第2話 プロローグ②

「見つけたぁっ!」

「っ……!?」


 背後で急激に殺気が膨れあがり、衛はとっさにその場を離れると同時に、手にしていたライフルを振り向きざまに投げつける。瞬間、鎌のように鋭い弧を描いたライラの右足が、それを真っ二つに粉砕した。

 砕け散った破片のいくつかが皮膚を薄く切り裂く。その痛みに顔をしかめながら、衛は少しばかりの驚きをもって目の前に立つライラの顔を見つめた。


「やっと見つけたぞこのヤロー! 男のくせにゴソゴソしやがって!」

「コソコソな。にしても、よく俺の居場所がわかったな。何を手がかりに判断した?」

「なんとなく!」

「勘かよ……」


 思わず腰砕けになりそうになったが、すぐにいやと思い直す。

 情報の収集、分析も大事だが、勘といった直感的なものも、実戦においては侮れない。むしろ、見つからないとタカをくくって油断していた自分の方が遥かに問題だ。実戦感覚が鈍っているということを再認識させられてしまった。


「おい人間! さっきはよくもえらそーに上目遣いであれこれ言ってくれたな!」

「そんな気持ち悪いことするか! それを言うなら上から目線だ!」

「にゃっ!? う、うるせー! ちょっと間違えただけだ!」


 間違いを指摘され、地団駄を踏んで悔しがるライラ。彼女達若い世代は幼い頃から日本語教育を受けているはずなのだが、ライラの日本語力にはどうにも不安を感じてしまう。


(って、んなことはどうでもいい。それよりも……)


 この状況は彼女の実力を確かめるには絶好のシチュエーション。衛は格闘戦に備えてわずかに腰を落とすと、いつでも来いとでも言うようにすっと両手を広げた。


「じょうとーだっ!」


 こちらの挑発に瞳の奥で闘志の炎を燃え上がらせ、間髪入れずに飛びかかってくるライラ。何のひねりもない、正面からの突進なのだが、


(速い――ッ!!)


 その速度は、衛がこれまで対峙したどんな相手よりも上だった。瞬時に身体を捻り、繰り出された右拳をギリギリのところで躱す。だが、ライラは驚くべき反応速度でこちらの動きに反応し、空中で器用に腰を回してさらに左足を振り抜いた。


「ぐっ……!?」


 鞭のようにしなる左足を避けきれず、とっさにガード。小柄な身体からは想像もつかない威力に、右腕がじんと痺れる。衛は全身のバネを使って飛びしさり、一度ライラと距離を取った。


「あ、こら! 逃げんな!」

「別に逃げたわけじゃねぇよ」


 着地した途端、憤慨するライラにツッコむ。とはいえ、仕切り直しが必要だったことは事実。事前に身体能力が高いとは聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった。


(こりゃ、ちょっと本気出さないとやばいかもな……)


 ルーやフィオナの惨状を見て萎えていた気持ちを引き締め、集中力を高める。血の沸き立つような高揚感が全身を駆け抜け、久しく忘れていた感覚にぶるりと身体の芯が震えた。


「言っとくけど、降参するなら今のうちだぜ!」

「ご忠告どうも。けど、あんまり調子に乗ってると、足元すくわれるぞ」

「んだと~~!」


 得意げな顔でなされた降伏勧告を一蹴してやると、またしてもプンスカ怒るライラ。闘争心があるのは悪いことではないのだが、任務のことも考えるともう少し落ち着きが欲しい。その辺りは今後鍛えていかなければならないだろう。


「もう謝っても許さねーからな! ……ところで、あしもとすくわれるってどういう意味だ?」

「知らねぇのかよ!」


 じゃあなんで怒ってたんだ!?


「う、うるせー! とにかくお前のことはぶっ飛ばす!」


 理不尽極まりないセリフと共に、再び飛びかかってくるライラ。今度はステップを踏み、落ち着いて躱す。続けて繰り出された左足も、ほんの少し身体を傾けて回避。いくら速度があろうと、同じパターンなら対処は容易だ。

 問題はこの後。ライラがどのくらい攻撃のヴァリエーションを持っているか。身体が柔らかく、バランス感覚も優れているようなので、人間では考えられないような動きをしてくることも考えられる。用心してかからなければならない。


「まだまだぁっ!」


 三度飛びかかってくるライラ。ステップで躱す。繰り出された左足も軽く回避。

 突っ込んでくるライラ。ステップ。左足も回避。

 ライラ、躱す。左足、回避。


「お前、それしかないのか!?」


 四度目のループを終えたところで堪らずツッコんでしまった。まさにバカの一つ覚え。どれだけ身体能力が高かろうと、これでは喧嘩慣れしたチンピラ以下だ。


「ハァ、ハァ……なんだ、も、もうバテちまったのか……?」

「いや、バテてんのはお前の方だろ」

「あ、あたしはまだ本気出してねーだけだ! 今から本気出す!」

「ああそうかい……」


 ニートかお前は、と心中でツッコみつつ、かかってこいと手招きする。ライラはすぐさまぐぐっと腰を落とし、右足で地面を強く蹴ると何の躊躇もなく突進してきた。


「って、これじゃさっきと同じだろうが!」

「にゃっ!?」


 半歩身体を横にずらして拳を躱し、伸びてきた右腕を掴むと、流れるような動作で一本背負いを決める。そのまま間髪入れず、ライラの身体を地面に押さえ込んだ。


「くそっ……放せこのヤロー!」

「断る」


 どうにか拘束から逃れようとジタバタするライラの要求をにべもなく拒絶する。身体能力で劣っていても、体重や体格はこちらが上。いくら暴れようとも逃れられるはずがない。

 あとは相手が降参するまでこの体勢を維持するだけ――


「うがぁぁあああ!」

「ぅおっ……!?」


 と思っていた、その矢先。

 花も恥じらう年頃の乙女が発したとは思えない獣じみた叫び声が上がると同時に、突然、天地がひっくり返る。何が起きたのか、すぐには理解出来なかった。


(投げられた……いや、振り払われた? あの体勢から?)


 混乱も一瞬、すぐさま冷静な思考を取り戻した衛は空中で身体を捻り、ぴたりと両足で着地する。常人ならば為す術もなく地面に叩きつけられているだろうが、鍛え上げられた彼の三半規管はこの程度のことではびくともしなかった。


(完璧に押さえ込んだはずなんだけどな……どんな筋力してんだよ)


 内心の驚きを表情に出さぬよう努めながらライラを見て、はっとする。

 ここまでの格闘戦でボサボサに乱れてしまった彼女の赤髪。その中から、つい先程まではなかったものが新たに顔を覗かせていた。

 毛髪と同じ赤色の毛に覆われた三角形の聴覚器――有り体に言うと犬耳である。

 さらによく見れば、腰の後ろ辺りからフサフサの赤毛に覆われた長い尻尾が生えていた。


「うぅぅぅ……!」


 フーフーと荒い息をつきながら鋭い目つきでこちらを威嚇するライラ。その姿は獣じみているというよりは、ほとんど獣そのものだ。

 これが噂に聞く、ウィニスの獣化現象……!


「ガァァァァァアアッ!」


 ライラが野性味たっぷりの一声を放ち、右腕を前方に突き出す。

 途端、掌から青白い炎が噴出し、たちまち濁流となって衛に襲いかかった。


(ッ――――!?)


 久しく忘れていた生存本能が即座に警鐘を鳴らし、息を呑む暇もなく側方に身を投げ出す。身体に染みついているはずの受け身すら放棄した、なりふり構わぬ回避運動。吹き荒れた熱風に煽られ、身体のバランスがさらに崩れた。


 遮二無二地面を転げ回り、勢いを利用して素早く身を起こす。打ちつけた左肩の痛みに顔を歪めながら、衛は砂利の混じった唾を吐き出し、黒く変色した地面と、瞬く間に炭と化した木々を見つめた。一瞬でも反応が遅れていたら、今頃骨の髄まで焼き尽くされていたことだろう。

 ウィニスの特殊能力――イクシードの恐ろしさを改めて実感させられる。


「お前、俺を殺す気か!?」


 ぐりんと顔をライラの方に戻し、声を荒げて文句を言う。が、


「ぐぅあうっ!」

「ぬぉっ……!?」


 そんなことはお構いなしに、ライラは青炎を纏った右腕を躊躇いなく振り下ろしてきた。慌てて身を捩り、かろうじて直撃を避ける。彼女の炎に焼かれた空気が肌を焦がす感覚に肝を冷やしながら、衛は気を脚部に集中させ跳躍。瞬時に距離を取る。

 ライラはすぐには追ってこず、猛犬のような唸り声を上げながら殺気立った視線をこちらに向けてきた。その瞳からは、既に理性の光が失せている。


(こいつ……制御出来てないのか!?)


 一般的に、獣化の度合いはイクシードの強さに比例すると言われている。イクシードが強力であればあるほど、獣化による理性の低下も著しい。理性を完全に失った暴走状態は、周囲は勿論のこと、本人にとっても危険だ。一刻も早く正常な状態に戻さなければ。

 とはいえ、身体に炎を纏っている以上、先程のように押さえ込むわけにはいかない。そんなことをすればこちらが丸焼けだ。となると……。


(あれしかないか……)


 右足を一歩退いて半身になると、同時に右腕を引く。右手にある気孔を開放すると、全身の気が吸い寄せられるように流れ込んできた。八重歯を剥き出しにしたライラが怒濤の勢いで迫ってくる光景を他人事のように見つめながら、収集された気を圧縮。負荷に耐えきれず、次々と毛細血管が切断されていく、そのぴりぴりとした痺れを指先で感じながら、衛はまるで威嚇するかのように鋭く掌底を繰り出した。

 刹那、大気が歪む。何もないはずの空間に、かすかな揺らぎが生じる。そして、


 ――ギュォッッ!!


 炸裂。その瞬間、今まさに衛に掴みかからんとしていたライラの身体がくの字に折れ曲がり、ロケット噴射のごとく吹き飛んだ。


「うにゃ~~~!?」


 空中できりもみしながら、十数メートル先の人工池にボチャーンと落下するライラ。たちまち噴水のような水しぶきが上がり、池の上空に小さな虹を架ける。

 その光景をぼんやりと眺めながら、衛は一言。


「……やりすぎた……」


 くそ、と悪態をついて後頭部を掻き毟ってから、まだ少し痺れの残る右手を見つめる。

 ところどころ内出血して紫に染まる掌が、自分の未熟さを如実に表していた。


「やっぱ、親父のようにはいかないか……」


 ため息と共に、ついそんな呟きが零れる。と、


「にゃっ……た、たすけ……わぷっ、びゃ……!」


 水面に急浮上してきたライラが、バシャバシャと暴れ始めた。


「泳げないのかよ……」


 いくらウィニスが小柄とはいえ、人工池の深さを考えれば足が着かないはずはない。

 恐らく、パニックのあまりそこまで気が回らないのだろう。ようするに、彼女は本格的なカナヅチなのだ。

 説明好きのお喋り娘に、優柔不断な気弱娘。

 さらには、猪突猛進暴走カナヅチ娘。

 以上が清賢学園SP学科の――すなわち、これから衛の教え子となる生徒達、らしい。


(指導教官……辞退すべきだったかな……)


 後悔先に立たず。そんな言葉の頭の中で思い浮かべながら、衛はブクブクと沈み始めているライラを慌てて救出に向かうのだった。

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