第18話貧血の夜

吸血鬼は元々日に当たらないから、顔色は常に白い。


 そのため、見た目だけで体調不良を判断するのは困難だ。さらに言えば、吸血鬼や人狼が風邪や貧血になるなど滅多にない。


そもそも人間と違ってモンスターは体力があり、少しの体調不良ならば休めば治る。大昔はモンスターも感染症にかかって数を減らしたそうだが、今では人間ともども予防薬や治療薬のお世話になることができる。


「……豚肉を食わせれば治るだろ」


 弦は、豚肉を持って明知の住んでいる家まで向う。


 吸血鬼も人狼も、普通の食事を取ることが可能である。吸血鬼はそこに人間の血というサプリメントが必要不可欠であったが、基本は普通の人間の食事である。


明知は、古くて小さなアパートに住んでいる。


築五十年ぐらいは建っていそうな傾いだ建物で、明知は「夜の引越しが面倒」と言う理由で五十年間もすみ続けている店子である。ちなみに、雇われ大家は三代ぐらい代替わりしたらしい。


「あいかわらず、ロックは暗証番号式かよ……。無用心すぎるだろ」


 絶滅危惧種を通り越して幻となってしまっている暗証番号式のロックを解除して、弦は勝手に明知の家に入る。


暗証番号式のロックは番号を知らなくとも解除する裏技が有名すぎて、二十年前から開発中止になっていたはずのドアロックである。未だに、このドアロックを採用し続けるアパートの家主と店子の無用心さには恐れ入る。


「おい、生きてるか?」


 明知は、部屋の中央で倒れていた。


 血だらけだが、灰になっていないので生きている。吸血鬼は死ぬときは、灰になって消えるのである。血だらけになって死ぬのは、人狼と人間だけだ。


 しかも、散らばっている血は匂いからして明知のものではない。


 よく見ると、明知の手には血液パックが握られていた。栄養補助食品のゼリーのようなパックだが、吸血鬼たちはコレに人間の血液を入れて冷凍し、非常食としている。


もっとも、これは最後の手段であり普通は愛人から血液を直接分けてもらうのが普通だ。血は痛みやすいのである。


「弦、どうしましょう。なにも美味しくないんです」


 弦に訪問に気がついた明知は、顔を上げた。


 途方にくれた顔に、弦も面食らう。


「おまえ、何を言っているんだよ」


 吸血鬼の感覚は、感情に左右されることが多い。特に味覚に関してはそれが顕著であるという。人間も人狼も美味しいと思わない血を美味しいと思っている時点で、それは明白だ。


 本来ならば、吸血鬼だって人間の血を美味しく感じるはずがないのである。


 なぜならば、吸血鬼も元は人間なのである。


 味覚が大きく変わるはずもなく、吸血鬼たちは血の味を自身の心理状態で乗り越えるという荒業を発見して実践してきたのであった。


「左目の血を普通に吸ってただろ、おまえ」


「……実は、アレが最後に飲んだ血です。もう、どんな血を飲んでも美味しく感じないんです」


 明知の告白に、弦は眩暈がした。


 感情に味覚が左右されるというのは、普段だったら特に問題らしい問題ではない。美味しいと思う人間の血をもらいに行けばいいのである。明知だって、きっとそれは試しているだろう。左目以外の愛人の血をもらいにいったはずだ。


 だが、きっとそれでも駄目だったのである。


 最後の手段で、血液パックを頼った。だが、それも飲めなくなってしまっていた。


「どうしましょう……どんなひとの血を飲んでも美味しくないんです」


 明知は、途方にくれていた。


「美味しくないって……我慢して飲めよ!」


 弦の言葉に、明知は首を振った。


 弦だって分かっている。吸血鬼の味覚が精神に左右される。そんな吸血鬼が「美味しくない」ということは、それは明知が血の本来の味を感じているということだ。


 血は、甘くなんてない。


 血は、飲むのに適したものではない。


 それでも、吸血鬼には血が必要だから彼らは「愛しい人のものは美味しい」と勘違いして血液を摂取する。その勘違いの魔法が解けた明知にとって、吸血が苦痛になってしまっていた。


「前にも、こんなんことはあったのか?」


 弦が知る限り、吸血鬼のこんな症状は思い当たらない。


 人狼に、百年を生きる吸血鬼は答える。


「……吸血鬼には稀にある症例です」


 明知は、弦から目をそらした。


 弦は、それに何となく嫌な予感がした。


「症例?」


「はい……吸血鬼が愛人をたくさん作って、彼らからちょっとずつ血を分けてもらうのはご存知ですよね」


 弦は、頷く。


 愛人と聞くと羨ましい話になるかもしれないが、やっていることは輸血と変わらない。そして、愛人の健康と身体を守るために吸血鬼は愛人たちに自分の印を付ける。


「でも、本当に好きな人ができると……愛人さんたちの正体が『血を吸っても嫌悪感を感じない程度に好き』だということに吸血鬼は気がついてしまうんです。だから、血がぜんぜん美味しく感じないんです」


 本命さん以外は、と明知は言った。


「本命は、左目なんだな」


 弦の言葉に、明知は頷く。


 つまり、明知は左目以外の血を美味しく感じなくなってしまったのである。


「だったら、話は早いだろ。左目の血を吸いにいけ!!」


 貧血を起こす理由など、最初からなかったのである。左目の血しか飲めなくなったというのならば、彼の血を飲み続ければいいのだ。


「一人の血をもらいすぎると健康を害する恐れがあるんですよ。未成年の左目さんに、そんなことはできません……それに、がっついて嫌われたくないです」


 明知は、視線をそらした


 あんまりな理由に、弦は肩を落とす。前半の理由はともかく、後半の理由など男子学生並みに頭の悪い考えである。倒れるほどに血に飢えているのに、相手に嫌われたくないだなんて愚か者が考えることである。


「この阿呆!!」


 弦は、明知の腕を掴んで宙に放り投げる。

 いきなり背負い投げを掛けられた明知は目を白黒させながらも、ピアス型の補助機を操作しはじめた弦を怪訝な顔をして見ていた。


「左目だな、すぐに来い。明知が死にかけているから、おまえの血が必要だ」


 弦は、左目に連絡を取っているようだった。会話の内容が聞こえなくとも、弦が左目に何を伝えたのかぐらいは明知にも分かった。


「ちょっと――なにをやって」


 明知は弦を止めようとしたが、貧血の体では力が入らない。


「明知の馬鹿が死にそうなんだよ。来い!!」


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