第5話尾行の夜

 左目の身柄は一度警察の預かるところとなり、その後は学校の寮に戻るという。警察で保護されている間、左目にはやはり何もなかった。


「……で、知り合いに頼んでまで未成年を寮に返す時間を夜に変更してもらったのはどうしてだ?」


 左目が警察所から出てくるのを隣のビルの屋上から見ていた弦は、隣に立つ明知に問う。左目は警察でも失踪していた三日間の記憶と自覚がなく過ごし、自分がどこに行こうとしたのかも思い出せない状態であったらしい。


「理由は簡単です。日中だと、私が行動できなくなるから」


 微笑む左目の背後には、満月。


 その満月を見て、弦はため息をつく。


「しかも、わざわざ満月の夜とは……」


「それは、私にも計算外でした。だから、あなたの力を借りようと思ったのです」


 夜鷹は、人間と吸血鬼、人狼に使用できるドラックが流通していると話していた。


 左目が失踪していたのが、そのドラックに関係していたとなれば人狼や吸血鬼の関与を疑わなければならない。


 だが、今夜は満月。


 人狼の能力が、大きく向上する一夜である。吸血鬼であっても、満月の人狼を侮ることはできない。


「あと、バイク!なんで、あの暴走バイクが復活してるんだ。絶対に、大破してるはずだろ!!」


 弦が指差すのは、左目が乗るバイクである。


 警察に保護されていた左目が新しいものを購入できたとも思えないから、あのホテルで回収されたものを左目が受け取ったのだろう。


「まぁ、冷静に考えればガラスのドアに突っ込んだだけですし」


「だけ、じゃないだろ。だけ、じゃ!」


 弦の叫びに反して、左目のバイクは夜を走っていく。


 明知は、端末を取り出してその方向を確認した。五十年前に発売中止となったスマホに似ている端末は、ピアス型の補助機ぎらいの明知にとっては必要不可欠な道具である。その端末が示す方向に、左目が在籍している寮はない。


「明らかに寮に帰る気はないようですね。追いますよ」


「たく、人のことを当然みたいに巻き込みやがって」


 ビルとビルとの間を吸血鬼と人狼が跳ぶ。


 道を歩く人々は、二人に気がつきもしないだろう。人狼と吸血鬼が、いくら人間の人生の選択肢の一つとなったとはいえ人口は圧倒的に人間のほうが多い。


 人狼は強靭な肉体を得るが暴力的になり短命という弱点を持ち、吸血鬼は日光や泳げないという複数の弱点を持っている。そのうえ、そのイメージに反して吸血鬼の平均寿命はかなり短い。


 吸血鬼になって数分後に、うっかり日光を浴びて死亡という事故などが起こるからである。明知は百年生きているが、かなり稀なケースだ。


「繁華街ですね。もしも、ドラックがらみならば『らしい』場所ではありますが」


 左目はバイクを駐車場に止めて、ビルの地下へと入っていく。


 弦は、鼻を鳴らした。


「人狼の匂いだ。しかも、複数だな。吸血鬼も混ざってるか……」


「突入したいですが、グールがいたら嫌ですね」


「グールがいたら、今頃阿鼻叫喚で血の匂いがすごいだろ……なにやっている」


 明知が取り出したのは、弦が知らない機械だった。明知としては、ラジオに似ている気がする外見の機械である。明知が生のラジオを見たのは、吸血鬼になる前の話しではあったが。


「盗聴器です。時間がなかったから、受信機ほうは小型のものを用意できなかったんですよね。あっ、ちゃんと左目さんに取り付けたほうは小型ですから」


「いつの間につけたんだよ」


「夜鷹に頼んでつけてもらいました。安全を確保するためにという、条件付ですが」


「……おまえ、自分は犯罪を絶対にしないのに、知り合いには躊躇なく犯罪行為を頼むよな」


 弦があきれていると、受信機から左目のものと思われる声が聞こえた。


『おまえたち……を知らないか?俺と一緒に来た。高校生の……だ』


「随分と雑音が多いですね」


「たぶん、左目以外の声も拾っているせいだろ」


 会話から推測するに、左目がここに来たのは初めてではない。


『居場所を知ってるなら、話せ』


 左目の言葉に「随分と直球な」と感想を明知は持つ。


 信頼しない相手に重要な情報は誰だって渡さないものだ。特に、あのような場所に集まる輩は。


 そこらへんが分かっていないあたり、左目は場慣れしていない。明知は、左目が常習的にドラックを買っていた可能性を捨てた。


『……おい、……意味だ?』


 何か、不穏な雰囲気になってきた。


「踏み込むか?」


 弦が言うが、明知は首を振る。


「もう少し、様子を見たいです」


『な……する!』


 弦が、顔を上げた。


「血の匂いだ!」


 満月の夜の人狼たちは、興奮している。その集団がいる場所で、わずかでも血の匂いがしたということは危険を意味する。


「仕方がない。私たちは、ここら辺を散歩中に血の匂いを嗅ぎつけたという体で突入しましょう」


「その言い訳は、今はいらないだろうが!!」


 怒鳴りながらも、弦は明知と共に店に入り込む。小さなビルの地下。煩いぐらいの音楽が鳴り響く店内では、ドアを開けた瞬間に血の匂いがした。


 その匂いに、明知の鼻がひくりと動いた。


 間違いなく、左目の血の匂いである。


 店内には吸血鬼もいたが、血の匂いに気がついている様子はない。どこか興奮しているようで、吸血鬼同士で血をすすりあっている。明知は、それを見て眉をひそめた。


「同族同士とは……」


「未だに吸血鬼のその感覚は理解でできねーよ。なんで、同族同士の吸血行為が変態的な行為に見えるんだろうな」


 人狼と吸血鬼はひとくくりにされがちだが、その生態は随分と違う。そして人狼のほうが、生活や感性が人間に近いといわれている。


「そう思う感覚だから、しかたないんです。それより、左目を探してくさい」


 時間が経つにつれて、血の匂いが室内の匂いと混ざって分かりにくくなっていく。どうやら、どこかで香でも焚かれているらしい。部屋に入った当初はあまり気にならなかったが、この匂いは吸血鬼の嗅覚を鈍らせる。人狼も同じだろう。


「……弦?」


「おまえら、満月の夜に何をやってやがる!!」


 前を歩く弦から、怒気を感じた。


 湯気のように吹き出る怒りに、明知は弦から距離をとる。そして、左目を見つけた。彼は床に倒れこんでいた。


 首筋には、噛み傷。


 吸血鬼ではなくて、人狼のものである。その光景には、明知も血の気が引いた。

 満月の夜の人狼に噛まれる。


 その意味は、噛まれた人間が人狼になるということだ。


「弦、この場は任せます。私は、とりあえず左目さんを病院に」


「病院に行ってどうにかなるもんなのか!!」


「行かないよりはマシです!!」


 明知は、左目の側まで走ろうとする。だが、その道を人狼に阻まれた。人狼の目はどろりと濁っており、現実を正しく把握できているようには見えなかった。


「薬物の摂取と香りと音楽による催眠の効力……なるほど、これならば薬物の効力が薄くとも人狼にも吸血鬼にも人間にも効くドラックになりうる」


 ぼそり、と明知は呟いた。


「ですが……こんなものに惑わされて自分を失うようでは品がない」


 明知は、立ちはだかった顎に自分の拳を叩きつける。


 その光景を見た弦は、その光景を見て口笛を吹いた。


「俺がいなくとも、おまえ一人でどうにかなったんじゃないのか?」


「この人数では、さすがに疲れます。それに、二人のほうが確実じゃないですか」


 人狼を退けた明知は、明知の側へと駆け寄る。


 まずは呼吸を確認するが、規則的なものであった。それに明知はほっとする。人狼や吸血鬼の転化が薬物によるものになったのは、噛まれた痛みや血を飲み干す苦しみでショック死するものが少なからずいたからだ。少ない確立であったとしても、とりあえず最初の鬼門を左目は乗り越えたことになる。


「弦、最初の話どおりに私は病院に……」


 明知は、その言葉を言い終える前に首筋に痛みを感じた。


 反射的にその痛みの元を、突き飛ばす。


 それは、左目であった。


「なっ……なにを!」


「なにがあった!!」


 弦も目を見張る。



 人狼や吸血鬼への転化には、普通は三日かかる。だが、今の左目から口からわずかに除くのは人狼の牙である。そして、そこから滴り落ちるのは吸血鬼の血液。


「驚くべき速さで、人狼になったとしか思えないですね。一種の特異体質にしては、ややおかしいような」


 人狼になったとしても、理性はある。


 いきなり知り合いに噛み付くことはしないだろう。


 左目は、獣のようにうなる。その瞳には理性はない。明知は、グールを思い出した。あのめっぽう強い獣も、今の左目と同じ眼をしていた。


 左目は、明知と向き合う。


 そのなかで、左目が床を蹴る。明知は、それを向い討とうとしていた。だが、左目は明知を相手にしない。彼の横をすり抜けて、一心不乱に店のドアへと向っていく。それは明知にとっては予想外の行動であった。


「まって……」


 左目の動きが早い。


 ほとんどグールと変わりがない。


「ここは、任せます!」


 店を飛び出した左目を追いかけて、明知も外へと飛び出す。すぐ近くでバイクの音が聞こえ、振り返ると左目が乗ったバイクが道を走っていた。しかも、道路を逆走している。車のクラクションが演奏のように鳴り響き、明知は舌打ちをした。


「なんで、あれに、免許を与えたんですか!!」


 明知は叫びながら、夜を失踪する。


 バイクは道路交通法を無視し、遠くへ遠くへと走っていく。


「この方向は……」


 左目が逃げ込んだ、廃墟のホテルがあった方向である。


 明知が思ったとおり、左目のどんどんと人通りのない道へと走っていく。そして、とうとう彼は廃墟であるホテルの前でバイクを止めた。グールに追われながらバイクで突っ込んだというホテルの前で、彼はバイクから降りる。


「ここに……何があるというのですか?」


 やっとのことで左目に追いついた明知は、左目に語りかけた。


 左目は、フルフェイスのヘルメットを外す。


 現れた瞳には、もう狂気はなかった。


「……わからない。なぁ、俺はどうしてここにいるんだ?」


 不安そうな声で、左目は明知に問いかけた。

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