第3話 星霜都市へ①
星はおろか、月の光すら眩ませるネオンの光が街全体を呑み込んでいく午後7時。
都内某所に存する高級レストランを、一人の少年が訪れた。
「なんとか間に合ったか……」
黒塗りのリムジンから下車した少年はため息混じりにそう呟き、入口に向かって歩き出す。歓談していた周囲の者達の視線が、男女を問わず一斉に集中した。
一見して十代とわかる風貌や、比較的端正な顔立ちも原因の一つだろう。だが、その最大の原因は別のところにあった。
「あの……お客様」
来訪客を出迎えるため、出入口の手前で待機していた燕尾服姿の男性従業員が、入店しようとした少年を呼び止める。
「申し訳ありませんが、そのお召し物では……」
戸惑いとも困惑とも取れる表情を浮かべる従業員。
無理もない。少年の格好は、その場には到底そぐわないものだった。
上半身を包むカーキ色の野戦服は見るからに泥だらけ。その上、あちこち破けており、左肩に至ってはほとんど剥き出しの状態だ。
同色のロングパンツの裾には焼け焦げたような跡。塗料が汗で流れ落ちたのか、顔面は黒と白のまだら模様になっている。まるでたった今、戦場から帰還したゲリラ兵のような有様だった。
「大丈夫だ。靴は替えてきたから、床は汚さない」
「いえ、しかし……」
そういう問題ではない、と内心でボヤきつつ、従業員は作り笑顔を浮かべて退去を促そうとする。が、その時、
「君、待ちたまえ」
そんな彼に、同じく燕尾服姿の初老の男性が声をかけた。胸に取り付けられた金色のプレートには『総支配人』の文字が刻まれている。
「そちらのお客様は私がご案内する。お通ししなさい」
「は? ですが……」
「いいから。君は他のお客様をご案内しなさい」
有無を言わさぬ総支配人の口調に、従業員は首を傾げながらも指示に従った。
「護堂衛様ですね。お待ちしておりました」
「ああ。悪いな、こんな格好で」
「とんでもございません。では、どうぞこちらに」
総支配人の案内に従い、衛は他の客が向かう方向とは別の方向に歩き出す。
案内された先は、特別料金を支払った客だけが利用出来るという超VIPルームだった。
ただでさえ値が張ると店だというのに、わざわざこんなところまで借りて……金持ちの考えることは理解不能だ。払うのは俺じゃないからいいけどな。
「こちらになります」
そう言って一礼する総支配人に軽く会釈を返し、扉を開ける。
まず目に飛び込んできたのは、映画の中でしか見たことがないような豪奢な金のシャンデリア。床に敷き詰められた赤のカーペットはほどよい柔らかさで、足裏に心地よい。
東側の壁は夜景を存分に楽しめるよう一面ガラス張りとなっており、四隅に設置されたいかにも高価そうな調度品は、嫌みにならない程度にその存在感を主張していた。
そんな室内の中央には、四、五人で食事が出来そうな円卓が一つ。その席に腰掛けていた女性はこちらの姿を確認すると、口の端にわずかな微笑を浮かべた。
「久しぶりだな衛。しかしまぁ……ひどい格好だ」
「日程に余裕があれば、もう少しまともな服を用意したんだけどな。地球の裏側にいる俺に二日で帰国しろと言ったのはそっちだろ?」
精一杯の嫌みを飛ばしながら、衛は女性の正面にどっかりと腰掛ける。
「私も多忙でな。まとまった時間を確保出来る日は今日くらいしかなかった」
「それなら、電話でいいだろ」
「少々込み入った話なのでな。直接会って話した方がよいと判断した。それに……こういう機会でもないと、なかなか息子の顔が見られない」
銀縁の眼鏡をくいと持ち上げ、出雲叶恵は僅かに頬を緩める。実年齢は40を超えているはずだが、グレーのスーツをぴしっと着こなしたその姿は30代前半と言われても違和感がないほど若々しく、あまり母親という感じがしない。
「それで、話ってのは?」
「父親に似てせっかちだなお前は。こうして会うのはおよそ一年ぶりだ。積もる話もあるだろう? 少しは会話のキャッチボールを楽しんだらどうだ」
「なら、そっちから始めてくれ」
「研究所にこもって研究漬けの日々だった。以上」
「終わりかよ!?」
キャッチボールはどうした! 投げ返す暇もなかったぞ!
「失礼致します。お客様、お飲み物はいかが致しましょう?」
とその時、先程案内してくれた総支配人が再び現れ、叶恵と衛にメニューを手渡そうとする。だが、
「彼にはミネラルウォーターを。私にはドクターリッパーを頼む」
衛がそれを受け取る前に、叶恵は勝手に二人分の注文を済ませてしまった。
いや、高級レストランでドクターリッパーを頼むなよ……非常識にもほどがある。
「かしこまりました」
「あるのかよ!?」
深々と一礼する総支配人に思わずツッコんでしまった。
高級レストラン、恐るべし!
「つーか、もういい歳なんだからドクターリッパーはやめろよ」
「何を言う。人体の七割が水で出来ているように、我々科学者の七割はドクターリッパーで出来ているというのに」
「ああそう……」
円卓に頬杖をつきながら深く嘆息。いちいちツッコんでいたらキリがない。この辺りでスルーしておくのが吉というものだ。
そうこうしている間に、飲み物と前菜が運ばれてくる。叶恵は細かな泡が立つ紫色の炭酸飲料が入ったグラスを軽く掲げた。
「ひとまず食事にしよう。その様子では、どうせロクな食生活は送っていまい」
泥だらけの野戦服を指さされ、衛は思わず苦笑する。確かにここ一週間ほどはまともな食事を取っていなかった。
「まぁな……。んじゃ、お言葉に甘えて」
「うむ。支払いは出世払いにしておいてやろう」
「奢りじゃないのか!?」
「冗談だ」
クスクスと笑う叶恵を苦い顔で見つめながら、衛はやや乱暴にグラスを合わせた。
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