第5話愛人祭り

 怒った魚屋の親父からは、逃げることが出来た。


 だが、お嬢様から逃げることはできなかった。彼女は「本当に女なのか!?」というスピードで俺たちを追いかけ、とうとう俺たちを追い詰めたのだ。


 いや、俺たちというか……俺を追い詰めたのである。


 なさけないことに、俺、シロ、お嬢様の三人のうちで一番早くに息切れを起こしたのは俺だった。シロは俺を担ぎ上げてまで走ろうとしたのだが、人一人を担いで早く走れるわけもなくお嬢様の必殺ドロップキックの餌食になっていた。


「情けないわね。それでも、男なの!」


 追っていたはずのお嬢様まで、俺を罵る。


 自分だって情けないとは思うが、今は息切れがひどい。ひどすぎる。というか、受験生に運動能力をさせるほうが間違っている。学力上げるために筋肉犠牲にしているのぐらいは、察してくれ。


「あなたたちには、私の姿絵を描いてくれる絵師を探すって役目があるんだからね」


 どうやらお嬢様のなかで、俺たちが絵師を探すのは決定事項らしい。


『でも、これは渡りに船かもね』


 カミサマの声に「なんでだよ」とも言い返せない。


 いや、実際に言い返したのは一回しかないけど。


「クロ」


 息を切らした俺の耳を、シロは引っ張った。


 だが、シロは力加減を間違えていて、俺の耳は今にも取れてしまいそうなほどに痛んだ。


「いだっ。いだだだだだっ!」


「ここの世界の英雄は、皇帝だ」


 俺は、シロを突き飛ばす。


 正直な話し、シロの話はちっとも聞いていなかった。


「おまえは、俺に何か恨みでもあるのか!!」


「特に、恨みはない」


 シロは、真顔で言った。


 俺は、脱力する。


「カミサマ……こいつ、疲れる」


『仕方がない。人格を消したから、シロには記録しかないんだ』


 このまま、俺はシロと行動しなければならないのだろうか。


「この世界の英雄は、皇帝だ」


 俺とカミサマが喋っているのに、シロは何の躊躇もなく口を挟む。いや、シロにカミサマの声が聞こえているかは分からないが。


「あー、皇帝が英雄?」


 俺がカミサマに文句を言うために彼を邪険にしたせいなのか、シロはむんずと俺の胸倉を掴んだ。そして、まるで柔道でもするかのように俺を投げ飛ばしたのであった。


「自分の記録によれば、たいていの人間は投げ飛ばすと話を聞く」


「あほかっ!お前は、何でも力技で解決しようとするな!!」


 俺はシロに向かって怒鳴ったが、シロは俺の話を聞いているふうではない。それどころか、ほとんど無表情でえっへんと胸を張る。


「皇帝が英雄だ」


「……」


 もう、こいつが分からない。


「カミサマ、味方を交代してください。……本当に、俺はもうはついていけません」


『シロが言っていることに間違いはない。ここの世界の英雄は、皇帝だ』


 俺は、落ち着いて話を整理する。


 この世界の英雄――つまり、この世界を壊してしまう存在。


 それが、皇帝だという。


 その皇帝、たしか愛人集めのための祭りをするって言う……。


「この世界、このままいけばエロ英雄に滅ぼされるのか」


 なんか、ヤダ。


 俺の世界も英雄に滅ぼされたけど、こんな英雄には滅ぼされたくはない。


『ともかく、彼女を手助けすれば皇帝に近づくことができるだろう』


 普通に考えれば皇帝の住まいの警備は厳重だろうし、お嬢様が愛人に選ばれてくれば俺たちも皇帝に近づきやすくなるかもしれない。だが、それから俺はどうすればいいのだろうか。皇帝が英雄だと分かったところで、俺は英雄を殺せない。


「でも、絵師は見つからないし……というか、このお嬢様が愛人になれるとも思えないけど」


 皇帝が、ロリコンならばともかく普通の成人男性だったお嬢様なんて歯牙にもかけないだろう。愛人候補になってくれそうな別人を探したほうが、成功する確率が高いような気がする。


 俺が考え込んでいると、シロはトントンと俺の肩を叩いた。


 力加減を知ったか、と思ってちょっと嬉しく思いながら振り返ったが、俺の頬にシロの指が突き刺さった。シロは、さらに俺の頬に指を食い込ませる。


 おい、お前は何がやりたい。


『絵師の心配はいらないだろうな。シロは、絵をかけるはずだ』


 カミサマの言葉に、俺は顔をしかめた。


 絵を描くなんて繊細なことは、絶対にシロにはできないだろう。奴は今まで、それを証明してきたではないか。


「こいつ、たぶん筆を折るしかできないぞ」


『いいや、こいつは前の人格のときは美大に通ってからな。――私の断りなしに』


 カミサマのその言葉に思い当たる節があって、俺はじろじろとシロを見た。この高身長といい、顔立ちといい、髪の長さといい、見れば見るほど似ていて欲しくない人に似ていた。


「シロ、もしかして俺の定食屋に来ていたか?」


「記録がある」


 その言葉に、俺はため息をついた。


 間違いなく、定食屋に来ていた美大生の正体がシロだ。


「ちょっと、あなたたち!なに、自分たちだけで話しているのよ!!」


 お嬢様のことをすっかり忘れていた。


 ともかく、シロに絵を描く特技があるのならば絵師の問題は解決する。


 お嬢様が無事愛人になれるかどうか、また別問題ではあるが。


「シロ、描けそうか?」


 確認してみると、シロはうなずいた。


 シロに問題は、なさそうである。


 とりあえず、シロはお嬢様に預けておこう。そうやって置けば、面倒くさいシロの面倒をお嬢様に押し付けられる。


「お嬢様、こいつが描けるってよ」


 俺は、シロの背中をドンと叩いた。


 シロは急に振り向いて、俺の腕を掴んだ。そして、人間が曲げてはいけない方向へと俺の腕を曲げようとしていた。


「いだっ!いだだだ!!おまえは、だから何やってるんだ!!」


「背中を取られたら反撃するという記録がある」


 どこの異世界の記録だ! 


 そんな物騒な記録は、ゴミ袋に入れて捨てろ!


「あなたたち、本当に大丈夫なんでしょうね!」


 お嬢様は、俺たちのやり取りを見て不審がっていた。俺としては喜んで指名を辞退させてもらいたかったが、そういうことにはならなかったことが残念でならない。

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