第13話別れた後の夜

「意外だったわ」


 調停機関を出ていこうとする明知に、夜鷹は声を掛けた。


 左目は、今晩は調停機関に泊まることになっている。もうすでに左目の様子は普段と変わりなく、モンスターの左目は彼の言葉通りに三十分もしないうちに消えた。


 彼の言葉が本当ならば、もう二度と出てくることはないだろう。


 左目は知らないうちに鼻水や涙が止まらなくなっていたことに驚き、夜鷹を見るたびに体を硬直させていた。どうやら感覚的に夜鷹が何かをやった、ということは分かるらしい。


「あなたが、左目君のことをそんなに心配していたなんて意外だった」


「……一つ言いますけど、あなたの時と違うのは――ツダと別れたときには、すでにあなたが大人だったからですよ。それに、若い女性に対して過保護にならない程度には世話も焼いたと思います」


夜鷹は、幼いころにツダに誘拐された。


明知はそのころのツダも知っていたが、毎回連れてくる幼い女の子が彼が誘拐してきた子供だなんて思いもしなかった。


きっと周囲もそうだったのだろう。


それぐらいに、ツダは夜鷹をごくごく自然に扱っていた。夜鷹もツダに懐いていて、自分が誘拐されたという自覚はあったが他者にそう言うことはなかった。


言えば、生活が壊れる。


そのことが、夜鷹の恐怖だったのだ。


結局、今から十年前にツダは複数の人間に自分の血を分け与えてショック死させた疑いで指名手配となり、夜鷹の件も芋蔓式に明らかになった。


夜鷹が保護されたときには彼女はすでに二十歳を超えていたが、学校に通っていないはずの彼女に知識で敵う者は誰もいなかった。ツダは彼女に、ありったけの自分の知識を教え込んでいたのだ。


明知は、夜鷹を保護するためにツダを追いかけた。


夜鷹は、明知がツダに追いつくまでは彼と行動を共にしていた。明知は吸血鬼の親から受け継いだ「王殺し」で――自らの血液で、ツダのことを串刺しにしようとした。


明知は、夜鷹を守りたかったのだ。


夜鷹は幼い頃から知っている若い女性であり、人間を十人も殺したツダに預けるには弱い存在だと思っていた。だから、自分がツダを殺さなければならないと思っていた。


だが、夜鷹がツダを守った。


明知はツダに負け、気がついたときには夜鷹が側にいた。夜鷹はツダに置いていかれ、明知の隣で泣いていた。


思えば、長い付き合いなのに彼女の涙を見たのはそれっきりである。


明知からしてみれば、ツダと夜鷹の間には親子の情がたしかに存在していた。


だから、夜鷹の涙にも彼女はツダを庇ったことにも疑問を抱かなかった。


ツダが指名手配された今となっては、当時のツダが何を思って夜鷹に教育を施していた確かな理由は分からない。


だが、夜鷹はツダと離れても生きていけるだけの技能があった。だからこそ、明知は夜鷹に必要以上に手を貸したりはしなかった。


何より、自分の手が必要なときは夜鷹は遠慮なく自分を利用するだろうという思いもあった。


「夜鷹。ツダが現れたら、あなたは彼の元に戻るのですか?」


 なんとなく、明知は尋ねてみた。


「私の夢は、ツダに吸血鬼にしてもらうことよ」


 夜鷹は、迷いなく言った。


 彼女には、いまだに幼いころの憧憬があるのだろう。だが、それを叶えるためには彼の手によって吸血鬼にならなければ意味がないのだ。明知は、そのことに少しだけ笑う。


 明知も、自分を吸血鬼にした親がいる。明知が人間だったころにはモンスターに転化する薬がすでにあったが、親の吸血鬼は明知に自分の特性を引き継がせることに固執していたように思えた。


 薬で転化した吸血鬼には親がいないから、当然のごとく特性を引き継がせることは出来ない。きっと自分の吸血鬼の親は、そのような状況を嘆いていたのだろうと明知は今になって思っている。もしかしたら、ツダもそうであったのだろうか。


「明知、左目君の話で紫の王って出てきていたわよね」


「……そうですね。言っておきますけど、私は今の王の顔も知りませんからね」


 明知の吸血鬼の知り合いは、少なかった。


 吸血鬼としては紫に属してはいるが、そこで親しくしている吸血鬼などほとんどいない。


昔はツダが橋渡しをしていたが、ツダがいなくなってからは付き合いが途絶えてしまった。おそらくは、調停機関の夜鷹のほうがまだ知り合いが多いぐらいだろう。



「そう。まぁ、あなたは他人が好きな性格ではないしね」


 明知の性格は、人間時代に両親に殺人の容疑者だと疑われ続けたほどに元々は暗くて内向的だ。


吸血鬼なってからは、それでは周囲の偏見から身を守れないと学んでだいぶ変えた。だが、それでも本質的にはあまり変わっていない。


 夜鷹には、それすらも見破られていたらしい。


「それでも、廃墟のホテルにはもう一度行ってみようかと思います」


「私としては、あなたには紫の王について調べてほしいけど……本当に性格的にむかなそうだから頼まないわ。部下じゃないから、命令もできないしね。さて、私は左目君にコーヒーでもおごってあげようかしら」

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