第5話 星霜都市にようこそ!
それからおよそ三ヶ月後の星霜歴20年4月3日。
真新しい清賢学園の制服に身を包んだ衛は、ボストンバッグ一つという身軽さで星霜都市に入った。日常生活に必要なものは全て学園側が用意してくれるらしいので、持ち物はせいぜい慣れ親しんだ装備くらいのものだ。
「どうだった? 初めての亜空間転送は」
入国審査を行うメインエントランスに向かう途中、叶恵がどこか楽しそうにそう尋ねる。
日本と星霜都市を繋ぐ転送ステーションのメインポートで出迎えてくれた叶恵は研究所から直接やって来たのか、黒っぽいシャツの上に白衣を羽織っただけのラフな格好だった。
「どうって言われてもな……。あえて言うなら、あの身体を分解される感覚がなんとも言えず気持ち悪い」
「やはりそうか。だが、都市内でも亜空間転送を使う機会は多い。早く慣れることだ」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる叶恵を見て、衛は嫌そうな顔でため息をつく。
亜空間転送とは、ウィニスが開発した移動手段の一つだ。大まかな仕組みとしては、まず対象の身体をスキャンした後、当該データを転送先に送信。その後、量子変換技術を用いて身体を分子レベルまで分解し、亜空間を通じて転送先に送られたそれを、受信した身体データを元に復元する……ということらしい。
実際にはもっと複雑な工程を経ているそうだが、叶恵からはどうせ説明してもわからないだろうと言われてしまった。癪に障る物言いだが、事実なだけに返す言葉がない。
「けど、そんな便利なものがあるのに、なんでエントランスまでは徒歩なんだ? せめてエスカレーターくらい用意してくれてもいいだろ」
「亜空間転送ばかりに頼ると、足を使わなくなってしまうからな。筋力低下を防止するため、一定距離以下の移動は徒歩で行うようにしているらしい。星霜都市にはエレベーターはあってもエスカレーターはない。進みすぎた科学の弊害というやつだ」
そう言って、したり顔でうんうんと頷く叶恵。衛は「そんなもんかね……」と適当に相づちを打ちながら黙々と歩き続ける。
その後、さらに5分ほど歩き、二人はようやくメインエントランスに到着した。
「入国審査はあそこのカウンターだ。終わったらあのエレベーターでブロックターミナルに向かう。そこからまた亜空間転送で教育ブロックまで移動だ」
「あいよ。じゃ、行ってくる」
ボストンバッグを肩に担ぎ、衛は指示された通りのカウンターに向かう。
カウンターには鮮やかな緑色の髪をした、身長140センチほどの小さな女の子が待ち受けていた。フライトアテンダントを彷彿とさせる制服の胸元には『RINON』と書かれたプラスチック製のプレート。多分、この子の名前だろう。
「こんにちは。星霜都市へようこそ!」
ニコーっと見事なまでの営業スマイルを浮かべ、丁寧にお辞儀をするリノン。
一見すると職業体験をする小学生にしか見えないのだが、そういうわけではない。ウィニスは人間に比べ、総じて背が低いのだ。
「日本人の方ですね。滞在の目的は何でしょうか?」
「今日から清賢学園に入ることになってるんだが……」
「清賢学園の生徒さんでしたか! それでは入国パスを確認致しますので、こちらの画面に……ひ、人差し指、を……!」
手早く操作を済ませたリノンが画面をくるりとこちら側に向け、長方形のタブレットを両手で掲げる。
……つま先立ちで、ぷるぷると震えながら。
「……普通にしててくれ。こっちが屈むから」
「うぅ……すみません。では、お言葉に甘えて……」
申し訳なさそうにしゅんとするリノンに苦笑しつつ、衛は少しばかり腰を落として人差し指で画面にタッチする。「ありがとうございます!」とすぐに営業スマイルを取り戻したリノンは再びタブレットを操作しようとし、
「え……?」
画面に表示された結果を見て、思わず目を見開いた。
「……何か問題でも?」
「あ、いえ。すみません。Sランクのパスを実際に見たのは初めてだったもので……」
「Sランク?」
「はい。星霜都市への入国パスにはS~Cまでランクがありまして、滞在可能日数や入国審査の項目に違いがあるんです。Sランクは滞在可能日数無制限で、再入国時の審査も不要になります。これを持っている人は10人もいないので、つい驚いてしまいました」
「そうなのか?」
「とっても貴重なものです。登録されたのは……3年ほど前みたいですね」
タブレットを操作しながら感心したような声でそう言うリノン。
3年ほど前。その一言で、衛はおおよその事情を理解した。
「なるほどな……」
「? 何か心当たりが?」
「まぁな。で、結局入国審査は通過ってことでいいのか?」
「はい、もちろんです! 良い学園生活を!」
「ああ、ありがとう」
ニコニコ顔で手を振るリノンに軽く手を振り返すと、ボストンバッグを担ぎ直し、叶恵の待つエレベーターの前へ。退屈そうに一人タバコをくゆらせていた叶恵は、待ちくたびれたといった様子で肩をすくめた。
「随分と時間がかかったな。早速ナンパでもしていたのか?」
「そんなわけあるか。Sランクのパスに驚かれただけだ」
「ああ……そういうことか。Sランクは私を含め、数名しか所持していない。無理もないだろう」
タバコの吸い殻を携帯灰皿に押し込みながら、さもありなんといった感じで頷く叶恵。
「知ってたのか? 俺のパスのこと」
「ああ。おかげで編入手続きは実にスムーズだった。彼女の計らいに感謝だな」
「……登録したのは、やっぱりニコラなのか?」
「他に誰がいる?」
「だよな。しかし、あいつと過ごしたのはたかが一年ちょっとだってのに……俺も信用されたもんだ」
そう言って、にっとおどけたような笑みを浮かべる衛。だが、その声にどこか自分を卑下するような響きがあることを、叶恵は聞き逃さなかった。
「その信頼に応えられない自分が不甲斐ない、か?」
「……別に、そういうわけじゃ――」
「だとしたら、それは自惚れだ。お前一人の力でどうにか出来ることではない。彼女を救うためには、多くの者の力が必要だ。清賢学園はそのための第一歩でもある」
「……わかってるよ、そんなこと」
そんな会話を交わしている内にエレベーターが到着し、すっと滑らかに扉が開く。衛は感傷を振り払うかのように軽く頭を振ると、すぐそれに乗り込んだ。
やや遅れて叶恵が続き、扉が閉まる。ほどなくして、全身が軽い浮遊感に包まれた。
(静かだな……駆動音すらしない……)
星霜都市のエレベーターの静音性に驚きつつ、天井から降り注ぐ淡いオレンジ色の光をぼんやりと眺める。すると、
『護堂衛様、星霜都市へようこそ』
突然、どこからともなく女性の声が聞こえてきた。恐らく機械による合成音声だろうが、人が話しているのかと錯覚するほど滑らかな口調だ。
『ブロックターミナルに到着するまでは少し時間がございます。その間、星霜都市について一通りご案内させて頂いてもよろしいでしょうか?』
「あ、ああ……頼む」
『かしこまりました』
合成音声がそう告げるや否や、ふっとエレベーター内の照明が落ちる。そして、360度全方位に様々なデータが表示された。
『星霜都市は太平洋上空、高度約8000メートルに浮遊する人工島です。面積はおよそ1万平方キロメートル。人口は星霜歴20年1月時点で約2万人。その内、人間の居住者は約1割程度と推測されます』
衛の眼前に表示されていた『星霜都市概略』のデータが左に流され、右側から別のデータがやって来る。ちらりと横目で叶恵を見ると、彼女は衛のほぼ真横に表示されているデータを興味深そうに見つめていた。全方位に様々なデータを表示したのは、今更案内など必要ない叶恵に対する配慮だったようだ。
『星霜都市は星霜結界により外界と隔絶されており、航空機等で立ち入ることは出来ません。現在、正規の入国ルートは新成田空港に隣接された転送ステーションからの亜空間転送のみとなっております。出国も同様ですが、現時点で出国を認められているのは人間のみ。ウィニスが地上に降りることは原則として禁止されています』
『なお、星霜都市は当初、特別行政自治区として日本政府の管轄下に置かれていましたが、星霜歴5年10月18日、国連から独立国家として承認され、同時に日本政府と正式に国交を樹立しました。星霜都市は特別行政自治区時代に付けられた呼称であり、既に広く定着していたことから、現在も継続して使用されています』
続けて、また別のデータが表示される。
『星霜都市内の公用語はウィニス語、及び日本語です。地球漂着時、もっとも近い距離に位置していた日本とは幸運にも良好な関係を築くことができ、これまで多くの人的、物的交流が行われました。日本語教育はその一環として実施され、地球漂着後に生まれたいわゆる第三世代のウィニスには日本語教育が義務づけられています』
『また、宇宙漂流時代に生まれた第二世代も日本語の学習に意欲的であり、昨年行われた調査によれば、全体のおよそ68%が日常会話レベルの日本語を習得している模様です』
「幸運にも……ね」
合成音声の馬鹿丁寧な説明を腕組みして聞きながら、衛はぽつりと独り言を漏らす。
ウィニス達が地球に漂着した時、その人口は一万人足らずだったと言われている。しかも、その半数以上は非戦闘員だ。いくら進んだ科学技術を持つとはいえ、武力衝突は是が非でも避けたかったに違いない。彼らが戦争を放棄し、独自の軍隊を持たない日本と初めに接触したのは、恐らく偶然ではないだろう。
『続いて、星霜都市内部についてご案内します。足下をご覧下さい』
「足下……?」
妙な指示に内心首を捻りつつ、すっと目線を下げる。
足下から、にょきにょきと小さなビルが生えてきた。
「うぉっ……!?」
反射的に飛び退いてそれを躱すが、飛び退いた先にもさらに別の建物が生えてくる。
次々生えてくるミニチュアサイズの建造物を避けるために、奇妙なタップダンスを踊る衛を見て、叶恵はおかしそうにくすりと微笑んだ。
「落ち着け、衛。それはホログラムだ」
「ホログラム……!?」
足を止め、近くにあったビルの一つに触れてみる。指先には何の感触もなかった。
「本当だ……」
「光沢や質感まで実にリアルだからな。お前が間違うのも無理はない」
そうこうしている間に、建物だけでなく道路や自然、さらには生活する人々までもがミニチュアサイズで再現されていく。木々のざわめきから歩行者の表情に至まで丁寧に作り込まれたその映像に、衛は思わず目を見張った。
『星霜都市は最大の面積を誇る居住ブロックを中心とし、公共、教育、産業、商業、合計五つのブロックで構成されています。ブロック間の移動は通常、亜空間転送により行われており、二四時間自由に移動が可能です』
説明に合わせるように、足下のホログラムがブロッグごとに一つ一つ色分けされる。
北に公共ブロック、東に教育ブロック、西に産業ブロック、南に商業ブロックが配置されており、それら四つが中央にある居住ブロックを取り囲んでいる形だ。
『各ブロックの詳細については別途お問い合わせ下さい。以上で案内を終了致します。ご静聴、ありがとうございました』
合成音声がそう告げると同時に浮遊感が消失し、身体が少し重くなった。
どうやら、目的地であるブロックターミナルに到着したらしい。
「さぁ、ここからはまた亜空間転送だ。一人でも出来るよう、早く手順を覚えろよ」
どこか楽しそうな声でそう言って、一足先にエレベーターから降りる叶恵。
衛はうんざりした顔でため息をつくと、やや重い足取りでその後に続いた。
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