第16話左目の昼

 ――どうしてあいつだけ帰ってきたんだよ。


 学校にいるとき、ふいに聞こえてきた言葉。


 その言葉に左目は、歩いた方向を変えた。言いたいことがあれば直接言えばいいのにと思いながら、左目は食堂へと早足で向う。最短ルートが使えないから、急がないと昼休みが終わってしまう。


 左目が所属する学校は、かなり大きな建物である。


 田舎の学校はこの半分程度の大きさだというが、残念ながら左目はそのような小さな学校には所属したことはない。ずっと都会の大きな学校に所属して、同じ生徒たちと一緒に学んできた。


 学校はずっと通っていても迷路のように複雑だ。食堂に行く道は何通りもあって、新入生たちはまず迷子になることから新生活を始める。左目も最初はそうだったが、今では迷わずに目的の場所へ行くことができる。


 ――あいつ、小学校のころにも事故にあったらいいぞ。それで一年休学。


 ――呪われてるじゃん。


 また、声が聞こえてくる。


 左目が行動を共にしていた友人たちがいなくなって、すでに十日以上経っていた。学年どころか学校中に噂が知れ渡り、左目の過去を知っている生徒たちが小学校のころの事件までも持ち出して騒ぎ始めた。


だが、左目を目の前にしては、誰も何も言わない。廊下を歩けば声を潜めた言葉が聞こえてくるだけ。


 嫌になる。


 いっそのこと、教室の真ん中で吼えることができたらすっきりするかもしれない。だが、しない。左目は、常識知らずではない。そんなことはできない。


「いっそ吸血鬼になりたい」


 ぼそり、と左目は呟く。


 明知は家族を捨てるために、吸血鬼になったのだという。左目には家族というものが分からないが吸血鬼になって捨てることができるというのならば、左目は友人を捨てるために吸血鬼になりたい。


「なれないんだよな……」


 ポツリと呟く。


 左目は、夜鷹に説明を受けた。


 自分はモンスターに一時的にしかなれず、徐々に人間に戻ってしまうらしい。人間ならば誰しも持っているはずの選択肢を左目は最初から持ってはいなかった。


 左目は、モンスターになりたいと願ったことはなかった。だが、道が閉ざされると急に失われた未来が愛しくなるのだ。


「馬鹿らしい」


 左目は、食堂でハンバーグ定食を頼んだ。

 肉類は偉大である。


 いつ食べても美味しい。


 一人で食べても、ちゃんと美味しい。


「やっぱり、ムカつく」


 左目は、ハンバーグを半分食べたところで乱暴に立ち上がった


 ここでうだうだと事件解決まで待っているだなんて、性があわない。薬を買い行く足として自分を利用した友人たちも、二三発ほど殴ってやれねば気がすまない。


 左目は、食堂を出て行く。


 自分の後ろ姿をみて、級友たちが何かを言っているのも聞こえた。だが、もう気にするものか。友人が行方不明である事件は、自分でなんとかする。


 明知は、関わるなと言った。


 明知の言っていることは、たぶん正しい。左目はただの未成年で、明知や弦と言ったモンスターと違って、左目には身を守る手段がない。だから、できるだけ安全な場所にいろという明知の判断は正しいのである。


 だが、左目はその忠告を忘れることにした。


 これは左目の事件だ。


 明知のほうが、部外者だ。


 左目は授業をサボることにして、黒いライダースーツに着替える。フルフェイスのヘルメットを被り、バイクにまたがった。ハンドルを握れば、いつものエンジン音。


 バイクで道路を走りながら、左目は物足りなさを感じた。


 明知と一緒に空を跳ねたとき――あの時のスリルはバイクを上回った。風を切る気持ちよさがあり、ジェットコースターに乗っているような安全な恐怖があった。


 背中がぞくぞくするような恐怖感が、左目は好きだ。


 もちろん安全が保障されていることが、前提での恐怖である。紐がついていないバンジージャンプを楽しむ気持ちはないし、バイクで廃墟につっこむ予定もない。


 安全であることが分かっているのに、背筋が寒くなるような感覚。


 左目は、それを好んでいる。


 ドキドキが止まらなくなって、生きているのだと実感する。


 左目は、エンジンをさらに吹かせる。


 人がいない道を風のように走り抜けても、左目の心は晴れない。しばらくバイクを走らせた左目は、廃墟のホテルへとたどり着く。


どこにでもあるような廃墟であり、左目はその姿を見ても心を揺さぶられるものはなかった。


 自分の命の危険も顧みずに、左目はここに突っ込んだ。よっぽどスピードの出た状態であったのだろう。タイヤの後が生々しく残り、ガラスの扉に体当たりした後までがあった。


 左目のバイクは、丈夫だ。


 一番頑丈な車種に、丈夫な外装を施してある。バイクや車は丈夫であるのが、かっこよさの証だ。


左目は、そう考えている。ちょっとの衝撃でへこむようなマシーンなど、まったくかっこよくない。そのような考えから、左目のバイクは丈夫に改造されていった。


 その自慢のバイクで、左目はこの廃墟に突っ込んだ。


 左目は、深呼吸する。


 モンスターになった自分が、来たがっていた場所。


 なのに、左目の心は揺れない。


「念のため、内部の地図を検索っと」


 左目は、自分のピアスに触れる。


 視界に半透明の廃墟の地図が浮かび上がり、赤字で「立ち入り禁止」と大きく映し出された。左目はその立ち入り禁止の文字を消そうとするが、操作方法が分からない。というか、消えない設定なのかもしれない。


しかたがないので、左目は地図の映像を一度消した。立ち入り禁止の文字が、邪魔だったからである。


 ホテルに一歩はいれば、あたりまえながらそこは廃墟であった。使われなくなかった家具が壊れて散らばり、おそらくは左目のような子供が持ち込んだのだろう花火で遊んだ跡があった。


 左目は、一通りホテルの内部を歩く。


 ここに友人と共にきた。


 その後、物音を聞いて明知の姿を見つけた。


 それ以外の記憶は、ここにはない。


「ここで――何があったんだ?」


 左目は、ぼんやりと呟く。


 だが、誰も答えない。


 モンスターになった自分は、この場所に固執していたというが理由が左目には分からない。ここは、ただの廃墟だ。モンスターの自分はここで生まれて、ここで死にたいと語った。


「ここにくれば、何かが分かると思ったけど無駄足だったか」


「そうでもないかもしれませんよ、左目さん」


 後ろから声を掛けられた左目は、どきりとした。


 左目さん、と呼ばれたせいで明知に呼ばれたと思ったからである。だが、左目の後ろにいたのは真樹だった。夜鷹の部下の真樹は、左目に語りかける。


「びっくりしましたよ。あなたを見張っていたのに、いきなり学校を飛び出すから」


 声の犯人が真樹であったことに、左目は少しほっとする。


 明知は吸血鬼だから、日中でこんなところにきたら死んでしまう。だが、よく考えると吸血鬼だったらこんなところの来る前に日の光に当たって死ぬであろう。


「俺のことを監視してたのか?」


 真樹がここにくる理由など、それぐらいしか考えられない。


「先輩の命令です」


 真樹は肩をすくめた。


 夜鷹は悪い人間ではないようだが、吸血鬼の明知たちよりも底が知れない。正確に言うならば、一緒にいると頭を覗かれているような気がするのだ。


「あなたは、まだグールに狙われている可能性がありましたから」


「だとしても、人間二人じゃどうにもならないだろ」


 左目の言葉に、真樹は呆気に取られたような顔をしていた。


 どうやら、真樹は本気でそのことに気がつかなかったようである。


「そういえば、そうですね……吸血鬼や人狼に協力を頼んだほうがよかったでしょうか」


 真樹の一言に、左目は眉を寄せた。


 明知の顔が過ぎったからだった。左目は、そのことにため息をつく。吸血鬼と聞いて明知の顔がよぎるのは仕方がないことだ。だって、左目の吸血鬼の知り合いは明知しかいない。


「……明知には来るなって言われた」


 明知は、左目の安全を考えたのだろう。

 それは、分かる。


 けれども、明知の心はそれに納得しない。


「ああ、あの吸血鬼の人。あの人が、人に何か言うなんて珍しいみたいですね」


 たぶん、それは真樹が大人だからだ。


 明知という吸血鬼は、相手が未成年かどうかでしか判断していない。左目にやや過干渉なのも、きっと左目が未成年だからだろう。左目が不満そうな顔をしていたからだろうか、真樹はその顔を覗き込みながらたずねる。


「もしかして、左目っていうあだ名は気に入っていなかったんですか?」


 真樹は、今更なことを尋ねてきた。


 左目は、思わず怒鳴った。


「気に入るかっ!全員で示し合わせたように、左目って呼びやがって」


 左目は、自分の目を押さえる。


 本当は、生身ではない目が嫌いだ。


 いつの間にかはめ込まれていた偽者の瞳が大嫌いだ。


 この目は、いつの間にかはめ込まれた偽者。重要なことは何一つ覚えていないくせに、本物のフリだけは一流の義眼はまるで自分そのもののように思える。だから、左目は自分の義眼が大嫌いだ。


 でも、明知はこの目を「可愛らしい」だなんて言った。


 まったくもって意味不明で、よく分からない吸血鬼である。こんな目、ぜんぜん可愛らしくなんてないのに。


 明知は、左目のことを愛人と言った。


 吸血鬼は複数の人間から血をもらい。その人間たちのことを愛人と呼称することは知っている。左目は明知に血を分け与えたから、愛人の一人には違いないのである。


 それでも、明知は左目から最初の吸血以降は血を吸わない。


 間違いなく、愛人と言うのは方便なのだろう。左目を愛人と認定したときの明知は、とにかく自分が淫行吸血鬼にされたくなくて必死だった。


「そんなに左目呼びが嫌だったんですか?」


 真樹が、左目に尋ねる。


 最初は嫌だった。


 けれども、彼らはもう自分のことを左目以外の名では呼ばない。


「いや……今はもうなれた」


 明知たちが自分を本名で呼び始めたら、おそらく左目は明知の記憶喪失を疑うだろう。それぐらいごく自然に、明知は自分のことを左目と呼ぶ。


 そのことは、たぶん少しだけ好きだった。


「……すっごい変なことを聞くぞ」


「はい、なんでしょうか?」


 左目は、深呼吸した。


 それぐらい、今からする質問は左目にとっては勇気がいる質問であった。


「俺の左目って、変か?明知にも、夜鷹にも義眼だって最初にバレた」


 左目の懸念に、真樹は首を振った。


「ボクにはわかりませんから、ごく普通の義眼ですよ。明知は吸血鬼だし、夜鷹先輩は名探偵ですし。あの二人が特別すぎるんです」


 たしかに、と左目は思う。


 明知について、あまり思い悩むのは止めようと思った。どうせ、明知は吸血鬼なのだ。人間の左目が思い悩んだって、彼を本当に理解できるはずもないだろう。


 左目が、モンスターの自分自身の空白を理解できないように。


「……帰る」


「そうですか」


 左目の言葉に、真樹はほっとしていた。


 どうせ、ここにいても無駄だ。


 ここにいても自分も明知も理解できない。


「なぁ、自分を理解する方法ってないのかな」


 思いついたように左目は、真樹に尋ねてみる。


 真樹は真剣な顔をして、思い悩んだ。


「自分のことを好きになってくれた人に自分のことを聞いてみるなんて、どうでしょうか?」


 真樹の答えは、左目には意外なものだっ

た。


「自分のことを好きになってくれた人?」


「ええっと……その人がたぶん一番自分のことを見ていてくれているから――本当の自分ってものを教えてくれるんだと思うんですよ」


 大人って面白いことを考えるのだな、と左目は思った。


 それでも、その言葉は一理あるような気もしていた。

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