第25話進入の夜
廃墟のホテルの近くに、明知はやってきていた。目視でホテルは確認できるが、人間の夜鷹が何かがあったときに逃げることができる距離であった。
「警察は、待たなくていいの?」
車から降りた夜鷹はたずねる。
ここまでの道のりを運転してきた彼女には、とうぜん疲れはない。それでも、廃墟に吸血鬼がいるのならば人間の彼女がもっとも危険な状態となる。だから、最初から夜鷹はこの場所で明知を待つ予定だった。
それに時間のこともある。あと、一時間もしないで夜は明ける。夜鷹の車の窓には黒いシールが張られていて、内部には遮光カーテンまでついていた。ここに逃げ込めば、明知は日光からにげることができる。逃げる時間はどうしても足りなくなったために引っ張って来た夜鷹の愛車であり、苦肉の策であった。
「こんなときのために、私を配置していたのでしょう」
明知は、自らの体調を確認する。
悪くはない。
だが、絶好調というわけでもない。血が足りなすぎる。だが、誰かから血をもらおうという気にはなれない。飲んだところで、きっと吐く。
「あの時は、あなたが左目君の血しか吸えなくなっているとは思わなかったわ」
明知の弱体化は、夜鷹の想像の範囲外であった。
吸血鬼は血を吸うことの出来る複数の愛人を持つが――それは所詮は血を吸っても嫌悪感がわかない人間に過ぎない。本当に一人を愛しいと思ってしまえば、それに気がつき愛しい人間以外の血が「普通の血の味」に感じてしまう。そんなもの飲み干せるわけがない。
「でも、あなたの能力は初見では予測しづらいでしょ」
「というより、現代の能力持ちの吸血鬼が少ないだけです」
明知が吸血鬼の親から受け継いだ能力は、グールを殺すにいたらなかった。それでも、投薬で吸血鬼になる現在では能力を親から受け継いだ吸血鬼自体が少なくなった。紫の王相手には、それがアドバンテージになると信じていたい。
「それは、あなたが勝ちを急ぎすぎていて本来の使い方をしなかったからでしょう」
「……あなたは、本当にどこまでわかってしまうんですか?」
当然のように喋る夜鷹に、明知はあきれていた。
たしかに明知は、グールとの勝負を急いだ。
明知自身に戦うという経験が少なくて、ツダに負けたことが最新の戦いの記憶で――長く戦い続けることが怖かったのだ。あがいても、あがいても、結局は負けるような気がした。だから、早く勝ち負けの結果が見たいがために勝負を急いだ。
「あなたの能力については、ツダから聞いていたのよ。ツダは、私を吸血鬼に――後継者にしたがっていたから」
「後継者とは?」
明知は、尋ねる。
夜鷹は、少しばかり悔しそうであった。
「ツダは、前の紫の王よ」
夜鷹の告白に、明知は驚いていた。
歴代の王の全ての顔を、明知は知らない。特に紫の王は世代交代が激しく、ほとんどの吸血鬼が王の世代交代を正しく把握はしていないだろう。明知もそうであった。わりと仲のよい知り合いだと思っていたのに、ツダは明知に明かしてはくれなかった。
――しかたがないか。
明知は「王殺し」という物騒な名前の能力を継承した。きっとツダには、その物騒な名前の能力が恐怖だっただろう。
明知は、自分の口元を押さえた。
今は考えることではないのかもしれない。
それでも、明知には笑みが止まらなかった。
勝った、と思った。
十年前に明知は、ツダに破れた。だが、そのツダが自分の能力を恐れていた。それだけなのに、明知は勝ったと思った。
「なら、私は親からの最大の贈り物を使いこなせなかった親不幸者ですね。ツダには、本気で戦ってボロボロに負けてますし」
ああ、どうしよう。
口では悔しがっているのに、笑みがぜんぜん止まらない。
「ツダとは年齢差もあるし、あっちのほうが戦闘経験は豊富よ。第一、ツダはあなたから能力のことを色々聞いていたから」
夜鷹は、明知の笑みを見て見ぬふりをした。
「そうですね。王だと知らずに、なんでも相談していましたね。私は、間抜けです」
うれしい、うれしい――今だったら、一生分の笑みをここで消費してしまいそうだ。
「間抜けっていっているのならば、少しは残念そうな顔をしないさい。……本当に、弦は呼ばなくていいのね?」
「はい――。いってきますね、夜鷹」
明知は、夜に姿を消す。
夜鷹が視線を向ける方向には、もう廃墟になって長いホテルがあった。
それを見ながら、夜鷹はため息をつく。
「本当は……私だって吸血鬼になりたかったのよ」
かつてツダは、夜鷹を紫の王にしようとした。
紫の王にするために、夜鷹を育てていた。調停機関やあらゆる場所に根回し、夜鷹を自分の側においてまで紫の王にしようとした。
ツダの計画が瓦解したのは、彼自身の血が人間の毒になると知ったからだ。ツダの血を飲んだ人間は、一人残らず死んでしまった。
偶然かもしれない。
薬を使わずに転化した人間は、死ぬ確立があった。
だが、ツダはそれを恐れた。
夜鷹が自分の血で死ぬことを恐れて、夜鷹を吸血鬼にはしなかった。自身の血に本当に問題があるのかを確かめるために、ツダは手当たり次第に人間に血を飲ませて殺した。
きっと、ツダの血は腐っていたのだ。
あまりに長く生き過ぎたせいで、ツダの血はどうしようもないほどに腐っていたに違いない。だから、人間は耐え生きれなかった。ツダの暴走は、調停機関では庇えきれないほどの所まできていた。
ツダも、自分に限界を感じていた。
だから、夜鷹を手放した。
左目たちに血を与えたのは、きっとその後――。
ツダにとっては、最後の実験であったことだろう。きっと左目は吸血鬼の血を与えなくても死ぬような状況だったに違いない。だから――どうせ死ぬのだからとツダは自分の血を与えた。
左目は生き残ったが、彼が示した反応は他の誰とも違っていた。
左目の兄を探し出して血を与えた時期は、夜鷹でも判断が付かない。左目の体質にツダは希望を見出したのか、それとも徐々に人間に戻っていく左目に失墜を覚えたのか。
それは、夜鷹でも分からない。
そして、モンスターの左目は死を受け入れていた。
彼は、自分がもう二度と現れることがないと分かっていながら廃墟に行くことだけを望んだ。その望みの理由も夜鷹はまだ知らない。
「私はここであなたが生まれたからだと思ったし、あなたもそう答えた」
夜鷹は、目を閉じる。
「でも、たぶんあなたにはもっと望むものがあったはずよ」
モンスターの左目に、今更ながら夜鷹はたずねたい気分になっていた。
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