言で床に正座をしていた。ぐぐぐっと姿勢を前のめりにして、まるで何かが降りてくるのを待っているみたいだ。
「心配してたけど……いい絵描きみたいね」
シロの姿を見て、居住まいを正した紅お嬢様は呟く。
「まだ、本番の絵を描いていないのに?」
「シロは絵に集中してる。楽しんで描いている」
そういうのがよい絵描きなのよ、と紅お嬢様は言った。
突然、シロは迷いなく墨で線を引いた。その線が紅お嬢様のどの部分になるのかは分からないのに、次の線が書き足される瞬間にはそれはもう人間の体の一部だった。
線が書き足されるたびに、シロの頭の中身が分かるような気がしてくる。
どんなものが描きたいのかが、何を表現したのかが、克明に紙の上に現れていく。
紙の上にあるのは、もう線ではなかった。
紅お嬢様の肉体だった。
「……色が足りない」
ぼそり、とシロは呟く。
そして、ギラリと俺を睨んだ。
床から立ち上がり、幽霊のようにふらりふらりと歩いて俺に近づく。
「絵の具、買ってきて。藍色の」
「ちょっと待ちなさい!藍色は高いから駄目よ!!」
パトロンの紅お嬢様に言われて、シロはちょっとふてくされた。
「じゃあ、青いのでいい」
適当に買って来い、とシロは俺に命令した。
「俺は画材のことは分からないぞ」
「画材屋さんで、青い色を出す鉱物をくださいといえば買えるわよ。ほら、お小遣いをあげるから買ってきなさい」
紅お嬢様は、俺に金を持たせる。
どうやら、俺がお使いに行くことは決まったらしい。
「画材屋の道なんて、俺は知らないからな」
「だったら、人に聞きなさい!」
もっともなことを紅お嬢様に言われる。
その紅お嬢様は、俺のようにシロが描く線に見入っていた。俺は初めて、シロのことがすごいと思った。
そして、これはエロではないと思った。
描かれた本人にでさえ、黙って見入るような作品は芸術だ。紅お嬢様には、自分の絵が仕上がる瞬間を見て欲しい。
俺は、そう思って宿を出た。
町は相変わらず賑わっているが、その賑わいはどうやらさっきとは違って一箇所に集中しているような気がする。
祭りが行われるというから、何か催し物があるのだろうと思ったのだ。俺はこの世界に来てまだ数時間程度だから、学ぶためにも催し物を見ようと思った。
「でっか……」
人々が集まっていたのは、宮殿だった。「宮殿のような」ではなくて、まさしく宮殿である。建物の色が赤色なのは、縁起とかの問題なのかもしれない。その真っ赤な建物に人々は集まって、熱狂しながら空に向かって拳を突き上げている。
バンドの野外フェスみたいな光景だった。
俺は宮殿から、笛とか太鼓とかを従えた歌手が出てくるのではないかと期待した。
だが、出てきたのは一人だけ。
金と銀と赤で出来た悪趣味な衣をまとった男が一人だけで、宮殿のバルコニーから出てきた。中華風の建物にバルコニーもないと思うが、建物に詳しくない俺は中国風の建物にくっついているバルコニー的なものをなんて呼ぶか分からない。ベランダなのか?
「皇帝!!」
誰か一人が叫ぶと、宮殿に集まったほとんど全員が「皇帝」と叫んだ。ものすごく売れているバンドだって、こんなふうなエールはもらえないだろう。それぐらいに、激しい叫びだった。
「って、あれが皇帝なのか!」
俺は耳を塞ぎながら、バルコニーから手を振る皇帝を見る。
皇帝は、おっさんだった。
四十代ぐらいで、メガネをかけていて、肥満体。俺の世界では、秋葉で出没しそうな外見である。あれで、リュックをもっていたら完璧だ。
「……カミサマ、あれが皇帝なのか?」
『ああそうだ。あれがこの世界の英雄だ』
でもって、一年に一度は愛人を集めている変態。
紅お嬢様は、あいつの愛人になりたがっているのである。紅お嬢様は父親にそれを止められたというが、大事なことだからもう一度言おう。
俺だって、あんなキモイオタクの愛人になりたいと娘や妹が言い出したら止めるわ!
だが、この皇帝は民衆には熱狂的に支持されているらしい。しかも、男性より女性のほうに人気があるようだ。彼女たちは老いも若きも「きゃー!」と甲高い悲鳴を上げて、大興奮している。
もしかして、この世界では皇帝の姿がカッコいいとされているのだろうか。美の基準なんて国ごと時代ごとに変わってしまうものだし、この世界では皇帝みたいな容姿が美男子とされるのかもしれない。
「きゃー、近衛兵様たちよ」
皇帝の後ろから登場したのは、たくましい兵士ではなく着飾った美女軍団であった。近衛兵は別の場所にいるのかと思いきや、それらしい人影はまったくない。だとしたら、あの美女軍団が近衛ということになる。
着飾った美女たちの囲まれる、オタク風の皇帝。
うらやましいを通り越して、ばかばかしくなる。
大丈夫なのか、この国は。
美女の一人が前に出て、空中に向かって扇を投げ捨てる。
てっきり集まった民衆に拾わせるのかと思ったら、その扇は突如燃え上がった。その炎は、鳥に形を変えて大空に舞い上がっていく。宮殿に集まった人々の拍手は鳴り止まなかったが、俺は顎が外れそうになっていた。
「な……なぁ、もしかしてこの世界には魔法があるのか?」
俺は、カミサマにたずねた。
この世界の科学技術が部分的にとんでもなく発展していなければ、あれは魔法であろう。
『違うぞ、この世界では法術と呼ばれている。この世界では豪族の女しかもたない力だな』
カミサマは悪びれもなく答えるが、俺にとっては魔法も法術も同じものだった。ちなみに、俺やシロはそれを使えないらしい。
「あの近衛は、全員が法術使いなんだな?」
科学では説明つかない攻撃手段があって、相手は皇帝で、一体俺にどうやって皇帝を殺せというのだろうか。俺の考えを無視して、カミサマは話を続ける。
『そこまでは分からないが、女で固めている以上はそれ以上の答えが見つからないな』
そもそもこの世界で法術が使えるのは女のみだ、とカミサマは言う。
『皇帝は、男でありながら女たちを纏め上げて竜を打ち倒した。だから、皇帝となり、ついに英雄となった』
どうやら、皇帝は竜殺しの英雄だったらしい。
そこらへんの事情がいまいち飲み込めていないので、俺は一度宮殿を出た。どこかに子供用に絵本とかが売ってないかと思ったのだ。皇帝があれだけ大人気ならば、子供用の「皇帝の大冒険」的な絵本が売っていると思ったのである。
結果的に、絵本は簡単に見つかった。
だが、問題が一つ。
「字が読めない……」
書いてある文字は漢字に近いのだが、基本的に見たことがない文字だ。たまに本当に漢字そっくりの文字もあったが、意味合いがだいぶ違うようだ。
『そういえば、シロは現地の人間になにか尋ねるときは絵を描いたりしていたな』
「それは文字が書けないし読めないから、苦肉の策だったんだろ」
シロの絵が上手くなった原因が判明した。
必要に迫られてのことだったのだろうが、世界を渡り歩いていたのならば文字を覚えるよりも絵で内容を他人に説明するほうが楽だったのかもしれない。
「シロは……こういうの長いのか?」
『こういうのというと、英雄殺しのことか。長いぞ、元の人格を消してしまう前の話になるがあいつは何千という英雄を殺してくれた』
得意げなカミサマの言葉に、俺は引っかかっていたことを質問した。
「その元の人格って、俺の世界にいたシロのことか?美大生の」
『ああ……。残念ながら、あの人格は使い物にならなくなってしまってな』
俺は、定食屋に来ていた美大生を思い出す。
あの美大生は、ごく普通に見えた。今のシロのほうが、たぶん人格的には問題がある。
『元の人格は、英雄を殺すことを拒否して……英雄を見逃してしまった』
カミサマの言葉に、俺の脚は止まった。
「シロが……英雄を殺さなかった?」
それは、俺の世界でのことなのだろうか。
そうたずねると、カミサマは笑った。
『そうだ。誰かが英雄を殺さないから、世界が壊れる。シロの元に人格は、その役割を放棄した。私はお前が考えていることなんて、お見通しだ』
ぎくり、とする。
俺は英雄を殺すことなんて出来ない、と考えていた。
だが、俺が殺さなければ――この世界が壊れてしまう。ここにいる人々は、母や雪のように死んでしまう。俺は、震える手を握り締めてごまかす。
「……シロは、どうして役割を拒否したんだ?」
『拒否をしたのは、シロではなくて元の人格だ。……私にもミスがあったんだ。あいつを人の形に作ってしまったから、あいつは人の心理を学習してしまった。同属を殺すことを嫌悪する心理を学習したあいつは、英雄を人間とみなした。そして、英雄の甘言に乗せられて希望を持ってしまった。自分が殺さなくとも、世界は死なないかもしれないという希望を』
希望なんてものは英雄が世界を渡ってきた時点で失われている、と続ける。
『シロの元の人格は希望を信じて――世界を壊して……これ以上の英雄を殺せないと拒否した。だから、人格を消して体と記憶を再利用した。以前の人格と今のシロの行動が食い違うのは、そのためだ』
今のシロには、元の人格の記憶がある。
だが、記憶があるだけなのだ。
生まれたての子供に成人男性の回顧録を見せて、肉体を無理やり強化したようなものなのらしい。行動に問題があるのは、そのせいのようだ。
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