第6話失った記憶夜

「あなたは、人狼に噛まれたのですよ」


「き……記憶がある、たぶん」


 明知の言葉に、左目は視線をさまよわせる。どうやら記憶があるが、その後の記憶があやふやらしい。噛まれたショックだと思えば珍しいことではないが、彼はその後にバイクでホテルにやってきている。ショック状態だとは思えないほどに理性的な行動である。その理性的な行動の意味は、不明だが。


「傷を見せてください。噛まれれば、三日後には完全に人狼になってしまいますから」


 左目は、おずおずとライダースーツから首筋を露出させる。


 迷わず噛まれた箇所を見せたということは、本当に噛まれた記憶はあるのだと明知は考えた。だが、左目の首筋には人狼に噛まれた傷はなかった。


 あるのは、明知が残した印だけ。


「あ……あなた、本当に噛まれていましたよね。別の場所の可能性は?」


「噛まれた場所を間違えるか!」


 確かに、そうである。


 だが、あるはずのものがない。


「店でのあなたは、正気ではないように見えました。あなた、あそこで暴れた記憶はありますか?店を大破させていましたよ」


 大嘘である。


 だが、左目は目を丸くした。


 信じたということは、記憶がないのであろう。


「俺……なんで、そんなこと」


「嘘です」


 明知の言葉に、左目は言葉を失う。


「なっ、なんでそんな嘘を!」


「記憶が本当にないのかを確かめるためでした。それで、いつから意識が途切れましたか?」


「噛まれた後、すぐぐらいか……たぶん。気がついたら、ここにいた」


 自信なさそうに左目は答えた。


 そして、左目は自らがたどり着いた廃墟のホテルを見る。


「ここ……この前のホテルだよな」


「ええ。このホテルに強い思い入れはありますか?」


 左目は、首を振る。


「この間、初めて来た。……なぁ、あの時の俺は何から逃げてたんだ?」


「あなた、まさかその記憶も」


 明知は、驚いた。


 どうやら左目は「何かから、逃げていた」という記憶がなかったらしい。

「俺が覚えているのは、あの店に寄ってから友人とこの廃墟にきたこと。そしたら、音がして血まみれのおまえが倒れていたんだ」


 グールに追われていた部分が、左目の記憶からは欠如していた。


 左目は、ずっとこの廃墟にいたのだと思い込んでいたのである。


「あの店で何を買い――ご友人とどうしてこのホテルに来たのですか?」


「かっ、勘違いするなよ。俺は、あくまで足役だ。あんな店に行くとは思ってなかったんだからな」


 よくないものを買ったと思われていると左目は思ったらしく、あわてて否定する。明知としては、左目が主導でドラックを買ったとは思っていない。


「ご心配なく。そうは考えていません」


「信用できないけど……いいや。あいつらはあの店で薬を買い込んで、このホテルに連れて行けって俺に言ったんだ。あの店に連れて行った時点で同罪だったし、俺はここにあいつらを置いていくつもりだった。薬の効果が切れる時間になったら、迎えるにくる手はずだった」


 だが、左目の記憶は友人たちが薬を飲んだ時点で一度途切れる。


 その後は物音に気がつき、左目は明知を発見したのだ。


「意識が途切れていたのは、警察や調停機関で保護された時点で気がついていたでしょうに。どうして、今まで話さなかったんですか?」


「……薬を飲まされたと思った」


 明知は、ため息をついた。


 つまり、左目は友人にドラックを服用させられたと思って口をつぐんでいたのである。


「調停機関であなたの身体はチェックされています。私が血を吸ったから血液もチェックされていますので、薬物の使用があればすぐにわかります。それに、血を飲んだ私もあなたは健康体であると思いました。薬物の使用は、まずないでしょう」


 左目は、ほっとしていた。


 その様子を見ていた明知は、思わず呟く。


「怖かったんですね……」


 その言葉に、驚いたように左目は明知を見つめた。


 左目の心境は、大人であるのならば誰でも察しがつく。吸血鬼でなくとも、百年を生きていなくとも、不安で怖くてたまらなかったことは想像がつく。


「怖く……怖くなんかない!」


 左目は、目を吊り上げる。


 その突然の凶暴さに、明知は一歩ひいた。


「それより、ここで薬を飲んでいた奴らの行方を捜さないとな。あの店にならヒントがあると思ったけど結局分からなかったし、行方不明扱いになっているみたいだし!!」


 凶暴な空元気を振り回して、左目は笑った。


 その微笑みは、無鉄砲な少年らしいものだった。それと同時に、明知は彼の寂しさを垣間見たような気がした。誰にもいえない秘密を抱え込んでも、左目は一人で戦っていけるだけの強さがある。いつかは、その強さこそが左目を押しつぶすのかもしれない。


「左目さん、ここにまだ私の噛み痕がついているでしょう」


 明知は、左目の首筋を指差す。


 左目は指先で、自分の首筋をなぞる。カサブタにすらなっていない箇所の傷を実感することは難しいらしく、顔をしかめている。明知は、少しだけ笑いながら左目の首筋を指でつつく。


「ここに噛み痕が残っている限り、私はあなたの味方です」


「……なんで?」


 左目は、たずねる。


 明知は、それに朗らかに答えた。


「だって、愛人ですから」

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