第31話日常の夜
「それで――俺を現場に呼ばなかったから、おまえは大怪我。左目は入院か」
弦は、この上なく不機嫌な様子で明知のアパートに訪れていた。
ちなみに、明知相手に手土産などない。来てやるだけありがたいと思え、という態度を思いっきり前面に出していた。
明知は、そんな弦の態度に苦笑いする。
自分が、彼対して酷いことをしたという自覚はあった。きっと弦が危機に陥ったときに、自分に連絡が来なかったら明知も今の弦のように怒るであろう。
「弦……」
「謝ったら、殴るからな」
弦の言葉に、明知は黙った。
新月の夜の人狼を戦力としてカウントしなかった明知の判断は正しい。ただ弦は、それに苛立ちを感じているだけなのだ。
「おまえの判断は正しい。俺があの場にいても、足を引っ張ったかもしれない。さっきの言葉は忘れてくれ。俺がその場にいても、おまえは大怪我して左目は入院してた」
弦は、ため息をつく。
「紫の王は――ドラックの噂を使って、若者を集めていたのか。それで、集めた若者を吸血鬼に変えていた。」
弦の言葉に、明知は「おそらくは」と答えた。
「人狼、吸血鬼、人間の三種類に使えるドラックなんて、若者の間では噂になっていたでしょう」
あの店で売られていたドラックは合法の興奮剤で、店の音楽や香のかおりで客がドラックを摂取した状態になっていただけであった。あの店に何かしらの捜査が入ったとしても、紫の王は困らなかったであろう。
「左目も噂を知っていたのかね」
弦の言葉に、明知は首を振る。
「あの人は……たぶん、噂を知らなかったでしょうね」
知っていたとしたら、左目はドラックを売っている店に近づかなかったであろう。きっと左目は、学校に馴染んでいない。だから、噂を知らなかった。
「左目さんが無理に友人なんて作ろうとしなかったら、左目さんと真樹……紫の王とは一生会わなかったでしょうね」
「そして、おまえとも会わなかっただろうな」
弦の言葉に、明知は目を点にする。
「たしかに……そうですね」」
友人がドラックを買いに行く足に左目がされなければ、明知も弦も左目を追いかけるなんてことはやらなかった。
「紫の王が不在になって、紫の吸血鬼たちはしばらく荒れるかね?」
「元々まとまりがない集団です。きっと必要になったら、また誰かに決まるのでしょう」
明知は、誰が王になるか――誰が王であったに興味などなかった。
今までは。
だが、今は少し事情が違う。
ツダが、かつては紫の王だった。
紫の王が死んだことでツダの血は途絶えたが、もしかしたら彼がまた現れることがあるのかもしれない。
そうなれば、夜鷹もきっと動く。
そのとき、明知はツダをどのように見るのだろうか。ツダは人間を殺した殺人鬼で、自分の血を残すことにまだ執着を覚えているとしたら――明知はツダとどのように向き合えばいいのかまだ分からない。
前にツダと戦ったときは、ただ夜鷹の身を案じる気持ちがあった。だが、その夜鷹も自分で自分のことを決められる大人である。なにより、明知には約束があった。
「危険なことはしない――」
明知の呟きに、弦は首を傾げる。
「なんでもありませんよ」と穏やかな声で明知は答えた。
ただ左目に危ないことをして欲しくないだけだったのに、あんな互いに互いを縛る約束なんてしてしまった。
「弦。私、今幸せです」
「……おい、気持ち悪いぞ」
身震いがする、と弦は言う。
たしかに、自分はこういうことを言うタイプではなかったと明知は思う。だが、思い直してみても、自分の感情はそうとしか言えなかった。
「不自由で。だから、すごく幸せなんです」
「明知、言う必要なんて全然ないんだからな」
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