第6話お嬢様のヌード騒動
お嬢様が俺たちを案内したのは、そこそこのレベルの宿であった。
安宿というわけではないが、とびっきり豪華なというわけでもない。何故分かるのかというと、百メートルぐらい離れた場所に超がつくほど豪華そうな宿があり、そこの前を通ってきたからであった。
宮殿かと思うほど豪奢な宿は、地方の豪族が泊まるときに使用されるらしい。今回の愛人祭りでも、大金持ちの娘や豪族などは家族共にそちらの宿を使用しているらしかった。
馬車から宿へと移動する客がちらりと見えたのだが、その光景に俺はあっけに取られた。俺はお嬢様を結構な金持ちだと思っていたが、馬車から降りてきたのはお嬢様以上のご令嬢であった。
もうどやって結っているのか分からないほど複雑に編みこまれた髪には豪華絢爛な簪がいくつも刺さっていて、着ている衣服は鮮やかに染められているだけではなく金糸で刺繍まで施されていた。
妹を持つ兄として、女の子がお洒落にこだわるのは理解できる。妹の雪も小学生のくせに、毎日二十分以上かけて髪を結っていた。だが、馬車から降りてきた令嬢のお洒落は、きっと二十分じゃすまないものだろう。
あの人も、皇帝の愛人候補だったのだろうか。正妃を募集ではなくて愛人の募集でも、あれだけの金持ちがやってくるということは、この世界の権力はきっと皇帝に全て集まっているのであろう。
お嬢様が案内した俺たちのそこそこの宿は、宮殿のような外見ではなかった。だが、明らかに隣の建物よりも大きく、外壁も綺麗だ。建物の周囲には花も植えられていて、宿の使用人と思われる少女たちが水遣りをしていた。
微笑ましい光景ではあったが、俺とシロはこの宿に泊まるにはふわさしくない身分の格好であったので睨まれた。シロはいたって平気そうだったが、同い年ぐらいの女の子に睨まれるのは俺にはちょっと辛い。
「ここが、私の部屋よ!」
ばん、とお嬢様は部屋の扉を開いた。
部屋は四人家族がくつろいでもお釣りがくるぐらいには広いが、馬車から降りてきたお嬢様の豪華絢爛な衣装を見た後では見劣りする。お嬢様は父親の反対を押し切って首都にやってきたようだったから、このレベルの宿が精一杯なのかもしれない。
「画材はそろえてあるわ。不細工に描いたら、承知しないからね」
お嬢様の言うとおり、部屋には一通りの画材がそろっていたように思われた。なぜ、思うなんて言葉を使うかというと、俺が画材に詳しくないからだ。筆と絵の具までは分かるのだが、細長い紙とか色つきの紙とかの使い方は分からない。
「それは、表装に使う紙だ。この国の絵は、基本的に日本画と同じなんだ。あと、それは絵の具じゃなくて、ニカワ。絵の具はこっちだ」
シロが手に持ったのは、石である。あれを削って絵の具にし、動物の皮を煮詰めたニカワを接着剤代わりにして使うらしい。
「シロ、俺には言われても分からないからな」
手伝え、といわれても戦力にならないとは最初に言っておく。
美術の成績は、生徒に対してあまーいことで有名な教師でさえ2をつけたほどだ。
「じゃあ、見てろ」
シロは、絵を描くための準備を整える。
石を削ったり、ニカワを鍋で溶かしたり、襤褸布をエプロン代わりにしたりしていた。三十分もそうやって準備をしていたが、やがてシロの手がぴたりと止まった。
「お嬢様」
シロは、モデルのお嬢様を呼ぶ。
「そんな他人行事な呼び方じゃなくて、紅と呼ぶことを許すわ」
お嬢様は、椅子に優雅に座る。
その椅子だけやたらと優美だから、もしかしたら宿の備え付けではなくて持ち込んだものなのかもしれない。
「では、紅お嬢様。脱いでください」
今――シロが成人男性としては言ってはいけないことを言ったような気がする。
紅お嬢様は、呆然としていた。
この場で誰も発言しようとしないので、俺は良心の権化としてシロをぶん殴った。
だが、シロはびくりともしなかった。
それどころか、何故俺が殴ったことも分からないらしく首をかしげる。
「別に問題ない」
シロは、言う。
俺は、息を思いっきり吸い込んだ。
「思いっきり、問題あるだろう!」
なんでいきなりヌードを描こうしているんだ、と俺は叫ぶ。
シロは、こてんと首をかしげた。
「皇帝に送る絵は、ヌードと決まっている。正妃ならともかく、愛人選びなんだから効率的だろう」
「こ……効率って」
俺は、頭が痛くなってきた。
どれだけエロいんだよ、と俺は見たこともない皇帝を頭の中で罵る。
「大丈夫だ。規定により、一箇所のみ隠してもよいということになっている。つまり、股間は隠せる」
俺は、さっき拾ったナイフでシロを刺さないように必死に我慢した。
代わりに、俺は部屋においてあった椅子をシロに向かって投げた。さすがのシロも、俺が不意打ちで投げた椅子には反応できずに床に倒れこむ。
椅子がシロにあたったせいで派手な音がして、紅お嬢様は驚いたようだった。俺は、倒れたシロの胸倉を掴んだ。
「あのな!女の子の裸をそういうふうに描くのは駄目だろ!妹がいる兄の身からすればな、大事に見守ってきた妹がそういうふうに消費されるのは見てられねぇんだよ!!」
シロの表情は、変わらない。
俺が椅子を投げても、胸倉を掴んでも、怒鳴っても。澄ましたままの顔だった。
俺の定食屋に来ていた美大生も、表情が豊かなほうではなかった。
けれども、テレビを見て噴出したり、俺の母親のくだらないやり取りを聞いてあきれるような、ごくごく普通の感性と感情を持っていたはずだ。なのに――今のシロは、機械みたいに温かみがない。
「……見るなといわれれば想像で描くが、自分は見ないと描けないタイプだった」
シロは俺を振り払い、筆を持ってさらさらと何かを書き始める。
西洋画でいうところの下書きやスケッチみたいなラフな絵で、日本画でもこういうのがあるのかと俺はちょっと興味を持った。
「こんな感じだ」
シロの描いたお嬢様の絵は、本物より美人だった。絵は模写することが全てではないと美術の先生が言っていたが、シロが描いた絵を見ると今更ながら先生が言っていたことが良く分かる。お嬢様は愛人に選ばれたいという願望を持っていて、シロはその願望を的確に捉えてより美しいお嬢様を表現した。
顔だけは。
顔から下は、マッチョだった。
「……なんで、雄雄しい筋肉がついているんだ」
あまりに上手く描かれているので、これはこういう芸術的な表現であると言い切られたら俺は納得する。
「紅お嬢様ぐらいの子供の体を見たことがないからだ。だから、見たことのあるものを足した」
不本意らしく、シロは少しばかりふてくされていた。
俺は、それにほっとする。
――なんだ、感情もあるじゃないか。
「無理やり子供の肉体を想像して描いたのは、こっちだ」
やはり顔だけは美しいお嬢様の絵だが、体のほうはガリガリに痩せていた。シロいわく筋肉とか脂肪のつき方とかを調整するのが、すごく難しいらしい。
「同じ年頃の少女でも買ってきてモデルにすればいいじゃないの。皆、そうしてるわよ」
お嬢様はそういうが、俺としては無関係な少女の裸をモデルにするというのは良心がとがめる。たとえ、それが本人の了承得たものだとしても一生残るものである。安易にモデルになってくれとは言えない。
「紅お嬢様」
シロは、自分よりはるかに小さな女の子と向き合うために腰を折った。
「クロには、妹がいた。彼は、その妹のよき兄だった」
「クロに妹がいたってことは、あなたにも?」
紅お嬢様の言葉に、シロは首を振る。
自分にはいない、とシロははっきりといった。
俺の言った嘘がばれるではないかと気をもんだが、紅お嬢様は俺たちが複雑な家庭の出身だと想像してくれたらしい。
「クロは今でも、妹のよき兄でいたいと思っている。だから、路上で幼女をさらって、裸にひん剥いて、縛って、無理やり絵のモデルにするような酷いことは命令するな」
「そんなこと、私は一言も言ってないでしょうが!!」
紅お嬢様の怒りが、沸点に達した。
なぜか、俺は紅お嬢様に親近感が沸いた。たぶん、シロに手を焼く仲間が増えたからだろう。
「だったら、脱ぐしかない」
「ぐっ!」
紅お嬢様が、シロに口で追い詰められている。
段々と、シロが紅お嬢様の裸を見たいがために言いくるめているように見えてきた。
「大丈夫。股間は隠す」
そう言いながら紅お嬢様に迫る、シロ。
もう、色々と絵面的に駄目なような気がしていた。
――よし、シロを殺そう。
英雄を殺すのは良心がとがめるが、今のシロだったら割と簡単にさくっと殺せるような気がする。
『待て、待て。そんなことをしても返り討ちにされるのが落ちだぞ。なにせ、お前とシロとでは基本が違う。アリVSアリクイみたいな勝負になる』
カミサマの言葉によると、俺はまったく勝負にならずに食い荒らされるだけで終わるらしい。
「脱ぐわ」
俺がカミサマと不毛な会話をしていると、紅お嬢様が腹を決めてしまっていた。
「いっ、いいのか?一生の残るかも知れないんだぞ」
俺は後悔しないのか、と紅お嬢様に尋ねる。
「後悔なんてしない。ここで、手段があるのに何もしないほうが後から後悔するわ。私は、それが嫌でお父様の元を飛び出してきたんだから」
そう、紅お嬢様は言い切った。
すごい覚悟だ、と俺は感心していた。思えば彼女は、たった一人で絵師を探していた。十三歳ぐらいの幼さなのに、その度胸は俺や妹を凌駕している。紅お嬢様が、ここまでして愛人になりたいと願う皇帝とはどんな男なのか。
少し、興味が出た。
シロは、無言で紅お嬢様の肩に手を置く。感情がないこいつでもお嬢様の決意に胸を熱くしたのか、と俺は思って――次の瞬間に愕然とした。断りもいれずにシロは、紅お嬢様の衣類を剥ぎ取っていたからである。
「やめんかー!!」
俺は、シロと紅お嬢様の間に入った。
シロを止めるつもりだったのだが、肝心の彼は俺を避けるために後ろに下がる。俺はというと、紅お嬢様は巻き込んで盛大に転んだ。彼女を下敷きにし、気がつけばシロが脱がせようとした着物をよりきわどい位置まで引っ張っている。
「ごっ、ごめん!」
俺は手を離そうとしたが、紅お嬢様の服の飾りに俺の服がひっかかってしまって――自体は悪化した。
「あなた、善人面した悪人なの!!それともただのバカなの!!」
「事故だ、事故!!」
もう紅お嬢様の上半身は、すっぽんぽんだ。
俺は見ていないが、たぶんお子様体系だから色気はそんなにない。服の上から、想像した限りだけど。
「まぁ、これでもいいか」
シロは、筆を取った。
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