第10話古きを知る夜

 左目の言葉に、明知は面食らう。


 左目の瞳は、きらきらとしていた。


左目は、本気で吸血鬼の夜間飛行を楽しんでいた。そもそもバイクで走っているだけあって、風を体で切る感覚が好きなのだ。


吸血鬼が夜の闇を跳ぶ感覚は、バイクなんかよりもよっぽど風を感じる。


「こ……怖くないんですか」


 恐る恐る明知は尋ねてきた。


「ジェットコースターみたいで、楽しいだろ!!」


 笑顔の左目に、明知は苦笑いした。


 明知は、どうやら左目が怖がると思ったようだ。


「思えば……あなたはあの魔バイクに乗ってなんとも思わないんですよね。こんなもので、酔うはずがありませんでした」


 明知は、少しばかり残念そうだった。


 左目は、彼が自分のバイクの後ろに乗った後に吐いていたことを思い出した。特に珍しいことではなかった。


左目のバイクに乗った人間は、大抵の場合は吐く。きっとバイクに乗りなれてないからだろう。


「なんだよ。おまえは、俺に仕返しでもしたかったのかっ」


 弾むように、左目は笑う。


 左目は、本当に吸血鬼と跳ぶことを楽しんでいた。


「これ、本当に楽しいな」


「普通の人間なら怖がります。私もなれるまで、三年かかりましたよ。なれるまでは自分の脚力で、隣のビルに着地できるかが不安で怖いんです」


 左目は、その言葉を聞きながら自分が怖いとだなんて思っていないことに気がついた。


 バイクの運転だって、最初だけは少し怖かった。その怖さはすぐに楽しさに変わってしまったが、この空中散歩は最初から怖さがなかった。


 吸血鬼なんて得体のしれない者の力を全面的に信頼して、空を跳んでいるのにまったく怖くない。


 ただ楽しいだけ。


 ――自分は思ったより、この吸血鬼のことを信用しているのかもしれない。


 左目は、そのことに気がついてはっとする。


「……降りる。歩いて、調停機関に行く」


「あっ、やっと気持ち悪くなりましたか?」


 明知は、少し嬉しそうだった。


 どうやら、左目が気持ち悪くなったと勘違いしたらしい。


「気持ち悪くなったんですね。気持ち悪くなったんですよね」


 大人の癖に、明知は一瞬子供のように勝ち誇っていた。


 どうやら、左目を酔わせたかったらしい。


「うっ、うれしそうに言うな!これぐらいは楽しいぐらいだ」


 左目の言葉を聞いた明知は、少し残念そうだった。


 本気で左目の吐き気を誘いたいだけらしい。


「おまえ……結構子供っぽいのか?」


 左目は、明知の年齢をよく知らない。吸血鬼になれるのは二十歳からだから、二十代なのは確実である。


吸血鬼は成長が止まってしまうから、見た目で年齢を計ることが不可能だ。


「百年も生きているんですよ。そんなわけないでしょうが」


「ひゃく……」


 左目は、驚いた。


 明知の年齢が、思っていたよりもずっと上だったからである。


 百年前、というのは左目には想像もつかない世界だ。


一応の知識はあるのだが、それらは所詮は知識でしかない。


百年前には補助機がなくて携帯やらスマホやらが全盛を誇っていたというが、それがどういう世界なのかが左目にはよく分からない。テストにでるから、名前は分かるというだけだ。


「そういえば……百年前は家族制度がまだあったんだよな」


「そうですね、私はその最後の世代でした」


 左目は、目を丸くする。


 目の前の吸血鬼は、親というものの実感があるというのが不思議だった。


「あなたも家族と言うのに憧れがあるんですか?」


「いや……憧れというわけじゃないけど」


 どいうものか気になってはいる。


 明知は、左目を見つめながら少し顔を曇らせる。


「私は、家族制度がほほ崩壊していた世代です。あなた方が夢見るような家族を実感していないので、話は聞かないほうがいいと思いますよ」


「俺は、聞かないほうがいい話っていうのも知らない世代だぞ」


 左目の言葉に、明知は一瞬だが目を点にする。


 その顔が、少し左目には不思議だった。


「そう……でしたね。それに、今となっては全員が死んでいるつまらない話でした」


 秘密にする意味さえない、と呟いて明知は地面を蹴る。


 また、高く飛び上がる。


 風が、気持ちいい。


 左目が冷たい風を全身で浴びるなかで、明知は口を開く。


「少年時代の話です。私は人を殺したと警察に疑われました。冤罪でしたが、家族はそれを信じてくれませんでした。真犯人が逮捕されても、家族だけは私が真犯人であると信じていました」


 明知の声は小さい。


 ともそれば、風の音で聞こえなくてもおかしくはないほどであった。もしかしたら、明知はそうなることを願ったのかもしれない。


「それ……どうして」


 だが、左目には明知の言葉が聞こえた。


 あきらめたように明知は続きを語る。


「殺されたのが、私の兄だったからです」


 明知の唇が、ふいに笑んだ。


 恐らくは、意識的な微笑みであったのだろう。目は笑っていなかった。


「私の兄は、幼い頃に親の不注意が原因で事故にあいました。下半身不随になってしまいまして、その面倒を私がずっと見ていたんです。だから、兄は私が殺したと思われた」


 意味がよく分からない、という顔を左目はする。


 明知は、それによって現代と過去の際に気がつく。


「昔は、たとえ体が不自由でも家族と共にいるというのが当たり前だったんです」


 今の時代は、子供は親から離されて育てられる。


 家庭の事情というものからは、無縁でいられる。


「でも、それだと介助する人間が大変だろ」


「そうです……家族というのは暖かいものかもしれないが、闇も抱えやすい。私の世代は、その闇があふれてどうしようもないところまできていました」


 兄が施設にはいるという選択もあったが、どこもいっぱいと役所に返答を受けたことを今さらながらに思い出した。


あの時は市の職員に「家族なんだから自分のところで面倒を見てください」と言われた。明知は、兄の面倒を見るために遠くの高校を受験することをあきらめた。


「家族にとって、私が兄を殺すのは自然なことに思われたようです。私は、そんな家族を捨てたくて吸血鬼になりました。うちの家族は、モンスターが嫌いでしたから縁を切られることは分かりきっていまし」


 当時を思い出しているのだろうか。


 明知の手は冷たい。


 違った、と左目は思い直した。


 明知は吸血鬼だから、最初から手は冷たかった。左目が勝手に、明知の手が暖かいと思いこんでいたただけである。


「私は家族から逃げるために、吸血鬼の血を飲んで人間を止めました」


 明知は、最後の最後でぼそりと呟いた。


 恥じているのだ、左目は思った。


 それと同時に左目は「なんで恥じるのだろうか」とも思った。


 吸血鬼や人狼になるのは、あくまで人生の選択の一つだ。それを恥じる理由が、左目には分からない。初めて左目は、百年の落差を感じた。


 百年前から生きてきた明知と今しか生きていない左目には、相容れない決定的な違いがあるのである。


「明知……俺、おまえのことよく分からない」


「そんなものですよ。他人なんですから」


 明知は、左目がなぜそんなことを言ったのかが分からないようであった。

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