第15話仮説の夜

 結果、ホテルからは何も出なかった。


「ほら見ろ。おまえの穴だらけの推理が当たるはずないだろうが!!」


 貴重な休日を返せ、と弦は避けんだ。


「本当に……ここまで綺麗に何も出ないとは思いませんでした。左目さんの友人たちの手がかりすらなしですか」


 明知は、弦の方を見る。


 彼の嗅覚的にはどうなのか、と尋ねたいらしい。


「あのな、あれから何日経っていると思っているんだ。匂いなんて、とっくに消えているだろうが。しかも、ここは廃墟だぞ」


 天井があるから野ざらしにはなっていないが、放置された雑多な匂いが弦には邪魔らしい。明知は鼻をならしてみるが残念ながら吸血鬼には、匂いの違いがわからなかった。


「ここには、何かがあると思ったのですが……」


 多少は疲れたらしく、明知もその場に座り込む。


「本当に、なんでそんなことを思ったんだよ」


 弦は、イライラしながらも聞いてみた。


 明知は、なんてことないように答える。


「モンスターの左目さんがここを目指した理由が――生まれた場所で死にたいだなんて、あんまりにも薄っぺらい理由のような気がしたんです。私だったら、もっと大切なものがあるからここに来たいと考えるような気がします。だから、ここにはとんでもない物があるような気がしていました」


「……探す前に言ってたことは、全部こじつけか」


 単に、弦を巻き込みたかっただけである。


きっとここで見つかったものがどんな危険なものでも、弦だったら一人で何とかできると思われたのだろう。そんな危険なものは、何一つ出てこなかったのだが。


「いいえ、あれもちゃんと考えたことですよ。特にグールに関しては、説明がつかないことが多すぎます」


 そのことについては、弦も納得していた。グールに対しての調停機関の対応は、少しばかりおかしかった。


 空腹のせいか、弦の腹が鳴った。


弦はどこかで食べて帰ろうかと明知を誘おうとして、やめた。吸血鬼は外食が嫌いだ。食欲と性欲が交じり合っているために、自分の食事風景や他人の食事風景を見られるのを嫌うのである。


吸血鬼のなかにはドラマや映画を嫌う者もいるが、それは予告なしでポルノを見せられる気分になるかららしい。子供の食事風景とかは絶対に見ることはできない、と明知が言っていたこともある。


「先に帰っていいですよ」


「おまえ、どうしてそんなに「ここになにかがある」だなんて思うんだよ」


 明知は、もっと飄々とした性格であったはずだ。


 少なくとも、こんな廃墟になにかがあると夢想してずっと探し回っている性格ではないはずである。


「私らしくないとは思うんですけどね……嫌なんです。左目さんにここを死に場所にされるのが」


 明知の言葉に、弦は目を点にする。


 付き合いが長い吸血鬼は、自棄に真剣な顔をしていた。けれども真剣な顔をすればするほどに、明知は若々しく見えた。


 そもそも彼は二十歳で吸血鬼になって、そこから年齢を重ねていないのである。若く見えるのは当然であり、実際のところ肉体年齢は若いのだ。それでも、普段の彼は少しでも百年を生きた吸血鬼らしくあろうとしているようであった。


 少なくとも弦は、明知を若く見たことがなかった。なのに、今の明知の横顔は真剣な表情なのに幼い。弦は、きっと今の表情が明知の本来の顔なのだろうと思った。


 本来の表情で、明知は左目のことを考える。


 そのことについて、明知は自分のことなのに何も気がついていないようだった。しばらく放っておいたら気がつくだろうかと思ったが、吸血鬼の寿命の「しばらく」の単位が分からないので不安になった。


 ここで指摘しなかったら百年後ぐらい後に、正確にたどり着きそうで怖い。弦は何度か視線を宙にさまよわせた後に、らしくないことに「こほん」と咳払いをした。


「おまえ、それ――……単に左目と一緒にいたいだけなんじゃないのか?」


 弦の言葉に、今度は明知も目を点にした。


 本人はまったく気がつかなかったらしい。


 一緒にいたいから、死んで欲しくない。


 そんな単純なことに明知はまったく気がついていなくて、表情のとおりの幼さであった。


 弦は、自分の考えすぎかと思った。


 だが、明知が一番最初に「愛人」という突拍子もないことを言い出したときから、明知が左目のことを気に入っていることは知っていた。


「そ……そんなに深くは考えていませんよ」


 明知の声が上ずった。


 その変化に、弦は頭を抱えたくなった。どうやら、自分の予想はあたっていたらしい。


「そうだよな。はははっ」


 だが、一応は乗ってみる。


 心なしか明知の耳が赤い。


「どうしましょう……弦。私、たぶん左目さんのことが好きです」


 やっとかい、と弦は思った。


 この吸血鬼は、やっぱり百年ぐらいしないと自分の感情に気がつかなかったのではないだろうか。弦は頭をかきながらも、妙に照れている吸血鬼に釘を刺しておいた。


「態度と言葉には表すなよ」


「わかってます……相手は未成年ですし」


 それだけではない。


 ただでさえ、吸血鬼と人間とでは体質や寿命からして大きく違う。わりと噛み合わないことも多いというのを何故か吸血鬼は忘れがちだ。人の血を吸うから、人狼よりも多く人と接しているから同じだと勘違いしてしまうのかもしれない。


 弦は人狼であり、寿命が短い。人間に好意を抱いても、すぐに置いて行ってしまう。吸血鬼は逆に長く生きることが可能であり、明知は人間においていかれる。


「私は……左目さんに長生きしてほしいです。どんな望みであれ、ここで終わりだなんて思ってほしくないです」


 明知は、そう語る。


 置いていかれるかもしれないのに、明知は朗らかに語る。


 弦よりも別れを多く体験してきたはずなのに、明知は他者との別れを恐れてはいなかった。弦には、それが少しだけ不思議に思えた。


「いつかくる別れは怖くないのかよ」


 弦の疑問に、明知は首を振った。


「私は、左目さんが好きですから」


 噂をすれば何とやらというべきか、うれしそうに明知が話していたからなのか、弦に左目から通信が入った。左目を家まで送っていったとき、連絡先を交換しておいたのだ。


「左目から電話か」


 弦がピアスに触れると、左目と通話が繋がる。


 その光景に、明知は驚いていた。


「どうして、弦は左目さんと番号を交換しているんですか!」


 ちなみに、明知は左目と電話番号を交換していない。明知が持っているタブレットタイプと左目が使用しているピアスタイプの補助機では、電話番号の登録方法が手動になる。きっと左目は、それが面倒だったのだろう。


いい加減に買い変えればいいのに、と弦は思わなくもない。買ったところで、使いこなせないのだろうが。


「バイクで送られたときにちょっと番号を交換したんだ……あれは地獄だった」


 弦は左目のバイクの後ろに乗ったときのことを思い出して、顔を真っ青にした。思い出しただけで、気持ちが悪くなったらしい。


「……左目、ちょっとまってろ。明知もいるからスピーカーにするな」


 弦は、ピアスを外して掌で転がした。


 明知は、その様子を不思議そうに見ていた。


『明知、なんでおまえまでそっちにいるんだ?』


 ピアスから、左目の声が聞こえてきた。


 その光景に明知は「うーん」と唸る。


「……こんな小さなものから他人の声が聞こえてくるのは、不思議です」


 明知の声もしっかりと聞こえているらしく、左目はスピーカーの向こう側でツッコむ。


『おい、おじいちゃんがいるぞ。今時、こんなもんで不思議がるな』


 弦は、左目の言葉に思わず頷いてしまう。


 明知の最新機器への適応力のなさは、もはや老人の域にまで達している。おそらくスマホが発売停止になっていなかったら、彼はその骨董品を使い続けたのではないだろうか。そして、ますます時代に置いていかれたことだろう。


「左目さん、あなたは調停機関にいるんですか?」


 弦の心配をよそに、明知は会話を続ける。


『ああ』


 明知の質問に、左目は答える。


 その答えは、想定内である。


 そもそも今日の左目は、調停機関に泊まる予定だったのだ。彼は人狼になるための薬を服用している。人間に戻ったとはいえ、様子観察は必要である。


『廃墟のホテルにいるんだろ。そっちに行っていいか?』


 左目の申し出に、明知と弦は呆気に取られた。


 人狼の薬を飲んだのだ。今日ぐらいは休んでおけよ、と吸血鬼と人狼は思う。というか、自分だったら間違いなく休んでいる。


「……どうしてですか?」


 明知がたずねる。


 左目には、モンスターとなっていた期間の記憶がない。だからこそ、左目が廃墟のホテルに来たがる理由が分からなかった。


『……夜鷹さんから色々聞いて、廃墟のホテルに行きたくなったんだ。もう一人の俺が欲しがっていたものの理由を俺も探したい』


 明知の顔から表情が消えた。


「夜鷹さんに聞いたんですね」


 夜鷹が何の計算もなしに言うはずがないから、きっと彼女なりの考えがあって左目に全てを教えたのだろう。それでも、明知はその判断を歓迎できない。


『だって、俺の問題だろ』


 モンスターの左目がここに来たがったのは、たしかに左目の問題だろう。


 だが、明知の思いは違った。明知は、左目にここに来て欲しくはなかった。明知は、顔を上げる。朽ちたホテルは、あまりに死の匂いが濃いような気がする。


 ――この匂いは、嫌だ。


「左目さん……これは吸血鬼の問題です」


 紫の王は、吸血鬼である。


 だから、これは吸血鬼の問題なのだ。


 左目の問題ではない。


『俺は当事者だぞ』


「あなたに危害を加えて、あなたに血を飲ませた吸血鬼がいる。あなたは被害者で、私には加害者を突き止める責任があります」


 はっきりと明知は言った。


「私も紫の吸血鬼の端くれなのです……」


 電話の向こう側で、左目は黙っていた。


「人間のあなたをこれ以上の危険にはさらせません。だから、あなたは絶対にここに来ないでください」


『……俺の友人がまだ消えたままだ』


 左目と共に行方不明になり、未だに帰ってきていない若者たち。


 たしかに、彼らの行方は未だに行方不明だ。


 だが、明知は彼らが左目にとって特に親しい友人たちではないことを見抜いていた。左目は、今まで一度も彼らの名を呼んだことがない。


「あなたをただの足として利用しようとした友人たちです。そちらも私たちが探しますから」


 警察だって捜すであろう。左目が首を突っ込んで、危険を冒す必要はまったくないのである。だが、明知の説得に左目は折れることはしなかった。


『俺は降りない。俺が探し出す』


 親しいフリしかしていない友人に、どうしてそこまでするのか。


 明知は、その言葉を飲み込んだ。


 代わりに、別の苛立ちをあらわにする。


「なんで、そんなに頑固なんですかっ!」


 明知は叫んだ。


 ピアスの向こう側から『大声出すな。こっちはスピーカーじゃない!!』という苦情が帰ってきた。


『いつも問題は、俺の知らないところで起きて通り過ぎてきたんだ。今度は、俺が全部見てやる』


 左目の意思は、弦にも理解できた。


 小学校の頃の事故といい、今回のことといい、左目の事件はいつも本人があずかり知らないところで発生し、ことが進められてきた。その状況に、きっと本人が一番じれているのであろう。だが、だからこそ左目は今まで安全でいられたのだ。


「駄目です」


 明知は、はっきりとそう言った。 

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