第32話ふたりの夜

 夜、左目の病室の窓が叩かれる。

 

 星の明かりなんて、見えないぐらいに明るい夜だった。だが、それが珍しいことではないのだと左目は最近になって気がついた。自分が住む街の明かりは、いつもキラキラと輝いて夜の闇をどこまでも照らしている。だから、星をいつも見せない。

 

 そのことに気がついたのは、自分の前に吸血鬼が現れてから。


 彼と一緒に過ごしているうちに、自分の街には星がないことに気がついた。


 左目は、叩かれた窓の鍵を開ける。




 そこから、さっと入ってきたのは明知であった。




 長い髪を風に揺らす長身の吸血鬼は百年も生きているくせに、未成年の左目よりも身軽だ。吸血鬼だから運動神経がすぐれているとか、そういう問題ではない。


 明知は、どこにだって行ってしまえるような気がする。


 気が向いた、それが理由で「ふらり」と消えてしまうような気がする。一方で、左目はまだ未成年だから学校や寮という色々なものに縛られている。「ふらり」と消えた明知を追いかけることはできない。


「お加減いかがですか、左目さん?」


 明知は、微笑む。


 優しい顔だった。


「よかったら、入院なんかしているか」


 左目は、わざとらしいほどにため息をつく。


 実際のところ、左目の診断結果は貧血と疲労である。大仰な病名などはなく、休息を取れば回復する。だから、心配するようなことはなにもない。


「……」


 だから、大丈夫。


 そう伝えるために、左目は首筋を曝すためにパジャマのボタンを一つ外そうとする。明知は、それを止めた。左目の手に触れる明知の指は、とてもひんやりとしていた。


「なにやってるんですか?」


 怖い顔で明、知は尋ねる。


 さっきまでわざとらしいほどニコニコしていたのに、今の顔はすごく怖い。


「血が欲しいかと思って」


 違う。


 本当は、吸って欲しかった。



 自分の首筋に牙を立てて、直接血を吸って欲しかった。そうすれば、この瞬間に自分は彼を生かしていると実感できる。とても、強く実感できる。実は、その実感がちょっと癖になっているのだ。


「病人からは、吸えません」


 明知の喉が動くのが分かった。


 まだ、自分に飢えている。


 そのことに安心する自分がいることを左目は確信する。


 間違いなく、たまらなく、左目は明知のことが好きだ。明知が他の愛人から血をもらっていることに嫉妬しているし、たとえ自分の体調が悪化しても吸って欲しいと思う。


 でも、この感情は明知にはきっと重荷だ。


 吸血鬼のいう愛人は、人間の感情が抱く愛人とは違う。


 血が吸っても嫌悪感を持たない――という相手。


 きっと明知が、いつかの夜に消えてしまったとしても彼は左目を連れて行ってはくれないだろう。明知にとって左目はいくらかいる愛人の一人で、そのなかで特別幼いから気にかけているにすぎない。


「なぁ、明知。今回は……その助けに来てくれてありがとう」


 左目の言葉に、明知は面食らっていた。


 左目は、その表情を意外に思う。


「おまえ、なんで礼を言われて驚いているんだよ」


「いえ、あの……私はあなたが決心したことを邪魔しただけだと思っていたので」


 たしかに、本当は明知には来て欲しくなかった。


 左目は自分などどうなってもいいから、夜鷹や知り合った人々を無事な場所においておきたかった。その知り合った人々には、明知も含まれていた。


 けれども、紫の王が灰になった後の朝日を見たときに思った。


 自分ははめ込まれた義眼のように偽者かもしれないけれども、それでも人間でよかったと思った。朝日を見ることができる人間だったから、明知に血を与えられる。あの時見た、朝日は左目にそれを実感させてくれた。


「あのな……俺は、おまえに血をやりたい。そのために、生きたいと思った。俺――たぶん、おまえのことが」


「左目さん」


 にこりと、明知は笑う。


「弦から、お土産をもらっているんです。あなたに、よかったら食べて欲しいと」


 明知は、左目に持ってきたビニール袋を手渡す。


 左目は、戸惑いながらもそれを受け取った。


 そして、その中身に左目は笑う。


「おい、これ。全部、ハンバーグのレトルトだ。俺にって、おまえの家の冷蔵庫で保管していろってことだったんじゃないのか」


「むっ。どうやら、弦にいっぱい食わされたようですね」


 明知はわざとらしくむっとして、左目は噴出した。


 ――ごまかされた、と思う。


 でも、結局はそうなのだ。


 言葉にはして欲しくはない関係。


 明知と左目の関係は愛人だから、所詮はそういう頼りない関係なのだ。


「おまえは、ずるい」


 左目の一言に、明知は首を傾げる。


 その顔があまりにも不思議そうだったので、思わず左目は言ってしまった。


「あのな……真樹が前に言ったたんだ。自分を好きな人は自分のことをよく見ているから、本当の自分って奴を知りたかったら尋ねてみたらどうだろうかって。おまえは、ずるい吸血鬼だ」


 明知は困ったような顔で、左目を見た。


 左目は、笑いながらボタンを外す。


「あなたは……困った人ですね」


 明知は、曝された首筋の香りを嗅ぐ。


 牙は突き立てない。


 本当にこの吸血鬼はずるい、と左目は思い。


 本当にこの人間は困った性質だ、と明知は笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血鬼の愛人 落花生 @rakkasei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ