第17話弦の昼

「左目は、真樹と一緒に帰るみたいだな。それにしても、何で俺がこんな覗きみたいまねをしてるんだか」


 弦は、廃墟のホテルを望遠鏡をつかって見ていた。


 廃墟のホテルよりも少し高い位置にある木に登って、弦は身を隠しながら左目と真樹の様子を見る。実は、弦はずっと廃墟のホテルの近くに潜んでいたのだ。ここに左目が来ることも、調停機関の人間が来ることさえも予測の範囲内であった。


「……しっかし、こうしてみると犯罪者みたいだな」


 弦は、こんなことをしたくなかった。全ては、この場に来ることができなかった明知の頼みである。


『時間に無理がなければ、私が行きましたよ』


 ピアスから、明知の声が聞こえてくる。


「来るなよ。灰になるだけだから」


 吸血鬼にとって、日光は大敵だ。


 ちょっと浴びただけでも灰になってしまう。その昔、万全の紫外線対策をして外に出たという伝説の若い吸血鬼がいたらしい。彼は一秒で灰になり、その勇気とも無謀さで伝説になった。


『分かってます。それより、見つかりましたか?』


 明知の言葉に、弦は目を細める。


 弦は、もう望遠鏡を使っていなかった。これは、正体不明の人間が現れたときに使う予定であったものだ。知っている匂い――探している匂いを嗅ぎ取るだけならば、望遠鏡は弦には不要だ。


「……グールの匂いがする。二体だな。悪いが、俺はこのあとどうなっても戦わないからな。俺一人で、グール二体だなんて自殺行為だ」


 グールが、満月の人狼並みの力を持っていることは知っている。弦は、それを上回る力なんて持たない。


『そこまでは頼みませんし。グールも、左目さんたちを襲うことはないでしょう』


 明知の判断に、弦は「そう上手くいくか?」と疑問を投げかける。


 明知は近くで見ていないから気楽なのかもしれないが、現場で匂いを感じ取っている弦は気が気ではない。グール二体に、人間二人ではあっと言う間に殺されてしまう。


『グールは恐らくは調停機関側のモンスターです。真樹さんと一緒のうちは、襲われません』


「それ、おまえの推測だろ。推測が外れた場合は、目も当てられない事態になるんだからな」


 弦は、嗅覚に神経を尖らせる。


 グールの潜んでいる場所は廃墟のホテルのすぐ近くだが、弦は風下にいるために気がつかれないはずである。だが、ホテルから弦は随分と離れている。何かがあったときに、すぐに駆けつけられる距離ではない。


「グールが動いた……左目たちも動いているぞ」


『追えますか?』


「気づかれない程度にやってみる」


 弦は、グールの匂いをたどった。


 弦は左目たちの安否を心配してやってきたのではなく、左目の監視にやってくるだろうグールを見つけるためにこの場にいたのであった。


明知や弦は、調停機関でグールの気配や匂いを感じ取ったことはない。ということは、普段のグールは調停機関とは違う場所にいるはずなのである。


 明知は、それを突き止めたいと考えた。


『私たちは左目さんはグールから逃げていたと考えていましたが、おそらくグールは吸血鬼に捕らえられていた左目さんを保護するために追いかけていたんです。ですから、今も左目さんの警護にグールをつけるとは思いましたが……』


「俺たちが合流していたら、警戒されてグールは姿を現さないか……」


 だから、吸血鬼は絶対に姿を現さない時間。


 なかかつ、弦は身を隠すという選択までした。


「そこまでして、調停機関がグールを飼っていたっていう証拠が欲しいのか?」


『……事実が知りたいだけです。それにグールは吸血鬼の私や人狼のあなたを上回る身体能力を有していました。グールがどのような生態なのかは分かりませんが、不明のままにしておくのは恐ろしくてかないません』


 たしかにグールの謎を放っておけば、後々大きな問題にはなるだろう。


 調停機関は、中立とうたいながらも人間側に傾いた組織である。その組織がグールをいつまでも飼い慣らすことができる、とは明知は考えていないのだ。いつかグールは、人間の手を離れて暴走する。その前に、グールの情報が欲しいのだろう。


「左目を危険にさらしても、グールの情報は欲しかったわけか」


『現状を把握できなければ、危険も安全も判断できませんよ。私たちはこれからもずっと左目さんに付きっ切りというわけにはいかないのです。調停機関が本当に頼れる組織なのかを確かめる必要があります』


 明知の言葉に、弦は少しばかり感心した。


 どうやら明知は、無意味に左目を危険にさらしたわけではないらしい。


「おい、明知。予想外の事態になった」


 弦の言葉に、明知は緊張する。


『どういうことですか?』


「グールたちの匂いを追っていたんだが、やつらは左目たちから離れたぞ」


 その報告を聞いた明知は、はっとした。


『すぐに、離れてください。グールに気づかれた恐れがあります』


「まだ、大丈夫だ。匂いは、左目たちから離れただけだし……そっちを追う。俺のことは、心配するな。いざとなったら、ちゃんと逃げるさ。じゃあ、ちょっと通信を切るぞ」


 弦は、ピアス型の補助機の電源を落とした。


 そして、上っていた木々の枝を蹴る。吸血鬼ほどではないが、人狼も身軽なのである。


木と木を飛び移り、移動するなど朝飯前だ。ただし、グールに気づかれないようにというのならば話は別になる。


 彼らは、満月の人狼ほどの力を常に持っている。ならば、グールの鼻もきっと人狼ほどに効くに決まっている。


そんな彼らを追跡するのは、厄介だ。近づきすぎたり、風で匂いが流れるだけでグールは弦の存在を感じ取るだろう。


 グールたちは、徐々に住宅密集地へと向っていく。


 弦は、少しばかりグールたちと距離を縮めた。


 住宅身密集地は、木々が多い場所よりも雑多な匂いがする。グールも弦も鼻の利きが悪くなる。だから、弦はグールとの距離を縮めた。幸いにして、人口密集地には人も人狼も多い。弦は、そこにまぎれることができた。


「おいおい、冗談かよ」


 グールの匂いが止まった場所。


 そこは背が高すぎる超高層のマンションが建っていた。


 弦は、グールがどのような場所で生活していたのかを考えていたことはなかった。もしや、ここで人にまぎれて暮らしているのだろうか。あるいや吸血鬼や人狼と偽りながら、暮らしているのか。


「明知、グールを追っていたらマンションに着いたんだが……どう思う?」


 弦はピアス型の補助機を操作して、明知に連絡を取った。


 明知はタブレット型の補助機を握り締めてでもしていたのだろう。


 連絡は、すぐについた。


『そのマンションに住んでいるのは、どういう服装の人々ですか?』


 明知の言葉に、弦はマンションに入る人々の服装を見た。誰もが、皆高価そうな服を着ていた。


『グールはどんな服を着ていましたか?』


「今回は視認できるほど近寄っていないが、おまえと一緒に見たときはそんな高価そうなのは……まさか、着ている服だけでここの住民じゃないっておまえは言いたいのか?」


 明知の言わんとしたことを弦は察する。


『そういう推測は気に入らないですか?』

「いや、意外と突飛なことじゃないかもな。このマンションに住むには、それなりの収入が必要だ。グールがそんなに稼いでいるとは思えない」


 モンスターの数は少なく、それゆえに人間のほうが社会的に成功しやすいといわれている。吸血鬼や人狼で高額な所得を得ているものは、かなり少ないだろう。


『……弦、あなた自分の給料が少ないからって変なところでひがまないでください』


「意見に賛成してるんだから、素直に喜べ!」


 弦は、思わず怒鳴った。


 だが、次の瞬間には明知は冷静な声で喋っていた。


『弦、グールたちがどの部屋に言ったかは分かりますか?』


 あまりの明知の身代わりの早さに、弦は脱力しそうになる。それなりに明知との付き合いは長くなるが、この性格には時々付いていけない。


「……そこまでは、俺の鼻でも無理だ。人間の匂いが雑多すぎる」


 人狼の嗅覚は万能ではない。


 時に、雑多な都市部では離れたところの匂いを追うのは難しい。満月に近づけば可能であったが、今の時期では難しい。グールもそれは同じであろう。もっともグールの嗅覚が月の満ち欠けによって変わるのかは分からないが。


『なら、しばらくそこで待っていてもらえますか?日が沈んだら、私も行きます』


「来て、どうするんだ?」


 弦はたずねる。


 グールの居場所がマンションであることを突き止めたが、それ以上の捜索は困難だ。だが、明知はこの場に来るという。


『私が言い出したことですから』


 責任は取る、つもりらしい。


 あるいは、ただ見届けたいたけなのか。


 弦は、ため息をつく。


「……これ以上、ここに俺がいてもグールにバレる可能性が増えるだけだ。撤退するぞ」


 弦は、マンションから離れた。


 自分を付けてくる気配はとりあえず感じず、弦はほっとした。やはり、グールに弦の尾行はバレてはいなかったらしい。


「とりあえず、グールの居場所は知れた。調停機関とグールは、協力関係を結んでいるのかもな」


『まだ……それは判断できません』


 自分で考察しておいて、まだ明知は判断はしたくないようだった。


 無理もないか、と弦は思う。調停機関がグールを抱えていると判断すれば、自分たちも調停機関との付き合い方を考えなければならない。


今までモンスターたちは、調停機関を自分たちよりも格下であると思っていた節があった。「したがってやっている」「協力してやっている」という気持ちは、うっすらとあったのだ。だが、これからもそんな気持ちで油断していれば、いつかしっぺ返しをくらいかねない。


「明知?」


 しばらく返事がないと思って呼びかけてみると「がたり」とピアス型の補助機の向こう側で何かが倒れたような音がした。


「おい、大丈夫か!」


『はい……ちょっと貧血で倒れました』


 弦は、思わず足を止めた。


「なんで、吸血鬼が貧血になってるんだ!!」

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