第9話星空を飛ぶ夜
左目は、寮暮らしである。
今日も左目は、寮の部屋で一人でいた。
全ての子供たちは大人になるまでは、同じ環境で育つ。不平等の原因となる親という存在を子供は知らずに育ち、自分が親となっても子の名前やどこにいるかも公表されない。
故に、家族と言う機能は完全に崩壊したといわれている。
左目は、それに対して不満を思ったことはない。左目は家族制度が崩壊したことが当たり前になった世代であるために、親がいるということに実感を持つことが難しかった。
それでも、幼い頃に事故にあったときは側に誰もいないことに寂しさは覚えた。一年休学し、友人と離れ離れになったときも寂しかった。今も時々寂しい。
高校二年生の教室や寮にいる十八歳は自分だけで、疎外感を少し感じる。周囲の人間たちは、左目を受け入れようとしてくれる。左目も、そこに飛び込もうとする。
だが、やはり駄目なのだ。
どこかで「してくれている」と思うからなのか、遠慮が生まれて友人たちのなかの輪に溶け込めなくなる。
考えすぎと言えば考えすぎなのだろうが、左目の考えすぎは周囲にバレているような気がする。
だから、時間が経つにつれて「友人になってほしい人たち」は左目自身から離れていってしまう。残るのは、ドラックを買いに行く足として自分を使うような人間たちぐらいだった。
自分以外の彼らが失踪している話を聞いたときは、信じられなかった。
だから、探さなければと思ったのだ。あんなやつらでも、自分のことを頼ってきてくれた友人である。
だが、同時に自分が三日も行方不明だったということも信じられなくて――その理由を知りたかった。警察などの大人たちは、左目について腫れ物を扱うように接する。
きっと大人たちは左目が誘拐されて、辛い記憶だから左目が無意識に三日間の記憶を封じていると思い込んでいるのだ。
たとえ、そうであったとしても――左目は失った三日間の記憶のすべてを取り戻したい。
三日の間に、何があったのかを知りたい。前みたいに、自分の中に空白があり続けるのは嫌なのだ。
十年前の小学校三年生のときの事故のときも、左目の記憶は一部失われた。
大人たちは事故のショックという説明を当時の左目にしたが、左目はそれに対して割り切れないものを感じていた。
なくした記憶も自分の一部だったはずなのに、なくなってしまったからあきらめろと言われる。
あるいは目にはまった義眼と同じように、本物に限りなく近い偽者をはめ込んでごまかしてしまえと大人は言う。
左目は、あきらめたくない。
偽者をはめ込むこともしたくない。
本物が、欲しい。
その思いは、きっと共通した記憶がないから親しく話すことができなくなった一学年上の友人たちがいたからだろう。
一年間休学した左目は、本来ならば高校三年生である。
小学校三年生までは同じクラスで学んでいたから仲の良い友人たちはいたのだが、一年間の空白の間が、左目と同い年の友人たちの間に溝を作った。
左目には、三年生のクラスメイトたちと共に過ごした共通の記憶がない。離れてしまったものは仕方がないが、その溝を埋めるパテはせめて本物であってほしいと思うのだ。
「あの……お邪魔してよろしいですか?」
そんな夜に、珍客が現れた。
しかも、ドアではなくて窓から。
「おっ、おまえは……」
左目は、思わず椅子から落ちそうになってしまった。
窓から、左目の部屋を覗いていたのは吸血鬼の明知であった。左目は、思わず自分の首筋を押さえる。この明知という吸血鬼は、得体が知れない。
成り行き上で助けてしまったが、その後は自分のことを愛人といったり、薬物を買いに行った店までつけてきた疑いもある。
その後病院に行ったりしたので、助かったといえば助かったが。ともかく、成り行きで助けたにしては異様に左目にかかわりたがる変な吸血鬼なのである。
「あの、この窓はでっぱりが少なくてずっとこのままなのちょっと苦しいんですが。入っていいですか、左目さん?」
「わかった、入れ」
知り合いが窓から落ちるというのも目覚めが悪い光景だ。吸血鬼だから、たぶん大丈夫だろうが。
「助かりました、左目さん」
「その左目っていうのは、止めろ」
明知は、最初から左目と自分を呼ぶ。本名はすでに知っているはずなのに、お構いなしである。
「もう、慣れてしまったんですよ。いいじゃないですか。その左目、可愛いですよ」
にこり、と明知は微笑む。
基本的に柔和な顔立ちの明知だが、左目にはその穏やかさこそ不審なものを感じる要因であった。長髪というのも、なんとなく胡散臭い。
それに、自分のことを左目と呼ぶのも嫌いだ。この左目は、空白を埋めるための偽者なのである。
その偽者が可愛いはずがない。というか、どういう感性をしていたら義眼を可愛いだなんて言えるのだろうか。
「俺の左目、生体じゃないのを知っているだろうが」
調停機関で、夜鷹という女性が何故か左目のことを言い当てた。
普通であれば、義眼を本物の目と見分けることは難しいはずだ。
左目は、今まで初対面で義眼であることを言い当てられたことはない。自分で確認して見ても、義眼は本物にしか見えない偽者だった。
「普通じゃないから、他の人間と見分けがつきやすいじゃないですか」
朗らかな声で、明知はとんでもないことを言う。
吸血鬼には、体の欠損がコンプレックスになるという考えはないらしい。あるいは、それが吸血鬼にとって美味しそうに見えているのかもしれない。
「……もういい。おまえ、今日は何の用件できたんだよ」
「今日は調停機関に行く日だと聞いて、お迎えにきました」
左目は、首をかしげる。
「俺、足があるぞ」
愛用のバイクは、かなり丈夫にカスタマイズしてある。
調停機関や警察の話によるとかなり手荒に扱ってしまったようだが、あのバイクはそれぐらいでは壊れないぐらいに丈夫だった。そのおかげで、左目は今でも移動手段には困らない。
「もうちょっと安全なもので移動して欲しいんです。とはいえ、私の都合で夜に呼び出してしまっているので責任を感じて私が迎えに来ました」
左目が調停機関に呼ばれているのは事実だ。
自分がドラックを摂取していないと知った左目は、全てのことを調停機関に話した。そのことに関して、確かめたいことがあると調停機関側が申し出てきたのだ。
「おまえも同席するのか?」
意外であった。
というか、この吸血鬼はどこまで左目の事情に首を突っ込んでくる気なのだろうか。
「はい。あなたは記憶を失っている間に、何かしらの行動を起こす可能性がありますから」
つまりは、左目の見張りとして明知は同席するのである。
もしかしたら、調停機関に頼まれたから同席するのかもしれない。
「……わかった」
調停機関に頼まれたとなれば、明知が同席するのにも納得がいく。
左目の記憶はないが、人狼に噛み付かれ明知に噛み付いた左目はそれこそ「グールのような」動きをしたのだという。今回も同じことが起きれば、周囲に迷惑がかかる。
「おや、随分ものわかりがいいですね」
「周囲に何かがあったら嫌だからな」
そして、また空白の記憶ができてしまうのも嫌だ。
それでも自分のかかわっていることで謎を残すことも怖いような気がしていた。
「では、さっそく行きましょうか」
明知は、左目の手を取った。
左目は唖然とするが、説明することもなく明知はぴょんと窓から外に飛び出す。手首を掴まれたままの左もそれは同じで、明知と共に寮の窓から外に落ちる。
「うあぁぁぁぁ!!」
悲鳴が終わる前に明知は地面に着地し、左目も明知に抱きかかえられる形で無事に着地した。そのまま明知は高く跳躍し、隣の建物の壁を蹴る。
そこからさらに跳躍し、たった二歩で四階建ての屋上にまでたどり着く。さらに明知は疾走し、隣のビルからビルへと飛び移る。
吸血鬼にとっては軽い運動だが、身一つで空を跳躍するのは人間とっては慣れないことだ。普通だったら、恐怖で叫び声をあげていたことだろう。
普通だったならば。
「きもちぃぃ!」
突然、左目は叫んだ。
冷たい風が、左目の口の中に入った。呼吸が苦しくなるが、それ以上に楽しくてたまらなくなった。
今まで考えていたことが馬鹿らしくなるぐらいに、風を切るのが楽しい。
バイクに乗っていると時と同じぐらい。
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