第8話特異体質の夜

 病院での左目の診断結果は、きわめて健康ということで落ち着いた。


 人狼に噛まれたのに、その痕跡もなく健康というのは問題ではあったが「左目が人狼に転化する」という可能性はなくなったので、左目は弦に寮まで送ってもらうことになった。正確には左目のバイクに弦が乗り込むことになったのだが――きっと明知と同じ目にあうだろう。


 ざまあみろ、と明智は人知れず思った。


 明知は、病院の近くのビジネスホテルに泊まりこむ。左目の診断が終わった段階ですでに四時を回っており、これ以上の屋外活動は危険であると判断したからだ。吸血鬼は日光にとても弱く、一瞬日に当たるだけでも灰になって死んでしまう。


 なお、人間の伝承には吸血鬼は灰に血をたらすと復活するというものもあるらしいが、実際にはそんなことはない。


 灰になったら、死ぬ。


 このあまりに死にやすい体質ゆえに、長生きできる特性を持ちながらも吸血鬼の平均寿命は長くないのだ。しかも、人知れず太陽に当たって死んでいる場合もあるので一年に一回は役所で手続きをしないと死亡届が出されてしまう。


 便利なようで、不便なのである。


 だからこそ、吸血鬼になりたがる人間が少ない


「さて……」


 眠気をこらえながら、明知は血液パックの蓋をあける。冷凍していた血液は、一晩たっていい具合に解凍されていた。ゼリータイプの栄養補助食品のような形をしているが、中身は明知の愛人の血である。 


 愛人と言っても左目の血液ではない。明知は、できれば左目からはもう血を吸わないことにしようと思っていた。


 左目は未成年であり、明知の吸血行為が負担になる可能性があった。今は便宜上愛人ということにしているが、牙の痕が消える一ヵ月後には関係を解消しようと考えていた。


「ぐ・・・・・・これは」


 明知はトイレに駆け込み、口に含んでいた血液を全部吐き出してしまった。車酔いはすっかり回復したというのに吐き気が止まらず、口の中は鉄分の嫌な味で満たされている。たまらずに、明知はうがいをした。


「どうして・・・・・・こんなことが」


 愛人の血が飲めなくなっている。


 思い当たる節がないわけではないが、それはあまりにも都合が悪すぎた。明知は「自分の体調がすぐれないせいだ」と言い訳する。明知が考えていたことが当たっていたとすれば、左目に負担をかけてしまう。


 それが、嫌だった。


 吐き気を気力で押さえ込みながら、明知はタブレット型の端末を手に取る。端末に登録してある夜鷹の電話番号を明知は探していた。


 明知と夜鷹の付き合いは、古い。


 そもそも明知は、夜鷹の行方不明になっている師ツダの知り合いである。その関係上、夜鷹は子供の頃から知っている。


 彼女の見た目がそのころからほとんど変わらないので、最近では誰が吸血鬼だったのかと思い悩むこともあったが。


『明知?どうしたの』


 電話口から、若い女性の声が聞こえてきた。


「ちょっと左目さんのことに関して、ご報告したいことがありました」


 左目が人狼に噛まれても人狼にならなかったこと記憶の空白、これらは明知一人で抱え込むには重大すぎる問題であった。明知からの報告を聞いた夜鷹は、しばらく考え込んでいた。


『体質かもしれないわね』


 夜鷹から聞かれた言葉は、予想外のことだった。


 人間はモンスターになりうるという常識が、明知の頭の中にあったからである。


「人狼や吸血鬼にならないんですか?」


 明知の言葉を、夜鷹は肯定する。


『昔の話になるけれど、吸血鬼の血を飲んだり、人狼に噛まれてもモンスターにならなかったという人間の目撃例はあったわ。ただし、そのころはまだモンスターは伝説上の存在だったの』


 つまり、モンスターにならない体質の人間もモンスターと同じように伝説上の存在でしかなかったらしい。吸血鬼も人狼も第一次世界大戦時に姿を現してはいるが、未だに伝説上の生き物だった時代が長い。


「左目さんは、噛まれたあとに急激にグールのように凶暴化しました。さらに、その間の記憶までありません。そこまで強力な影響力を持つ事柄を体質と説明していいのかどうか」


 少し腑に落ちない、と明知は言う。


『……今の段階では、それも体質としかいいようがないわね。医者は、健康面では問題ないといっていたのでしょう』


「はい。健康な人間であると……」


 すべてが体質となると、左目はかなり奇異な体質としか言いようがなかった。少なくとも薬物によるモンスターへの転化がなされるようになってからは、彼のような体質は見つかっていない。


 だが、同時に吸血鬼や人狼になりたがる人間が非常に少なかったため見つからなかったという可能性も頭をよぎった。


 左目のような体質の人間が元から少なく、それら全員が普通の人間としての人生を全うしているのならば今まで発覚してこなかったことはありうる。


『左目君を一度こちらに連れてきて』


「調停機関にですか?」


『ええ、実験してみたいことがあるの』


 夜鷹の言葉に、明知は若干の不快感を示す。


「未成年に危険なことをするのは反対です」


 夜鷹の師のツダも反対するであろうといいかけて、明知は止めた。


 師が失踪してから、夜鷹は彼の居所を常に探っている。だが、彼女がいくら探そうとも師の居場所は把握できていない。彼女に古い知り合いとはいえ、自分がツダの話を持ち出すのはずるい気がした。


『でも、彼が何者なのかを調べないとどうして彼がグールに追われていたのかも分からないわよ』


「書類での調査で何とかなるでしょう」


 現代では、家族という概念が消失している。


 そのため、過去では家庭で保存されていたような現代人の記録はすべて国で保存されているのである。


『そっちはすでに取り寄せているわ。学校の様子の記録もね。左目君は、普通の子よ。成績もごく普通で、補導暦もないわ。事故も起こしてないみたいね』


「事故に関しては、起こしてないほうが異常だと思うんですが……」


 思い出しただけで、明知は気持ちが悪くなってきた。


 だが、思い返してみれば正気の左目はちゃんと道路交通法を守っていた。揺れだけが、異常だっただけだ。


『ただ、十年前の小学校三年生の頃の事故にはあっているわね。そのせいで、左目が義眼になっているわ。一年も治療で入院していたら、学年もまだ高校二年生よ』


 夜鷹の情報によれば、かなり被害の大きな事故に左目は巻き込まれたらしい。目はそのせいで義眼となり、一年の療養期間が設けられた。


「そんなの大きな事故にあっているのだから、バイクの運転なんて止めればいいのに……」


『なんで、さっきからバイクに対して否定的なの?』


 明知は、言葉に詰まった。


 バイクに乗せてもらい車酔いをしたという事実はできるだけ隠しておきたかった。


「なんでも……ありません」


『まぁ、どうせ車酔いでもしたんでしょう。あのバイクはすごく揺れるから』


 さらりと夜鷹は言うが、言い当てられた明知は仰天した。


「どっ、どうしてそれを」


『だって、あのバイクを警察まで運ばせたのは私よ。部下から『人間の乗り物じゃない』『どういう魔改造されているんだよ』『魔バイク怖い』っていう苦情が来たわ』


「……」


 明知は、何も言えなくなった。


 やはり、あのバイクは折を見て破壊したほうがいいような気がする。


「ともかく、左目さんの経歴や過去の健康状態にも不審なところはないわけですね」


『そうともいえないわ』


 夜鷹がぱらぱらと書類をめくる音が、電話の向こうから聞こえる。


『一年間の療養期間があったといったわね。その期間の記録が通常よりもかなり少ないわ。大怪我していた子供のものとは思えないぐらいよ。ちょっと調べて見るけど、記録が古いからちゃんとした情報が出揃うのはいつのことになるかは分からないわ』


 そうなると、夜鷹が提案する実験という方法に頼るしかない。


『それに、もう一つ気になることがあるのよ』


 夜鷹は左目の体質を親から受け継いだものであると疑い、血縁の記録も回覧したらしい。個人では親の記録を読むことは出来ないが、遺伝病の類があるために国では血縁上の親子関係はきっちりと記録されている。病歴に対しては、特に厳重に記録されているはずである。


『その記録を取り寄せたわ』


「よく見せてもらえましたね……」


 保管も記録も厳重なはずなのに、と明知は思った。


『ちょっと、国の職員で弱みの握っている知り合いがいたのよ。そしたら親のほうには特に不審な点はなかったんだけど彼の兄には面白い記録があったわ。医療記録しか見られなかったけど』


 ちょっと弱みを握っている知り合いは、知り合いとは呼ばないと明知は突っ込まなかった。たぶん、夜鷹の人間関係の大半はこういうものだ。


『左目の兄の医療記録、ごっそりと五年分が抜けていたの。普通の人間が五年も病院に行かないなんてありえないから、なにかあると思うわ。ちょっと調べて見るわね』


「脅したりするのは、控えめに頼みませますよ。ニュースで知り合いが指名手配されるのは、もうこりごりですから。それと……左目さんは人狼に噛まれた際に凶暴化しています。万が一を考えて、私も同席してよろしいですか?」


 夜鷹は、それを了承した。

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