第23話残虐の夜
明知は、弦がグールを追跡して突き止めた高層マンションに足を運んでいた。
夜鷹に通話を切られた後、何度通話しても着信を拒否された。そして、繋がったと思えば「ここ」に来るように指定されたのだ。
「夜鷹……わざわざ部屋番号まで指定しておいたくせに、鍵は開けていなかったんですね」
明知は、息を吐く。
犯罪はしたくない。
だが、コレは致し方ないことだ。
明知は、ドアを蹴破った。この手の高級マンションのセキュリティーは、部屋の鍵と連動していることが多い。ドアごと吹き飛ばされるという事態は予測していない。もっとも、そんな事態なんてモンスターか震災ぐらいでしか起こせないことだが。
「……何もない部屋です」
一見して、部屋は高級感が漂っていた。
広い玄関に、大きな靴箱。
だが、生活観がない。靴箱は大きいばかりで一足も靴が入っておらず、奥の部屋へと続く廊下もただ暗いだけだ。奥へと進むと、そこには広い部屋があった。
部屋の中央には、何故か冷蔵庫。
とても小さい一人暮らし用の冷蔵庫である。
開けてみると、なかにはワインボトルばかりが入っていた。しかも、どれもこれもが封を開けた状態であった。コルクははまっているが、飲みかけのワインばかりを保存してある状態に明知は首を傾げる。
そして、ワイングラスまで冷蔵庫のなかだ。
ワインを飲むための準備が、全て冷蔵庫のなかで整っていた。初めてここに来た人間でも、冷蔵庫さえ開ければワインを飲むことが出来る。
便利だとは思えない。
不気味である、と思う。
「早かったわね、明知」
明知が後ろを振り向くと、そこには夜鷹がいた。
明知とは違って、彼女は靴を脱いで部屋に入っている。彼女の姿を見て、明知はらしくもなく靴を履いたまま部屋に上がっていたことを知った。
「あなたが遅いせいで、不法侵入をしてしまいました」
「ええ……それを狙って、遅くきたの。この部屋を調べる許可はまだ取れていないから、私はこの部屋に押し入ったあなたを止めるために来たのよ」
夜鷹の言葉に、明知はため息を付く。
「私も、たまにその手を使いますが……やられるのは久々です」
「明知、そのワインを飲んでみてもらえる?」
明知には、夜鷹の真意が分からなかった。
「悪いですが、私は酒のたぐいは受け付けません。一口で悪酔いしますよ」
「なら、匂いを嗅ぐだけでいいわ」
夜鷹に言われたとおり、明知はワインのコルクを抜く。
わずかにためらって、明知は抜いたコルクから匂いを嗅いだ。アルコールの匂いに顔をしかめつつも、明知はおかしな匂いを嗅ぎ取った。確証がなく、明知は今度はワインの瓶から直接匂いを嗅いだ。濃厚なアルコールの匂いに混ざるのは、別の何かの匂いである。
「……吸血鬼の血の匂いがします」
「そう、やっぱりね」
夜鷹は、冷蔵庫から別にワインを取り出して明知に差し出す。それからも、やはり吸血鬼の血の匂いがした。
「異様です。人間の血でも異様だとは思いますが……吸血鬼の血なんて」
吸血鬼は、人間の血を何かに混ぜ込むようなことをしない。
歴史上やった吸血鬼は存在するが、吸血鬼のなかでもそれは変態的な行為とされている。
「ここは、私が紫の王が行動拠点としていると思っている場所よ」
夜鷹の言葉に、明知はいぶかしむ。
ここを行動拠点にするには、あまりにも物がなさ過ぎる。この部屋にあるのは、冷蔵庫とワインぐらいである。紫の王がワインを好んでいたとしても、この部屋を行動拠点にするのはおかしい。
「明知。左目君はモンスターになる薬や血液を飲んだときに、他の人格になっていたわよね」
夜鷹の言葉に、明知はモンスターの左目のことを思い出す。
左目の空洞に入り込んだかのような、彼。
明知は、彼のことが好きではなかった。
「……まさか」
明知は、言葉を切って考える。
だが、それしか考え付かない。
「紫の王も、左目さんと同じ体質だというんですか?この部屋は、人間の紫の王が吸血鬼の紫の王になるための部屋だと……」
ワインに仕込んだ吸血鬼の血を飲み、モンスターの人格へと変身するための部屋。
だとしたら、このワインは人間の人格に血を飲んだことを悟らせないための仕掛けだというのだろうか。
「私は、そう考えているわ。前に左目君に兄がいることは話したわよね。調べたら、この部屋の契約者は彼だったの」
夜鷹の言葉に、明知は言葉を失った。
必死に頭の中で、明知は情報を整理する。
「左目君の兄である紫の王も――たぶん吸血鬼でいられるタイムリミットが近づいているはずよ」
「……紫の王は、それを食い止めたかった」
明知は、恐る恐る考えをつむぐ。
それでも納得できないことがあった。
「なら、どうして人間もさらっていたのですか?」
紫の王は、興奮剤を人間やモンスターに効くドラックだと偽って広めた。そして、それを買った若者たちをさらっていた。
吸血鬼にとって、人間の血は生きるのに必要なビタミンのようなものである。だが、誰でも良いわけではない。吸っても嫌悪感の沸かない相手でなければ、吸血鬼は相手の血を飲み込むことが出来ない。
「恐らくは吸血鬼化させて血を山のように絞り取ったり、研究したりしていたと思うの」
夜鷹の言葉に、明知は口を押さえる。
むごい――と無意識に呟いていた。
「だれも人間を吸血鬼に変えているとは思わないし、左目君を発見するまでは紫の王は自分に同胞がいたなんて思いもよらなかったはずよ。だから、普通の吸血鬼で実験するしかなかった。……もしも吸血鬼の子をさらったらしたら、簡単に犯人が吸血鬼であることが割れていたわ」
明知もそれは同感であった。
吸血鬼が姿を消したとしたら、それは間違いなくモンスターの仕業とされるだろう。そして、疑われるのは同胞同士でもトラブルである。そうであったのならば、紫の王はもっとはやく捜査線上に上がっていたはずだ。
だが、さらわれたのが人間であったために捜査は人間にまで範囲が広げられた。あまりに広範囲に操作が広がったからこそ、紫の王にはまだ疑いが掛けられなかった。
「でも、さらった人間の中には左目君がいた。自分と同じ体質の子を手に入れた紫の王は……何を思ったのかしら」
夜鷹の言葉に、明知は嫌な予感がした。
「……左目さんを切り刻んでも、体質の秘密をさぐります」
紫の王は、吸血鬼の代表者の一人である。
たとえ、それがほとんど名前だけのものだとしても本人にはそこまで上り詰めたという気概があるであろう。その地位が体質というどうしようもないもので脅かされようとしているのならば、明知だったら何でもやる。
明知は、さらに部屋の奥へと進んだ。
「どこに行くの?」
「ワインから香る血の匂いは強いものでした。これだけの血を集めていたとしら……」
明知は、風呂場へと向った。
擦りガラスの向こうから、嫌な色が見えた。
「夜鷹、ちょっと後ろを向いていたほうがいいかもしれません」
「大丈夫。いきなり吐くってことはしないから」
夜鷹の言葉を聞いた明知は、息を吐く。
人間の血を吸う吸血鬼であっても、悲劇で流れる血は苦手だ。明知は百年を生きた吸血鬼であったが、その百年間は概ね平和な時間だったのである。事件で流れる血に耐性はない。それでも、開けなければならない。
「では……いきますよ」
明知は、浴室のドアを開ける。
それだけで、血の香りが香った。
それ以上の惨劇に明知は思わず顔を背け、夜鷹が代わりに前を出る。小柄な体に緊張感が走り、明知は夜鷹の背丈が倍以上に伸びたかと思った。だが、実勢にはそんなことはない。それでも、夜鷹の後姿は頼もしく映った。
「間違いないわ……行方不明になっていた子よ」
「この状況でよくも冷静な判断ができますね……」
浴室では、吸血鬼が加工される前の豚肉のように吊り下げられていた。
太い血管が通っている首筋には、刃物で切ったらしい深い傷跡。動物の血抜きをしたあとのような光景であったが、同族が動物の扱いを受けたというだけで吐き気がこみ上げてくる。念のため明知は、吊り下げられた吸血鬼の脈を取る。
恐ろしいことに、わずかに生きている。
吸血鬼は死ぬと灰になるのである。だから、灰にならない限りは死なないのだ。体中の血を絞り取られ、回復も見込めず、これでも生きているのか――と明智は口元を押さえた。
「相手は、本当に吸血鬼の血だけが欲しかったみたいね。時間的に考えても、吸血鬼でいた時間はそう長くはないわよ」
夜鷹は、脈だけはある状態の吸血鬼の体を検分していた。
おそらく、この吸血鬼はもう回復することはないだろう。
死なないが生きている。
そういう状態がずっと続くだけである。
「……血も効率的に取られています」
生かして少しずつ取るのでは、埒が明かなかったのだろう。
きっと紫の王は浴びるほど飲みたかったに違いない。
そうしてでも、吸血鬼としての寿命を延ばしたかった。
「夜鷹、お願いがあります。彼を……楽にしてあげてください」
明知の願いに、夜鷹は首を振った。
「私は、殺人は犯せないわ。彼は病院に搬送されるでしょうね」
「回復は見込めません。苦しむだけです」
「もう、苦しみすらも感じていないかもしれないわ」
夜鷹は、風呂場を出た。
明知は、その場に取り残される。
彼を殺してやるべきなのか、と迷った。ここにいたのが弦や左目、夜鷹であれば、明知は迷わず彼らの苦しみを取り除くであろう。そして、こんな目にあわせた奴を殺す。
だが、目の前にいる吸血鬼は明知の知り合いではなかった。
彼の苦しみをここで取り除いたら、明知は左目を守れなくなる。
吸血鬼にも人権はあるのである。だから、ここで彼を殺すのは殺人だ。明知が殺人を犯したら、左目を助けることを諦めることになる。
明知は、拳を握り締めた。
「もうしわけ……ありません」
明知は、震えながら呟く。
死ねない苦しみと恐怖を知りながら、自分は彼を見捨てる選択をする。自分の大切な人間には絶対にしないことを彼が知り合いではないという理由でおこなう。
風呂場を出る。
震えは未だに止まらない。
残酷なものを見た。
残酷なことをした。
それでも、今はやりたいことがあった。
「夜鷹、左目さんは……どこに」
明知は、夜鷹を頼った。
もう左目には、彼女しか頼れるものがなかった。
「紫の王に、発信機を付けておいたわ」
夜鷹の言葉に、明知は言葉を失った。
「あなたは、そんなことができるほどに紫の王の近くにいたのですか――?」
「明知、紫の王は廃墟のホテルにいるわ。そして……モンスターの左目君はもしかしたら紫の王に会いたかったんじゃないの?」
夜鷹の言葉に、明知は耳を疑った。
「自分を殺すかもしれない相手ですよ」
「それでも、自分の唯一の同胞よ。そして、モンスターの左目君は余命わずかだった。自分の命を同胞のために使いたいと思ったのかもしれない」
それでも、左目は紫の王から逃げてきたのだ。
辻褄が合わない。
「なんにせよ……廃墟のホテルに向います。グールを借りれますか?」
「あれは、私の権限で動かせないわ」
夜鷹の答えに、明知は「やはりか」と思った。
グールは、調停機関の上層部の駒だ。
夜鷹の駒ではないのだ。
「吸血鬼や人狼をはるかに上回る身体能力は使えると思ったのですが……」
「あれは、吸血鬼の血を飲み人狼に噛まれたものがなるものよ。両者よりも、ずっと優れた力をもっているわ」
夜鷹の言葉に、明知は目を見開いた。
「両方の……そうか薬を飲まない古いやり方なら、可能ですね」
なるほど、と明知は手をうった。
どうりで薬での転化が主流になった現代では生まれない種のはずである。
「ええ、その間に吸血鬼か人狼に噛まれるとグールになるの」
明知は、店でモンスターと貸した左目のことを思い出した。
あの時の左目は人狼に噛まれ、明知の血を飲んだ。
言葉は喋らず、バイクで道を逆走した。
あれは、もしかしたら左目がグール化していたのかもしれない。
「明知、弦に応援は頼まないの?」
夜鷹の言葉に、明知は首を振った。
「今夜は新月です。人狼は、単なるボディビルダーですよ」
夜鷹は、空を見上げた。
夜空には月は浮かんでいない。人狼は、月の満ち欠けによって力が変わってしまう。満月ならば驚くべき力を持つが、新月ならばその力は筋肉質な人間並みである。
「明知、言っておくけどボディビルダーに喧嘩させたら強いと思うの」
夜鷹は真剣な声色で言った。
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