第11話別人格の夜

 調停機関へとたどり着いても、左目はまったく酔った様子はなかった。


明知は、それに少しばかりがっかりする。少しばかり酔ったり怖がったりすると思ったのに、左目は本当に楽しんでいるだけだった。


明知は左目を酔わせたいがために遠回りしてきたのに、効果はまったくなかったのである。


「そのスピードに強い体質、いつか怪我をしますよ」


「体質はしょうがないだろ。体質は」


 左目は笑う。


「まぁ、そうですけど」


 今回は、その体質を調べるための実験を行いに来たのである。


 左目は人狼に噛まれても、普通の人間に戻ってきた。噛まれた直後のことを思えば、常に普通の人間であったとは言えないが――明知は見たことのない現象であった。


「夜の街をだいぶ遠回りしたわりには、時間ぴったりについたのね」


 出迎えた夜鷹は、明知と左目にそんなことを言った。


左目は自分たちが遠回りしたことをどうして知っているのかと驚いていたが、明知は肩をすくませただけだった。


「明知の性格は知ってるわ。ああ見えて結構負けずぎらいだから」


「夜鷹。左目さんは、あなたのことをよく知らないので名推理はそこへんで」


 明知は、夜鷹を制した。


 彼は、夜鷹の稀なる性質を理解していた。


 夜鷹は幼い頃から、名探偵としか言い表せないような洞察力を発揮していた。その素晴らしさは、彼女の師であるツダの知り合いたちに数々のトラウマを負わせ……明知もあまり思い出さないようにしている。


 今だから少しはマシになったが、幼い頃の夜鷹は本当の容赦がなかった。


明知は初対面の幼女に夜起きてから順番にしてきたことを言い当てられるという恐怖を初めて体験し、しばらく自室に監視カメラがあるのではないかと探し回った経験があった


「あら、私は推理なんてしたことはないわ。分かることだけを口にしているの」


 夜鷹はそういうが、左目は自分たちに何かヒントになるようなものがあっただろうかと探していた。


だが、何も見つからないようで不思議そうな顔をしていた。明知は、特に何も言わなかった。夜鷹と共にいると、よくあることなのである。


「先輩は、推理が得意なんですよ」


 後ろから、ぬっと現れたのは真樹である。


 この間、調停機関で出迎えてくれた職員であったが明知は彼のことをあまりよく知らなかった。


知り合いの夜鷹がいるので調停機関にはそれなりに顔を出すが、実は真樹を見たのはこの間が最初である。


真樹は見たところまだ二十代で、夜鷹よりは年下である。もっとも見た目だけならば、夜鷹のほうが年下に見えていたが。


年齢からして、新人職員というところだろうか。


「すっごいでしょ。少しのヒントで全てを見通す瞳は、まさに現代のシャーロック・ホームズでしょう」


 真樹は、胸を張って夜鷹のことを自慢した。


 彼にとって夜鷹は自慢の先輩らしい。


「シャーロック・ホームズは、モンスターから恐れられませんけどね」


 明知の言葉にも、真樹は笑顔を崩さない。


 天然なのか物事に気がつきにくいタイプなのか、どちらとも判断がつかないタイプの人間ある。


あるいは明知がモンスターだから、警戒して笑顔を貼り付けているのかもしれない。


調停機関の人間はモンスターと人間の橋渡しをする役割を担っているが、それゆえにモンスターたちの恐ろしさも一番知っている。


 吸血鬼も人狼も人間に比べると劣っている部分が多いが、それを補填できるほどの身体能力がある。だからこそ、調停機関の人間たちはモンスターに油断はしない。


それは、調停機関で働く数少ないモンスター相手でも発揮されるそうだ。


「真樹。早く二人を連れてきて」


 夜鷹が、真樹を急かした。真樹は実にうれしそうに、明知と左目を案内する。この浮かれようからするに、真樹は夜鷹が好きなのかもしれない。


 止めたほうがいいですよ、と明知は言いたくなった。


 夜鷹は行方不明中の師を探すのに夢中で、残念ながら他のことにはあまり興味がない。彼女を振り向かせるには、並々ならない努力が必要であろう。


まぁ、そんな忠告など聞こえないのが恋というものなのだろうが。


でも、やっぱり止めたほうがいいような気がする。だって、浮気したときにすぐにバレそうだ。


「何を考えているですか?」


 真樹は、明知のほうを振り向く。


 夜鷹ほどではないが真樹もそれなりに聡いらしいが、残念ながら明知が考えていたのはくだらないことだ。明知はにこりと笑って「なにも」とごまかした。


 真樹が二人を案内したのは、会議室であった。


 壁に固定されたホワイトボードに椅子が一客しかなかった。恐らくは、左目が暴走した際に武器になることを恐れて片付けたのであろう。


「この部屋であったことは録画させてもらうわ。あと、鍵も掛けさせてもらうわね。あなたは薬を飲んだときに逃走する可能性があるから」


 夜鷹は、左目にそう告げた。


「ああ、無意識に廃墟のホテルに行っていたもんな」


 夜鷹の言葉に、左目は頷く。


 廃墟のホテルへとバイクを走らせたときに、左目の意識はなかった。再び廃墟のホテルへと向う可能性があった。


「真樹は念のために外で待機。何かがあったら、すぐに応援を呼んで」


「はい、先輩」


 夜鷹は、真樹を外に出してドアに鍵をかける。


 そして、左目に水と薬を渡した。


「それは人狼化する薬よ。あなたの秘密を探るために、飲んで欲しいの」


 左目は、その薬を受け取る。


 明知は、一瞬だが止めるべきかと迷った。


この実験は、未成年である左目を少なからず危険にさらす。だったら、止めるべきだと思うのだ。今だったら、止められる。


「心配してるだろ、おまえ」


 気がつくと、じっと左目が明知を見ていた。


「言っておくけど、おまえがさっきやった空中散歩のほうがずっと危険だったと思うぞ」


「あれは、ちゃんと腕を掴んでいたから危険はありません。それより、薬を飲むほうがずっと危険で……」


 一度目は、明知は人間に戻った。


 だが、次は違うかもしれない。


 日光を浴びたら死んでしまう吸血鬼よりもマシかもしれないが、人狼になれば大幅に寿命を減らしてしまう。


人狼の寿命は四十年ほどだ。左目が、その短い寿命を受け入れる準備ができるとは思えなかった。


「一度は戻れたんだから、大丈夫。なにかあったら、頼むな良識派」


 左目は、明知の胸をドンと叩いた。


 信頼されていることに、明知は少しばかり驚きを覚える。


「吸血鬼の良心なんかを頼らないでください」


 吸血鬼は、人間から派生した存在である。


 それでも、人間でよりもはるかに力が強く傲慢になりやすい種だ。その良識を頼りにされるのは、明知にとっては不安が残る。


それに、これは明知が信頼されたからといって解決するような問題でもないのだ。


「大丈夫、良識派というのは冗談だから」


「……それは、それで傷つきます」


 左目は、薬を飲みこんだ。


 水をごくごくと飲み干すと「ふぅ」と一息つく。薬による転化は噛まれたものに比べると緩やかであるという特徴がある。人狼に噛まれたときの痛みもないはずである。


「気分はどうですか?吐きますか」


「別に、普通だけど」


「……吐かないんですね」


 黒ポリを持った明知は、若干残念そうだった。


 左目としては、その黒ポリはどこから取り出したのだと突っ込みたい気分である。


「待っている間にあなたに関しての記録を少し確認させて。あなたは、小学校三年生のときに事故にあったのよね」


 夜鷹の質問に、左目は頷く。


「ああ、医者の話では意識がなかなか戻らなかったって。この目も目覚めたら、すでに義眼だったし」


 左目は、自分の義眼を指差す。


「どこの病院で治療を受けたのかは覚えている」


 左目は病院名を告げると、夜鷹はそれをメモする。


 明知が聞いている限り、不自然な回答はない。むしろ、左目の回答は夜鷹が不審がっていた情報を埋めるようなものに思われた。


治療の記憶があまりないのも、彼が意識を失っていた状態であるのならば納得がいく。


「あなた、ツダという名前に聞き覚えはある?」


 夜鷹の質問に、明知の一瞬眉を寄せた。


 だが、左目は首を振る。


「聞いたことがない」


「そう……」


 夜鷹は表情を変えなかった。


 だが、内心残念がっていることを明知は見抜いていた。


 ツダというのは、夜鷹の師の名前である。


 明知よりも長く生きている吸血鬼で、他人に自分のことを苗字で呼ばせていた。


家族制度が崩壊し、苗字という概念がなくなった現代では受け入れにくいスタイルを貫いていた吸血鬼だ。夜鷹は、そのツダという吸血鬼を探している。


「ツダって、誰?」


 左目は、夜鷹にたずねる。


 夜鷹は、すぐに答えた。


「指名手配中の吸血鬼よ」


 明知は、それ以上の説明をするべきかと一瞬迷った。


夜鷹の師であり左目の知り合いのツダは、十年ほど前に行方不明になっている。行方をくらませる前に、ツダは人間に無理やり血を飲ませた疑いを掛けられている。


ツダの血を飲んだ人間は全員がショック死してしまっており、ツダが何のために血を飲ませたのかは今だに不明だ。


そして、一番近くにいた夜鷹に何故血を飲ませなかったのかも不明である。


 明知も、彼がどうして人間たちに血を飲ませたのかが分からなかった。

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