十四 時計都市の遺産
ウィゼアは手にしたスコップで最後の一体を叩き伏せ、縦穴の底へと蹴落とした。
「今ので終わりだー!」
うおおお、と歓声が上がる。
彼らは朝方から地下水路に入り、広場で騒ぎが起きる頃合いを見計らって遺産のある縦穴へと再び突入、階段を駆けのぼり最上段へ到達した。途中にいた人形の数はわずかで、それらも共に来たドブさらいの者たちが破竹の勢いで蹴散らしていった。
「時計王の一族、守れた。これほど喜ばしいことはない」
「やった、やった。俺たちはやったぞ」
「敵が少なくて助かった。どうやら騎士様はうまく囮をやってくれたようだな」
それにしても、とウィゼアは感心する。あの領主様、見かけとは裏腹にかなりのやり手だ。この囮を考えたのもそうだし、昨日の抜け目なさもある。
実は、デッケンベルターの魔法のボタンを通じて、ウィゼアたちの地底旅行およびロンビオンとの会話は、全て夫人に筒抜けだったという。ウィゼアの思いや辛い境遇が直接伝わったおかげで、彼女が帰還する前から工房の人たちが味方についてくれたが、あのこっぱずかしい話を聞かれたというのは、なんとも面映ゆい。
●
「既に根回しはしておいたわ。ロンビオンの海軍さんたちは協力してくれるそうよ」
工房での作戦会議で、シャペオン夫人らはロンビオンとの協力体制をとりつけることになった。外交筋の伝手を持つ夫人だからこそできる仕事だった。
「作戦に使う人形も返してくれるみたい。誰か取りに行ってもらえるかしら」
であれば自分が、と言い出したデッケンベルターを夫人は叱りつけた。
「あなたは休みなさい。明日はもっと働くことになるのだから。ほらほら」
すごすごと睡眠をとるため退散する騎士。それを見ながら、夫人は傍らにいるウィゼアに微笑みかけた。
「はりきりすぎて困ってしまうわ。あの子はちゃんと貴女をエスコートできたかしら」
「騎士様がいなかったら今頃ここにはいないさ。とても助かった。いい騎士様だよほんと」
ウィゼアのお礼に、夫人は、そう、と嬉しそうに応える。
「実は、あの子は本当の騎士じゃないのよ」
「は? いやいやいや、ちゃんと乗騎がいるだろ。竜だけど」
「あの子だけじゃなくて、今のターラントには、騎士という身分そのものがないの」
遠い昔に廃れた、と夫人は寂しそうに言う。
「もう寝物語の中にしか、本当の北方の騎士はいなくなってしまった。でも彼は、そんな往古の騎士道に憧れて、私に仕えてくれているのよ。先祖が仕えた一族だから。ただそれだけで」
「ふうん……」
ウィゼアは夫人の眼差しに、我が子の行く末を案じる老母のようなものを感じた。
良い主従なのだ。そう改めて思う。
「そっちの国のしきたりは分からないけどさ。あの騎士様は本物だぜ」
「そう言ってもらえたなら、あの子もきっと喜ぶわ」
●
昨晩のうちにロンビオン側も交えてひそかに作戦を打ちあわせ、囮をデッケンベルターが、新兵器の強行押収をロンビオンが、そして地下水路へ入れるウィゼアは遺産の無力化を担当することになった。
ウィゼアは昨日まで着ていた服を囮の人形に譲り、今は同じく青色の、より令嬢らしいドレス服を身にまとっている。縦穴に落ち、ずぶ濡れになったことを知ったシャペオン夫人が、その場で街の服屋に遣いを出して手に入れたという。変なところまで用意周到だった。
「さて、と。あれか」
ウィゼアは縦穴の天井と、対岸を見た。中央広場がすっぽり入りかねない広大な穴の最上部には、橋がかけられていた。ちょうど、天井中心で光り輝く大宝玉の真下を通るように。
「ここから先は私の仕事だ。ギアソンが悪あがきするかもしれないし、あんたらは水路へ避難しててくれ。あそこなら、爆弾の一つや二つでも崩れたりしないだろう。下水道は逆に危ない。古いらしいしな」
「気ぃつけてくだせぇよ」
小男にスコップを返し、ウィゼアは橋へと向かう。
橋は重さを支えるためか、隙間の多い枠組みだけでできている。鋼鉄製の綱が四方から吊っているが、百年の間にどれだけ朽ちているか、わからない。
慎重に、急いで、ウィゼアは橋を渡っていく。
やがて大穴の中心に至った。見上げれば大宝玉が主の帰還を待ちわびている。
だが道はそこで終わった。天井はなお高く、大人が三人は積み重なっても届きそうにない。見れば橋の途中に梯子があった痕跡があったが、それは根本の部分しか残っておらず、随分昔に壊されたようだった。
どうしても遺産へはたどり着かせたくないらしい。
「この程度で妨害になるか。どうせやるなら橋を落としておくんだったな」
念のため命綱を橋の欄干に結び、縦穴の下をちらと見る。急いで駆け下りていったドブさらいたちは、どうやらもう水路へ全員戻っていったようだ。
ウィゼアは念のため命綱をくくりつけ、膝を曲げ、靴に手をのばす。
「さあて、クソじじい、ちょっくらその石、外させてもらうぜ」
そして彼女は跳躍した。
秒針が動くよりも早く、天井の遺産へといたり、手をのばす。
光り輝く大宝玉を、ウィゼアはしっかりと掴んだ。
〇
短針塔の一室。百年祭の式典で人が出払った後も、ランゼルは捕らわれ続けていた。
部屋の床や壁には幾つもの傷が刻まれ、今もゴリゴリという音と共に増えていく。ランゼルが手にしているのは、女吸血鬼が置いていった白い骨だ。それをチョークがわりに、しかし固すぎるがゆえ色ではなく傷で、図や文字を描いていく。
「魔法……遺産……呪い……」
ぶつぶつと呟きながら、ランゼルは一度見たものを一晩かけて全て描きだしていた。ウィゼアの中にあった数々の時計魔法陣、縦穴の天井にあった光る紋様、その他のからくり。
「なにか……なにかあるはずだ……繋がりが……」
彼は掴みかけていた。もう少しだった。
だが時間が来てしまった。
最初は、窓が風で鳴るように音をたてただけ。やがてどこかから低い音が聞こえ、最後には壁や床が震えはじめる。
「これは」
思考の海を泳いでいたランゼルも、意識を現実に戻さざるをえなかった。振動は大きくなりつづけ、立つことも這うこともできないほど身体が揺さぶられる。
大地の奥底で巨人が暴れているような地鳴りがし、部屋が傾く。
「ウィゼア、やってしまったのか」
ランゼルの呟きは、より大きな音によってかき消されていった。
〇
パスリムの中心部は大規模な地揺れにみまわれた。
建物の窓は割れ、時計式街灯が倒れ、あたりにガラス片を巻き散らす。
「地震……ではないでしょう。遺産が起動したと考えるべきです」
「予想より早い、敵も破れかぶれというわけか」
非難する人々とは反対に、ロンビオンの海軍兵たちは広場に留まっていた。しかし当初の予定どおり中央時計塔へ突入しようにも、周囲の家屋の倒壊という危険を無視するわけにいかなかった。
「やむをえん、ここは一旦退避だ。船にも連絡を」
決断が下れば後は早かった。ロンビオン兵たちは退却を開始し、その途中で逃げ遅れたパスリム市民を保護しながら、街の中心から外へと向かう。
頭上では飛行船が旋回し、こちらも中心部からの離脱を図っている。
中央時計塔の巨大な尖塔は揺れ、傾き、いつ倒壊してもおかしくない。自分たちが今いる側へ倒れてこないことを祈るばかりだ。
地揺れの中心となった中央時計塔は、振動と隆起で徐々に傾きはじめた。
塔の各所が崩れ、瓦礫が地面へとこぼれ落ちていく。
もし、パスリムの歴史を知る者がいれば、それに気づいただろう。落下していくのは、連絡橋や、外壁の大時計といった、百年の間に付け加えられたものばかりで、崩壊が進むにしたがい、徐々に建設当時の姿に戻っていっていることに。
やがて時計塔の基部と、その周辺にある中央広場一帯が隆起する。地下深く、建物の基部すら届かない地面の中から、石と金属でできた人工物が姿を現した。
隆起は止まらず、傾いた中央時計塔と、それを持ち上げる巨大な構造物は、パスリムの上空を目指して上っていった。
〇
ウィゼアは恐ろしい振動の真っただ中で、大宝玉を手に、橋の欄干にしがみついていた。
彼女が宝玉に手をかけた途端、それは地面から小石を引き抜くのと同じくらい簡単に外れ、それと同時に天井の紋様が輝きを強め、そして揺れがはじまった。
百年の歳月を経て、遺産が動き出したのである。
しかしウィゼアにそうした事態について考える余裕はなかった。いつ振動で落ちるともわからぬ橋の上で、奈落の底へ転落しないよう、必死に欄干を握ることしかできなかった。
この世の終わりかと思われた恐怖の時間は、揺れが徐々におさまることで終わった。
「止まった……か……」
よろよろと、立ち上がる。橋はまだ架かっているが、振動でわずかに床が傾いている。それにぞっとしながら、周りを見渡すと、ウィゼアは奇妙なものを見た。
縦穴の外壁に穴が開き、そこから光が漏れている。
下を見れば、縦穴のあちこちに、そうした光が現れていた。なにか新しく出てきた魔法の仕掛けだろうか。そう思ったウィゼアは、近くに開いている穴に目をこらす。
彼女は愕然とした。その穴の先には青空が広がり、光は魔法でもなんでもない、ただの太陽からのものだったのだ。
「どうなってやがる……」
事態が呑み込めずにいると、頭上に新たな動きがあった。
天井に亀裂が走り、一部が落ちて、いや、ゆっくりと降りてくる。
それは階段だった。その下端が縦穴の壁面に沿うかたちで止まり、固定される。
何が起きているのかはわからない。それでもウィゼアは、階段を上るべく進みだした。
〇
南に大きく傾いた長針塔に比べ、短針塔は比較的そのままの姿を留めていた。
短針塔内部も瓦礫が転がり、百年の間に降り積もった埃があたりを真っ白に染めている。
その中をわずかな影が這い進んでいく。
目指す一室は、扉が歪み、簡単には開けられそうにない。とはいえ今の彼女でも、わずかに残った力で扉を粉砕することは容易に思えた。
影が集まり、女吸血鬼の姿になる。だがその身体は、頭から肋骨の下まで、そして右腕しかなかった。
「ねえ、まだ生きているかしら」
息も絶え絶えに呼びかける。
「……外は、どうなってる?」
返事はあった。意外と悪運の強い少年だ。
「もう滅茶苦茶よ。いろんなものが壊れて、倒れて、下敷き。おかげで、私はなんとか一部だけ抜け出せたのだけれど」
ケートリィを拘束していた光は、地揺れで人形の一体が崩落した天井の下敷きになったことで綻びができ、そこから身体の一部をここへ送り込むことができた。だが依然として彼女の大部分は今も捕らわれたまま。
「ねえ、取引をしましょう。ここから出してあげる。そのかわり、私を助けてちょうだい。身体を取り戻したいの」
「ウィゼアが、遺産を動かしたのか」
話を聞いているのかいないのか、少年の声は見当違いなことを語る。
「そう、あのお嬢ちゃんが、やったの? 皮肉なものね、おかげで私はまだ生きてる」
「時計塔は、中央時計塔は、どうなった?」
「この塔はまだ持ちそうだけれど、大きいほうはもう駄目ね。あんなに傾いてちゃ」
「どっちに、傾いている?」
ケートリィは、苦しみに頭がぼんやりとしながら、訝しんだ。変な子だとは思っていたけれど、こんな時になってまで、そんなことを気にするだろうか?
「そうね……広場のほうよ。南。ええ、南に傾いている」
どうやって扉をこじ開けようかしら。近くに他の人間はおらず、ケートリィを光の牢獄から助け出すよう頼める者は、この中にしかいない。
そう考えていた時、彼女は耳を疑った。
少年が、笑い声をあげたのだ。
「そうか。そうだったのか。ははは、わかった。わかったぞ」
「なに……?」
「時計王はこれが狙いだったんだ。だから、彼女を……」
少年はひとしきり笑ったあと、ケートリィに向かって声をかけた。
「取引って、言ったっけ」
「ええ、そうよ」
自分の話をちゃんと聞いていたことに満足する。すると少年は言った。
「だったら、条件がある」
〇
ウィゼアは茫然とその光景を見ていた。
「なんだよ、これ……」
つい先ほどまでは中央広場だったところにウィゼアは立っていた。長針塔は大きく傾き、そのままいつ重さに耐えきれず倒壊するかわからない。短針塔はまだ原型をとどめているが、二つの塔を繋ぐ連絡橋は落ち、他にも様々なものが瓦礫と化してあたりに散乱している。
中央時計塔は異様な高さにあった。下を見れば、巨大な構造物がパスリムの街の中心部にそびえ、その上に時計塔と自分がいるのだとわかる。にわかには信じがたかったが。
地下にあった縦穴が、そのまま地上へ出現したようだった。あれは穴ではなく、筒状の構造物だったのだ。だから内部に歯車などの機構が向きだしだったのだろう。本来はこうして外へ出るよう設計されていたのだから。
だが、そうした中央時計塔の変貌など、ウィゼアの目には映っていなかった。彼女が見る先には、パスリムの街があった。
街の中心部は、隆起による崩落や倒壊が相次いでいた。それに限らず、地震に匹敵する揺れは街のいたるところに被害をおよぼし、遠目にも、いくつかの時計塔が傾き、建物が崩れ、粉塵が大きく舞っているのが見える。
いったいどれほどの惨状になっているのか、ここからではわからない。
しかし、街を守りたいというウィゼアの願いは、彼女自身によって砕かれたように思えた。彼女が遺産を動かしたせいで。
「どうして、なんで。なんで動いたんだ。石は取り外したのに」
よろよろと膝を降り、その場に伏せる。
「これが遺産の目的だったっていうのか。こんな、街を壊してまで、するようなことだったのかよ」
すると。
「当然だな」
背後から声が投げかけられた。
「元々上に街をつくる予定などなかったのだ。無計画な後付けのものが、どうなるかなど、知ったことではあるまい」
「ギアソン……っ」
ウィゼアは振り向き、立ち上がろうとして、そこで止まった。
背後に立つギアソンは、胴体から長い棒を生やしていた。それはウィゼアが朝に別れた時、デッケンベルターが持っていた槍であった。
槍は腹部を前から後ろへと貫通していた。しかし、持ち主であるデッケンベルターの姿は、どこにもなかった。
「おい、てめぇ」驚きから戻ったウィゼアは、ギアソンを睨みつける。「騎士様はどうした」
「君が殺した」
そっけない口調で彼は言った。
「君が遺産を起動したことで、天井の下敷きになった。今頃そのあたりの瓦礫にでも埋もれているだろう」
「てめぇ……っ!」
ウィゼアの怒気を、ギアソンは意に介さなかった。どうすれば引き抜けるかを思案するように、腹部から突き出る槍を触る。
「大宝玉は取り外せたようだな」
「……なんのことだ」
「そうでなければ遺産は起動しない。そして文字盤を組み込んだ君以外には取り外せない。そういう仕組みだ」
ギアソンは槍に手をかけ、力をこめ、一気に引き抜く。
「少し考えればわかることだろう、バーネンマイゼンの娘。ただの人形が後継者になれるわけがない。遺産を動かすからくりの一部だからこそ、君は後継者たりえたのだ」
槍が足元に落ち、音を立てる。
「やっぱり、人間じゃなかったか」
ウィゼアが見ている前で、腹部に開いた穴が、黒い影によって覆われる。
「吸血鬼……」
「隠す必要がなくなったというのは、案外気分がいいものだ」
「はん、そいつはどういう……」
言いかけて、ウィゼアは奇妙な音を聞いた。小さな金属片が鳴らすような、高い音。
下を見れば、ギアソンの足元に、何かが落ちていた。腹にあいた穴から。
「……なんだそれは」
言われてはじめて気づいたとでもいうように、ギアソンは自分の腹部を見る。彼は無造作にそこに手を入れ、埃でもはらうかのように、中にあったものをかきだした。
たくさんの金属片が、バラバラに砕け散った部品が、こぼれ落ちた。
「ギアソン、てめえ、その身体は」
「君と同じだ」
無感情な顔のまま、ギアソンは言った。
「これはバーネンマイゼンが作った人形。君の前にできた試作品だ」
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