十二 時計都市の百年祭
百年祭当日。パスリムは朝から青空が広がり、山からの風が心地よい一日を予感させた。
「かつて、偉大な才能を持つ人物がおりました。彼はこの地に時計工房を築き、塔を建て、数多の職人を呼び寄せて、後にパスリムの街となる礎を築きました」
中央広場には人々が集まり、祭典のはじまりを待ち構えている。老いも若きも、貴族も貧者も、それぞれがそれぞれの場所で祭りを楽しみにしていた。
「以来、このパスリムは世界に名だたる時計都市に発展し、今もなおその業は磨かれ、新しい発見が絶えることはありません。そして今年は、この街が生まれて百年目となるのです」
黒々とそびえる中央時計塔を背にして、式典の最前列にはひときわ高い壇が設けられ、そこに立つ年配の貴族が、声を遠くまで届ける魔法を使う時計に向かい、群衆に語り掛けていた。
「この良き日に、記念すべき百年の節目を祝う式典の司会という大役に任ぜられましたことを、心より感謝いたします。それでは皆さま、今日はどうか、この街のこれまでの栄光を讃え、これからの未来を祈ってくださいますよう」
ハーダー男爵はそう語り終えると、穏やかな笑顔で人々を見渡した。
めでたき日の祭りの場は、しかし男爵と同じような笑顔だけではなかった。中には一様に不安げな顔や、訝しげな顔もあり、その数はけっして少なくない。
そうした、喜びとは程遠い表情は、中央広場のある一角に近いほど多くなっていた。そこでは異国の兵士たちが、長銃を天にむけて持ち、一糸乱れぬ姿勢で列をなしている。さらにその真上には白銀の巨鯨が空を漂い、眼下の街並みを睥睨していた。
「本日は、はるか遠くロンビオン国より、客人がまいられております。彼らは皆さまの頭上に停泊しております飛行船に乗り、これから世界一周の大冒険に旅立つ、勇気ある方々です。彼らの旅の幸運を祈り、どうか拍手でお迎えください」
乾いた音がまばらに湧き、やがてそれらは広場全体に広がっていった。熱狂的ではなかったが、冷ややかでもなかった。未知の領域に挑戦する者たちに対する、畏敬の念というものを、パスリムの人々は忘れてはなかった。
しかしそうして不安が一つ拭い去れても、人々の笑顔は異様に少ない。それは、あらかじめなにかが起きると聞いていた者が多かったからである。
「おい、あの話は本当か」
「じきにわかるさ。黙って見ていよう」
「商工会の連中、本気でやるつもりかな」
「もしそうだとしたら、式典の最中が一番効果的だ」
声の一つ一つは小さかったが、あまりにも数が多かったため、ざわめきになりつつあった。
「続いては、中央時計塔のギアソン代表からの挨拶……の、予定でしたが」
ハーダー男爵が、そこで一区切りを入れた。
「彼はおり悪く欠席しております。そこで代わりとして、ある方に話をしてもらうこととなりました。それでは、どうぞ」
広場のざわめきが大きくなった。どういうことか、噂は本当だったののか、代わりとは誰なのか。そうした疑問が人々の口に上がった。
さらに困惑を広めたのは、壇上に運び込まれたものである。白い布がかぶせられた台車のようなものが、数人がかりで押され、男爵と入れ替わるように拡声時計の前に置かれた。
なにが始まるのかと見守る人々の前で、布がはがされ、中から人影が現れる。
真鍮板のように輝く髪、青い服に身を包んだ小さな身体、決意に満ちた顔。
少女は王者のように堂々と胸をはり、人々に向けて語り始めた。
「私は、ウィゼア・バーネンマイゼン。時計王ヴェンツェス・バーネンマイゼンの正当な後継者であり、中央時計塔の真なる主である」
バーネンマイゼン。その名前に誰もが目を見開いた。伝説の時計王。その末裔が、今まさに自分たちの眼前に現れたのだ。
「皆が驚くのは無理もない。私は長い間、ギアソンによって幽閉され、あらゆる権利を奪われ、その存在を隠されていた。やつは時計王の遺産を利用し、悪事を働き、今まさにこのパスリムの街と、オストワイムの国そのものを危険にさらしている」
突然の告白が、人々の驚愕と困惑を強くする。ギアソンの人となりを多少なりとも知る者は、なにかの間違いかと思い、事前に噂を聞いていた者は、本当だったのかと驚いた。
「この中央時計塔の地下深くには、時計王が残した真なる遺産がある。この街は元々、その遺産のために建てられたと言っても過言ではない。そして百年の間に莫大な量の魔法が蓄積され、それは今日、百年目の秋分の日に、時計王最後の魔法を見せてくれるはずだった」
少女の言葉は語られるたびに人々を動かし、群衆が荒海のように波打つ。
「だが、ギアソンはその百年分の魔法に目を付け、その力を使う新兵器を開発した。それはまず、今この街に来ているロンビオンへ売り渡される。これから先も、様々な国に兵器は送られるだろう。このままでは、世界は戦争への道をたどり、私たちも戦火に滅びてしまう」
すぐに止めろ! と誰かが叫んだ。何人かが壇上へ殺到しようとしたが、周りにいた者たちがそれらを逆に押しとどめ、しまいには殴り合いの喧騒へ発展する。
そうした騒ぎを少女は気にも留めない。
少しの間を置いて、彼女は声高に宣言した。
「皆、聞いて欲しい! 私はこれより中央時計塔へ入り、地下の真なる遺産を無効化させる。そうすれば、ギアソンの目論見の半分は潰えるだろう。だが時計王がいかなる魔法を残したのか、知る者はいない。自暴自棄になったギアソンが遺産を動かしたなら、なにが起こるかわからない。中央時計塔、中央広場にいる者は、ここを離れ、できれば街の外まで避難してほしい。商工会の指示に従い、落ち着いて、だが、すみやかに逃げるんだ」
喧騒は最高潮に達し、小さな悲鳴や怒声が湧きあがる。
ついに目を血走らせた男たちが、押しとどめる者たちを突破し、壇上の少女へ向かう。
その時、少女は上を見上げ、叫んだ。
「リーズ!」
それを合図にするようにして、空から大きな影が舞い降りる。飛竜は壇上をかすめるように飛び、近くにいた者どもを巻き起こした風で釘付けにした。
人々がようやく顔を上げられるようになると、空を駆け抜けていく竜の姿が見えた。その背には男と、それにしがみつく青い服が見え、彼らを乗せた竜はそびえ立つ中央時計塔に向かって飛び去っていった。
「えー」
竜が起こした突風によって静まりかえった広場に、ハーダー男爵の声が拡声される。
「以上、時計王の末裔であられる、ウィゼア・バーネンマイゼン嬢からの言葉となります」
どういうことだ、ふざけるな、説明しろ、といった悲鳴にも似た叫びがあちこちから続出した。男爵はそれらを、手をあげることで制し、言葉を続ける。
「では、今の話にあった、ロンビオンの方にお話をうかがいましょう。よろしいですかな」
皆の視線が、式典に出席していたロンビオン人たちに集まった。
彼らは顔を見合わせ、誰が前に出るべきか、一瞬逡巡する。
しかし一人だけ、そんな迷いとは無縁の男がいた。
「あー」
つかつかと当然のように壇上へ上ったマゴンサット卿は、拡声時計の前に立つと、寝起きの穴熊のような声で喋りだした。
「この街の地下には、およそ千五百年前に造られた下水があり、その上部に、百年前に造られた新しい水路がある。下水は南方帝国によるもので、上の水路は、これはヴェンツェス・バーネンマイゼンの手によるものと思われる。水路の内部は入り組んでおり総延長は不明。直系はパスリム市街とほぼ同等。中心部には縦穴があり、ざっと見て、我々が今立っている中央広場の真下に位置している。縦穴の深さは測定しておらず不明……」
マゴンサット卿は滔々と語り続けていたが、聴衆が誰も反応しないことに気づいたか、首をひねり、鼻をならした。
「あー、つまり。彼女の話はほぼ真実であり、遺産を動かせばこのあたり一帯に被害が出るのは、間違いないとみていい」
一拍をおいて、人々は大混乱に陥った。
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