第20話友情の夜
左目が帰った後に、弦と明知は部屋の掃除をした。こびりついた血は、洗っても取れにくい。それでも二人ともほとんど会話せずに掃除を続ける。
「この部屋の血をそのままにしたのは……私が怪我をしたと左目さんを勘違いさせるためですよね」
明知は、雑巾を持った弦に尋ねる。
「ああ……俺はおまえが何が原因で死に掛けているかなんて言わなかったし、おまえも言わなかった。左目が勝手に勘違いしただけだ」
怒るのか、と弦は明知のほうを見た。
だが、明知は怒ってなどいなかった。
「――もし、立場が反対なら私でも同じことをしたと思います。いえ、反対ではなくとも同じことをしました。私は彼の勘違いに漬け込んだ」
明知は、そう呟く。
弦は、明知から目をそらした。
「左目は子供だ。おまえが、あいつの血以外は飲めなくなったなんてことを知るべきじゃないし――背負うべきじゃない」
明知は、左目からしか血を吸えなくなった。
未成年で肉体的にも未成熟な左目からは、明知が満足する量の血を摂取することはできない。明知は弱体化するし、それによって死ぬ可能性もでてくるであろう。そのときの責任を左目には負わせられない。
それが、二人の共通の考えであった。
「どうやったら、おまえは左目のことを好きじゃなくなるんだ?」
「普通の吸血鬼は、相手の人間にも吸血鬼になってもらったりします。吸血鬼にさえなってしまえば……吸血鬼同士は恋愛の対象外ですから」
そういえば、と弦は思い出す。
食欲と性欲が混ざった吸血鬼の恋愛対象は人間で、血を吸えない同族の吸血鬼は恋愛の対象外だ。吸血鬼同士の吸血は、彼らにとっての変態的は行為とされるほどである。
「でも、左目さんはモンスターにはなれません。今思えば、モンスターの左目さんを私が受け入れられなかったのは……単に彼が私の好みでなかったせいなのかもしれません」
「……一つ聞いておくぞ。おまえが左目に惚れ続けたら、おまえは左目より長生きするのか?」
弦は、どうしても聞いておきたかった。
人狼は短命であり、吸血鬼は日光に浴びない限りは長命だ。だから、弦は絶対に明知より先に自分が死ぬと思っていた。
「さぁ、それは分かりません。吸血鬼が本気で人間に惚れたら、互いの安全のためにも吸血鬼にするのが普通だったと昔は聞きましたけど……私と左目さんでは前提条件からして、それは無理ですしね」
血を吸ったせいなのか、弦の目には明知が生き生きとして見えた。
左目の様子からして、満足な量は吸えていないはずである。それなのに、明知はどこか楽しそうである。
「おまえ、このままじわじわと弱っていっても別にいいとか考えてないよな?」
「いけませんか?」
明知は、現に尋ねる。
「私は、百年も生きたんです。最後は、恋で消えてもいいじゃないですか」
明知は、どこか無気力に答えた。
それは疲れきった老人のようにも見えて、明知らしい言葉とは思えなかった。
「……吸血鬼は、もっと生に貪欲だと思っていた」
百年も日光に当たらないように気を使った生活をしている明知は、もっと力強く生きたいと願っていたのかと弦は思っていた。少なくとも、そうでなければ百年も生きられるとは思っていなかった。
「死にたくもないんですよ。でも、吸血鬼は老いがないから、この世から逃げ出すタイミングがつかめなくなってしまうんです……」
「じゃあ、なんでおまえは人狼を選ばなかったんだよ」
人狼は吸血鬼と違って、短命だ。
それでも、寿命という行き止まりがある。明知がそれを望むのならば、なぜ人狼を選ばなかったのだろうかと弦は思った。
「正直、吸血鬼になると決めた当初は百年も生きるとは思いませんでした。吸血鬼の寿命は長くとも平均寿命となるとかなり短いですし、どうせ自分も一年と経たずに灰になるのだろうと思ったんです」
一人で薬によって吸血鬼になっていたら、確実に明知は一年未満で灰になっていただろう。だが、明知には自分を吸血鬼にした親がいた。その人が色々と教えてくれたおかげで、明知は自分が思ったより長く生きている。
「弦は、どうして人狼になったんですか?」
「……俺は、大体四十年ぐらいが人生ちょうどいいと思っただけだ」
人狼の寿命は、四十歳程度である。
平均して八十歳までいきる人間と比べると、ちょうど半分だ。
弦は、それがいいと思った。
「学生のころコンピューターにやたらと詳しいダチがいて、俺はそいつに頼んで国に保存されていた俺の親のデータを見てもらったんだ。小さいころから、親って言う存在が気になってしょうがなかったからな」
「そんなすごいことができる友人がいたんですね」
国が保存している情報を閲覧するなど、並みのハッカーではできることではない。だが、弦の友人は、学生時代にはそれをやり遂げたという。
「……見て後悔したけどな。俺の両親は、両方共に犯罪者。二人で合計十五人殺して、死刑になってた」
「それは……弦とは関係ないことですよ」
「俺だって、知らなかったら関係なかった。でも、俺は知った。それで、十五人を殺した息子がのうのうと寿命を全うして良いのか思うようになったんだ。罪の意識っていうわけじゃないけど……長生きするのが申し訳なくなったんだよ。それで、人狼になった」
くだらないだろ、と弦は言った。
明知は、首を振った。
「モンスターを志望する理由は人それぞれです」
目を伏せるのは、彼が吸血鬼を志したのも褒められた理由からではないからだ。
「それでも、俺は自分の選択に疑問を感じてる。正直、俺は単に人生をさっさと御仕舞いにして楽になりたかったんだけじゃないかと思っているんだ」
「……楽になりましたか」
明知は、尋ねた。
弦は、頷いた。
「正直、楽になった。人間だった頃の罪悪感が「俺どうせ短命だし」の一言で、全部消えるような気がするし」
そう言った弦の顔は、本当に晴れ晴れとしていた。弦は気が優しい男だ。そんな彼だからこそ、親が殺人鬼だったことを弦は悩みに悩みぬいたであろう。
罪がある、と弦は思ってしまったのだ。
だが、その罪は親のものである。
弦には償えず、償おうとしたところでどうにもならない。だから、弦は人狼になることで自らを罰しようとした。罰された彼は、きっと自由になれたことであろう。褒められたことではないかもしれないけれども、弦はそうしなければ自由にはなれなかったのだ。
明知は、こっそりと微笑んだ。
弦が自分と同じように、何から逃げ出してモンスターになったことが少しだけ心強かった。
「弦、もしも……あなたより先に死んだらごめんなさい」
「俺も、おまえより寿命の短い人狼で悪かったよ」
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