第4話 星霜都市へ②
さすがというかなんというか。
その後に運ばれてきた料理は、どれもこれも絶品だった。
一流の腕を持つシェフが厳選された食材だけを使っているため、当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも高い料金を払うだけの価値はあると思う。ここ最近は家畜と大差ない悲惨な食生活を送っていたため、なおさらそう感じた。
「ここは私のお気に入りの店でな。どうだった?」
「美味かったよ。さすがは三つ星だな」
「だろう? やはりここのドクターリッパーは最高だ……」
「いや、料理の話だからな!?」
恍惚とした表情でグラスの中の液体を見つめる叶恵にツッコむ。ここまでくるとほとんど中毒患者だ。一度、医者に連れて行った方がいいかもしれない。
「で? そろそろいいんじゃないか?」
ナプキンで一度口元を拭ってから、衛は真剣な眼差しでそう切り出す。
「ん? いや、もう二、三杯……」
「飲み物の話じゃない! いい加減、ドクターリッパーから離れろ!」
「冗談だ。そうカリカリするな。偏った食生活でカルシウムが足りていない証拠だな」
「……もう帰っていいか?」
衛がどんよりした声でそう言うと、叶恵はすっと席を立ち、こちらに目配せをした。
ついて来い、ということだろう。衛も仕方なく席を立ち、叶恵の後に続いて一面ガラス張りとなっている東側の壁の前まで足を運ぶ。
眼下には人工の光が形作る、星空も顔負けの美しい夜景が広がっているが、叶恵の視線はそちらに向いていない。彼女の視線の先は空。そこに浮かぶ半月――ではなく、月光を受けてキラキラと幻想的な輝きを放つドーム状の半球体に向けられている。
星霜都市――今からちょうど20年前、この地球に突如としてやって来た異星人、ウィニス達が暮らす空中浮遊都市。伝え聞くところによれば、彼らを乗せていた宇宙船の一部が分離、独立したものだという。
衛の目から見れば、星霜都市は生まれた時からそこにあるごく当たり前の存在なのだが、西暦の時代を長く生きた大人達の目から見れば、未だ見慣れない異質の存在らしい。それゆえ、自ら望んで星霜都市に赴く大人は極めて少ないという。
だが、隣で星霜都市を見つめる彼女は、その極めて少ない者の内の一人だった。
「衛……お前は、今の状況をどう思う?」
星霜都市から視線を外さないまま、叶恵が問う。今の状況とは恐らく、人類とウィニスの関係性についてのことだろう。
「良いとは言えないな。人間は自分達より優れているウィニスを妬み、ウィニスは数で自分達を遥かに凌駕する人間を恐れてる。お互い自分の優位性を確保することに必死で、歩み寄ろうなんて考えてもいない。だから……あんなものが必要になる」
吐き捨てるようにそう言って、衛は都市を包み込む煌びやかな光にどこか厳しい目を向ける。まるで星の霜のように見えるあの輝きこそが、星霜都市という名の由来だ。
「星霜結界か……。だが、あれのおかげで人類とウィニスは薄氷の平和を維持している」
その通りだった。互いに牽制し合う人類とウィニスがこれまで正面から衝突せずにいられたのは、星霜都市を外界から隔絶しているあの結界の恩恵に他ならない。
どのようにして星霜結界が外界からの干渉を遮断しているのか。多くの科学者が仮説を提唱しているが、その原理は未だ解明されていない。
わかっているのは、あの結界が一部のウィニスが持つ特殊能力――イクシードによるものであるということ。そしてあの結界が持続する限り、人類とウィニス、いずれの側からも相手を武力で制圧することは出来ないということだけだ。
「だが……その平和も、もう長くはないかもしれん」
叶恵が憂いを帯びた声で告げる。
「私があそこで研究を始めて10年以上……反人類思想は若い第三世代を中心として着実に広まりを見せている。このままでは、彼らが牙を剥くのも時間の問題だろう」
「それは人間側も同じだ。ウィニス排斥論者は世界中にごまんといる」
肩をすくめて答える衛に、叶恵も「そうだな」と同意する。
ちなみに、第三世代とはウィニスが地球に漂着してから生まれた者達のことだ。
「我々は一日も早く相互理解を深める必要がある。特にお前のような若い世代同士が、だ。近い将来、取り返しのつかないようなことが起きてしまう前に」
「前置きはもういいだろ。いい加減、本題に入ってくれ」
「……そうだな。歳を取ると、どうにも話が長くなる」
叶恵は一瞬、自嘲するような微笑を浮かべた後、回れ右をして衛を正面から見据えた。対する衛も自然と姿勢を正す。
「衛、清賢学園プロジェクトを知っているか?」
その問いに、衛は首を小さく横に振った。
「それなら簡単に説明しておこう。清賢学園は星霜歴20年を記念して星霜都市内に新設される高等学校だ。目的は人類とウィニスが共存する社会において活躍する人材を育成すること。そして……学生は七割とウィニスと三割の人間で構成される」
「っ……人間とウィニスを同じ学校で教育するのか!?」
驚きのあまり、思わず声が上擦ってしまう。
高等学校に通うウィニスはすべからく第三世代、すなわち人類に対する敵対心がもっとも強い者達だ。人間の学生とウィニスの学生の間で何らかの衝突が起こる可能性は十分に考えられる。ようするに、共存どころか両者の溝がより深まる危険性すらあるのだ。
「確かに相応のリスクはある。だが、逼塞した今の状況を打開するには荒療治が必要だ。そうは思わないか?」
叶恵のその言葉に、衛は俯いてしばしの間、黙考する。
これまでにも、人間とウィニスの共存を推進するプロジェクトは数多く進められた。しかし、実際に成果を上げたものはほとんど存在しない。なにしろ、それらは全て美辞麗句を並び立てただけの、リスクのない安全策ばかりだったのだ。
本当に成果を上げたいと思うのなら、多少のリスクは覚悟するべき。彼女の言うことはもっともだった。
「私は四月からそこの理事に就任することになっている。ついでに科学の授業も受け持つ予定だ」
「そりゃご苦労様。けど、このくらいの報告なら別に電話でも――」
「違う。本題はここからだ」
ぴしゃりと言葉を遮られ、衛は口をつぐむ。まっすぐこちらを見つめる叶恵の瞳は、先程までとは比べものにならないほどの真剣さを帯びていた。
「単刀直入に言おう。特待生兼指導教官として、清賢学園に来てくれないか?」
「……は?」
「清賢学園には多数の学科が設立されるが、その中の一つにSP学科がある。SP学科の特待生兼指導教官として、お前を迎えたい」
説明し直されてもまだ理解出来ず、衛は口を半開きにしたまま硬直してしまう。
特待生はともかくとして……指導教官?
「冗談だろ? 実戦経験があるとはいえ、俺は正規のSPじゃない。指導ならちゃんとした正規のSPに頼めよ」
「確かにお前は正規のSPではないが、それはお前が認定試験を受験出来る年齢でないからに過ぎん。お前の知識、技能が正規のSPに劣らないことは実戦データから明らかだ。過去に任務を共にした複数のSPもそう証言している」
「……仮にそうだとして、なんで俺なんだ?」
「そうでもない。お前も知っている通り、SPの数はこのところ減少傾向にある。手が空いていて、なおかつ十分な実績を持つSPはそう多くないのが現状だ。その上、指導する相手は人間ではなくウィニス。並のSPでは到底、不可能だ。わかるだろう?」
「……それは……」
何か反論しようと頭の中で考えを巡らせるも、返す言葉が見つからない。
ウィニスは知能、身体能力共に人間を凌駕している。相手が素人の学生であることを差し引いても、正面から戦って勝てる者は正規のSPの中にもわずかしかいないだろう。
だからこそ、ウィニス排斥論者は年々、その数を増している。この星の支配者たる地位を彼らに奪われることを恐れているのだ。
「その点、お前は違う。お前の力をもってすれば、ウィニスとも対等に渡り合えるだろう」
「そういうの、親バカって言うんじゃないか?」
「贔屓目など使うか。私は科学者だぞ?」
自信に満ちた口調でそう断言され、いよいよ逃げ道がなくなった衛はガリガリと後頭部を掻きむしる。冗談でも酔狂でもなく、自分が本当に必要とされているということはよくわかった。だが……。
「悪いけど、無理だ」
「理由を聞こうか」
「そんなの、言わなくてもわかるだろ?」
「……BD、か」
独り言のようなその呟きに、衛は「ああ」と頷き返す。
BD――またの名をSP殺し。人間のSPばかりを狙う、ウィニスの暗殺者だ。2年ほど前にその存在が確認されてから、今日に至るまで既に20人以上が犠牲となっている。常に黒い仮面を身に付けていることから、英国に伝わる邪悪な犬の精霊“Black Dog”にちなんでそう呼ばれるようになったらしい。近年、SPの数が減少しているのも、このBDの影響に他ならない。
「これ以上、奴を野放しにしておくわけにはいかない。必ず捜し出して、俺が討つ」
「仇討ち、というわけか」
そう言う叶恵の口調には心なしか棘があった。
衛は口を真一文字に引き締め、押し黙る。
「私情による殺しが正当化されることはない。たとえ、相手が犯罪者だとしてもだ」
「……なんと言われようと、俺は奴を討つ。それが、生き残った俺の義務だ」
これ以上、話をしても無駄だろう。
衛は叶恵に背中を向け、ひらひらと手を振った。
「じゃ、そういうことだから。ごちそうさま」
「またBDを捜しに行くのか?」
「ああ。手がかりはないけどな」
それでも、必ず捜し出す。
そう心中で決意を新たにしながら、VIPルームを後にしようとする。
「もし、私が手がかりを知っていると言ったら?」
叶恵のその一言で、ぴたりと足が止まった。振り返り、無言で先を促す。
「四月からSP学科に入学する新入生の一人を、BDが標的にする可能性がある。名前はライラ。ウィニスの女の子だ」
「ウィニス? 奴は今まで人間のSPばかりを狙っていたのに、なんで……」
「さぁな。だが、そもそも奴が人間のSPを標的にしていた理由自体不明だ。何らかの事情で標的を変えたとしても不思議ではあるまい」
「……まるでBDの目的を知っているような口ぶりだな」
「わからんよ。まだな」
わざわざこれみよがしに含みを持たせる叶恵。
確信は持てないが、既に何らかの情報を掴んでいるということか。
「何か知ってるなら教えてくれ……つっても無駄だろうな」
「私は科学者だ。憶測で物事を論じる気はない」
「そうかい。じゃあ別の質問だ。その情報の信憑性はどの程度なんだ?」
「確実とまでは言えない。だが、それなりに信頼できる筋からの情報だ」
「放置してはおけないレベルってことか……」
そう呟き、衛は自身のつま先辺りを見つめながら思案を巡らせる。
仮にこの情報がデマだった場合、少なくとも数ヶ月は時間を無駄にしてしまう。その間に新たな犠牲者が生まれてしまう可能性も十分あるだろう。
だが、この一年。世界中を飛び回っていたにもかかわらず、BDの行方について有力な情報は何一つ得られなかった。たとえ不確かだろうと、ようやく得た手がかりを簡単に手放すわけにはいかない。
「つまり、俺にそのライラって子の護衛を頼みたいのか?」
「そういうことだ。ただし、表向きは特待生兼指導教官として振る舞って貰う」
「なんでわざわざそんな面倒なことを……」
「まだ狙われていると決まったわけではないからな。本人に余計な不安は与えたくない。あくまで秘密裏に護衛してくれ」
「簡単に言ってくれる……」
平然と無茶な要求をする叶恵に、思わずため息が漏れる。
警戒心のない無防備な相手を護衛するのは、通常の護衛任務よりも遥かに難しい。おまけに今回は単独任務なので、当然、二四時間態勢で警戒する必要がある。
それだけでも大変だというのに、さらには指導教官まで……
想像しただけで、疲労感がどっと押し寄せてきた。
「もちろん強制ではない。残るも去るも、お前の自由だ。さぁ、どうする?」
ゆったりとした足取りで席に戻った叶恵が決断を迫る。もっとも、その表情は既にこちらの答えを確信しているかのような、自信に満ちあふれたものだった。
思い通りになるのも癪だが、ここで子供のような意地を張っても仕方ない。
衛は少しの間、目を閉じると覚悟を決め、再び叶恵の正面にどっかりと腰を下ろした。
「追加の料理……頼んでいいか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます