第2話英雄に殺されてしまった俺の世界
「クロちゃん、から揚げ定職一つね」
「俺は、さばの味噌煮」
実家である定食屋は、昼時になれば今日もおっさんたちでいっぱいになる。
俺はなじみ客のおっさんたちに「はい、少々お待ちください!」と元気いっぱいに答えて、厨房にいる母親へ注文を伝えに言った。
「母さん、から揚げ一つにさば一つ。あと、いい加減に俺に休みをくれ!明日は受験だって言ってるだろ!!」
俺こと杉浦九朗は、狭い台所でせっせと定食を作っている母親に怒鳴った。
俺だって、いつも母親に対してこんな態度をとっているわけではない。
母親は女手一つで店を切り盛りし、俺と妹を育ててくれている。度胸が据わっていておっかないところもあるが、料理上手な自慢の母親だ。
だが、明日が受験日の息子を捕まえて、店を手伝わせるのは何かが違うのではないだろうか。
世の母親ならば、こういうときは夜ご飯にトンカツを用意して「しっかり勉強しなさいよ」の一言ぐらいは言ってくれると思う。普通の母親にあんまり接点ないから、分からないけど。
「仕方がないでしょ。今日はパートの河出さんが、これなくなっちゃんたんだから。それにこれぐらいの勉強不足で落ちるんだったら、今からいくら勉強しても無駄よ」
ぐさり、と母親は受験生の心をえぐった。
俺は立てないぐらいのダメージを負って床に座り込んだのだが「床に手をついたんなら、手を洗ってアルコール消毒までしなさい!」という母の怒号が飛んできた。
母の定食屋は本当に小さくて、五組の客が入ればいっぱいになってしまう。
それでも母ひとりで切り盛りするのは大変なので、普段はパートのおばちゃんこと河出さんがきてくれている。
でも、今日に限って河出さんは風邪を引いてしまって休んでしまった。そのため、受験のために高校が休みになっていた俺に白羽の矢が立ったのである。
「さっさとお店のほうに行きなさい。雪ちゃんに店番させるわけには行かないんだから!」
母が、雪ちゃんと呼ぶのは俺の妹だ。
俺とは歳が離れていて、まだ小学生。母の教育方針「子供には家の仕事はさせるが、職場の仕事はさせない。
ただし、高校生からは可」にしたがって、今は二階にある住居スペースで俺たちに代わって家事をしてくれているはずだ。
俺も、小学生が店に立つのは反対だから母親に文句を言うつもりはない。
お客さんのなかには雪の姿を見て喜ぶ人もいるだろうが働くということは大変だし、小学生や中学生がすることではないと思うのだ。
本当は、家の仕事も妹にはあまり押し付けたくはない。
小学生なのだから友達と思いっきり遊んでほしいが、妹が家事を手伝ってくれないと俺の勉強時間が本当になくなってしまうので言えない……。
しぶしぶと立ち上がった俺は、母親に命じられた通りに手を洗い、飲食店勤務に相応しくアルコール消毒まですませてから客席のほうに戻った。
「いらっしゃいませ」
俺が厨房に引っ込んでいる間に、客が一人増えていた。
狭い店だし、ほとんど常連客しか来ないような店だから、客は俺が案内しなくとも勝手に席に座る。たまに勝手に相席までしている。その人も、俺が案内する前に空いていた席に無言で座った。
メニューはすべて壁に書いてあるから、俺がわざわざメニュー表を持っていく必要はない。
客からの注文も途切れていたので、俺はせめて明日の受験のために時事ネタだけでも頭に入れなければと店の隅っこに置いてあるテレビを見た。受験は筆記テストだけではなくて、面接もあるのだ。
間の悪いことに、ニュースでは第三次世界大戦を英雄がいかにして止めたかという話をダイジェスト的に紹介していた。
こんなことは、小学生でも知っている。だが、テレビはときよりこういう誰でも知っていることを繰り返すのだ。
五年前まで、第三次世界大戦と呼ばれる世界規模で戦争の戦争があった。
俺と雪の父親も、徴兵されて戻ってこなかった。あのまま世界大戦が続いていれば、俺も今頃は父親と同じように兵隊になって雪と母に「さようなら」を言わなくてはならなかったのだろう。
だが、五年前に英雄と呼ばれる男が現れた。
彼は武器は、何一つ持たなかった。
演説だけ――。
演説だけで、彼は世界各地で行われていた戦争の半分に終止符を打った。
今では世界大戦の名残を引きずっているのは、世界の三分の一の国々のみ。平和とは言えないかもしれないが、少なくとも俺が住む日本は平和を取り戻していた。
「しょうが焼き定食一つ」
最後に入ってきた客が、俺にメニューを注文する。昼休みのおっさんたちみたいな元気はないが、俺はこの客をけっこう気に入っていた。
うちの食堂を利用するメインの客層とは違って、彼はひときわ若い。
いつも画材の油っぽい匂いをさせて、一回だけ絵の具だらけになったカラフルな白衣を着ていたことがあった。だから、きっと近くにある大学の美大生なのだろう。
背は高く、顔立ちは整っている。
けれど絵の具だらけのカラフルな白衣を着て現れたこともあるように、着ているものや自分の格好には頓着をしていない。
無造作に長く伸ばされた髪は結わえられているときもあるが、今日はまとめられずに放置されていた。
浮世離れした芸術家という雰囲気があり、なんとなくだが格好いい。
俺には人に自慢できるような特技はないけれども、絵とかが上手かったら絶対にこの人みたいに生活していたと思う。
俺が客の注文を母親に知らせようと、厨房に向かおうとした瞬間――テレビや客の携帯がけたたましいアラームを鳴り響かせた。
『緊急速報です!現在、日本に向かってミサイルが発射されたという情報が入りました。国民の皆様は、一刻も早く、落ち着いて、地下へと避難してください!!くりかえします――』
テレビのアナウンサーが、泡食ったように叫んだ。
テレビに映る顔が普段見ているすまし顔ではない、ということに俺は恐怖を覚えた。
アナウンサーから落ち着きを奪うほどの恐怖が、空の上からやってくる。
ここらに地下鉄なんて便利なものはないし、もちろん地下空間を備えた建物なんてものもない。ミサイルが跳んできたら、俺たち全員は死ぬしかない。
俺は店でパニックを起こす客を置いて、妹がいる二階へ行こうと思った。
だが、母親は厨房にいる。
妹のところに行っていたら、たぶん残り時間に限界がきて母には会えない。だが、母のところに行ったら、妹を一人で死なせてしまう。
ニュースキャスターは「早く、早く、早く避難してください!」と泣き叫んでいた。客は店のテーブルにもぐったり、店から逃げ出したりしていた。
「くそ、くそ、カミサマーー!!」
どうせ死ぬなら、もっと時間をくれ。
家族で抱き合って死ねるぐらいの時間を俺にくれ。
俺は、今まで祈ったこともないカミサマに悪態をついた。
ぎゅっと、誰かが俺の腕を握る。
それは、美大生の客だった。
恐怖のせいではなくて、長い睫毛が震えていた。そして、彼は薄い唇を開いた。
「――ごめんなさい」
消え入るような小さな声で、彼は呟いた。
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