十一 時計都市の暗躍


 ロンビオンの飛行船『空の女王号』の船長室で、船長と副長、そしてポービズリーが顔を突き合わせ、声を潜めて話し合っていた。

「不意をつかれたとはいえ、逃げられたのは残念だ」

「あのような化け物、どうやっても太刀打ちできません。自分はこの目で見ましたが、我々の装備では傷つけることすら難しいかと」

 船長と副長の言葉に、ポービズリーが頷く。

「不幸中の幸いとして、彼女は去りました。どうやら我々が陸軍と同じく中央時計塔との共犯者だと勘違いしたままなのでしょう」

「まずは上手く騙せた、か」船長がパイプを咥えながら言う。「あとは協力者となってくれそうな、その三人組のことだが」

「彼らには悪いことをしました。不信を抱かせたかもしれません。なんとか連絡を取ることができれば良いのですが、今はどこにいるやら」

「捜索はできそうかね、副長」

「我々の兵を動かすとなると、街の人間はもとより、陸軍側に気取られかねないかと」

「ともあれ、これで将軍閣下の思惑は大体把握できました。事の次第は伝えましたから、あとは本国からの連絡を待つとしましょう」

「じれったい。まあ、仕方ないことですが……」

 それにしても、とパイプをくゆらせながら船長が言う。

「時計仕掛けの人形か。この街はなんでも時計にしてしまうと聞いていたが、兵士までとは」

「恐ろしい話です。しかしそれすら主目的の兵器には及ばないようで」

「我々は、いったい何をこの船に持ちこまれそうになっているのですか」

「爆弾および大砲の類ですね。従来のものより高性能なのは間違いないでしょう。陸軍上層部が将校を交渉役に派遣するくらいですから」

「その例のギアソンとかいう男の陰謀。それが本当でなければ、私とて欲しがったかもしれんな。もっとも、世界一周をする前に全世界を敵にする勇気はないが」

 今は表向き平穏だが、ロンビオンと近隣諸国の関係はいつ崩れてもおかしくない。そこへ出所が怪しい新兵器が出てくれば、どんな大火事に発展するか。

「いずれにせよ計測時計がこの船に必要なのは変わりない。それだけを積み込み、出航できるようにしよう」

「あの吸血鬼が中央時計塔の仲間なら、それを交渉材料にできませんかね。さっきの騒ぎを起こした代償として、計測時計をさっさと納品しろ、と」

「君の案は少々乱暴だが、検討してみる価値はありそうだ」

 副長の軽口じみた提案に船長が頷く。

 その時、船長室の扉を叩く音がした。

「入れ」

 船長の許可を受けて、一人の船員が入ってきた。

「報告します。本国より連絡です」

 船長たちは顔を見合わせた。

「思ったより早かったな」

「いえ、早すぎませんか。違う件かもしれません。ともあれ確認しましょう」


 〇


 ベルランフィエの工房で、ウィゼアはうなだれていた。

 吸血鬼から逃げきるために、落ちたランゼルを拾いにいくことができなかった。相手の狙いが自分である以上、そこへ戻るのは自殺行為に等しい。

 彼女以上に、デッケンベルターが顔を青くするほど後悔していた。彼は二人を守ると言っていたのに、それを果たせなかったからである。もっとも、あの場で他にどうすれば良かったのか、彼以外の誰にもわからないだろう。

 宵闇に紛れてベルランフィエの工房へ戻ってきた二人は、出ていった時と同じように、裏口からこっそり中へと入った。デッケンベルターはそのまま主人のもとへと向かい、ウィゼアのほうは、工房の奥にある部屋へ匿われた。

 休みたいからと、部屋では一人にしてもらった。

 人形である彼女に、休みは必要なかった。ただ考えをまとめたかったのと、覚悟を決めるのに、静かな時間が欲しかったからである。

 ランゼルを失い、ベルランフィエの人たちにどんな顔をしたら良いのか。そしてデッケンベルターは、主に自分が人形であることを告げるのだろうか。もしそうなったとしたら、これまで皆を欺いていたことについて、どう釈明すべきか。

 ウィゼアは好き好んで自分の正体を隠していたわけではない。だが協力を仰ぐのに、人形よりも時計王の子孫のほうが、話を信じてもらえると思ったからだ。今となっては、それがかえって嘘つきの烙印として自身を苦しめることになりそうだったが。

「ランゼル、すまん」

 悔恨の言葉が口から漏れ出る。

「せっかく助けてくれたのに。おまえがいなきゃ、正体を隠していた私の味方になってくれるやつはいない。人形の私じゃ……」

 ギアソンの目論見を潰すための希望は見えた。だが、そこへいたるまでの道は、ウィゼアにはもう閉ざされているように思われた。

 そうして泣きじゃくる子どものように膝をかかえていると、部屋の外からドタドタという足音がいくつも聞こえてきた。そして扉が叩かれる。

「お嬢ちゃん、入るぜ」

「ああ」

 ウィゼアが返事をすると、工房の技師たちが大勢入ってきた。

 まずはランゼルのことを謝らなければ。ウィゼアは立ち上がり、頭を下げようとする。

 しかしそれより先に、技師たちがめいめいに口を開いた。

「よく無事だったなあ」

「あーあー、こんなに服を汚しちまって」

「誰か拭くもん持ってこい。汚い手ぬぐいじゃないぞ、洗いたてのやつ」

「まあまあ座りなさい。疲れておるじゃろう」

「お、おい、あんたら」もみくちゃにされながらウィゼアは戸惑った。「なんだよいったい」

「話は全部あの領主様から聞いた。大変だったな、よう頑張った」

 うんうん、と技師たちが頷く。中には感極まって泣き出しそうな者もいる。いったい、デッケンベルターは主になんと報告したのだろう?

「なあ、待ってくれ。とにかく、こら、頭をなでるな! ちょっと落ち着け」

 技師たちは落ち着いた。

「……怒ったり、しないのか。私は、ランゼルを見捨ててきちまったんだぞ」

「残念なことではあるが、それはあんたのせいじゃないさ」

「それにランゼル坊はお嬢ちゃんを助けるために落ちたんじゃろう。なかなかできることではない。その勇気には応えてやりなされ」

「あのランゼルがなあ、まさか時計以外でそんな無茶をするなんて」

「いやいや、時計だから守ろうとしたんだろう」

 その言葉にウィゼアはビクリとなった。

「……それも、聞いたのか。私が、その、そういうのだって」

「ああ、もう皆が知っておる」

 なんと返事をすればいいのか。ウィゼアは手をぎゅっと握り、唇を震わせた。

「ところでお嬢ちゃん、腕の調子はどうかね」

「は? え?」

「ランゼルが応急修理したらしいが、どこか具合が悪いところは? あやつ腕は確かだが、いかんせん今回のは、やり方が無茶苦茶だからな。支障があったら困るだろう」

「一度診ておいたほうがいいぜ。今夜中に突貫で部品の削りだしからやろうか?」

「あー、いや、うん。大丈夫だ。今のところ問題はない」

「じゃあ後で軽く点検しておくぐらいで。撃たれた穴はそのままだろ、塞がないと」

 人形を治すのははじめてだなぁ、などと盛り上がりはじめた技師たちを、ウィゼアは口を閉じるのも忘れて茫然と見ていた。

「なんなんだ、あんたらは」

「どうかしたか?」

「あ、ああ、いや、別に」

「そうそう、商工会だが、あらかた根回しをしておいた。もちろん極秘にな。まだ正確なことは言えんが、パスリムの大半の店と工房はこっちの味方だ」

「本当か?」

「どこまで中央の息がかかっているかわからんが、やるだけはやったつもりだ。明日の百年祭で、ギアソンさ……ギアソンを糾弾することになるだろうな」

 ウィゼアは震えた。不安や恐れからではなく、もっと素晴らしいもののために震えた。

「ありがとう。みんな、ありがとう」

 深々と、その場にいる全員にむかって頭を下げる。

「おいおい、よしてくれよ。礼を言うのはこっちだぜ」

「この街のために一人で頑張ってくれたんだろ」

「今まで数えきれないほど時計を直してきたが、まさか時計のほうから助けにきてもらえる日が来るとはなあ」

「日頃の行いが良かったおかげだな」

 皆の笑い声がウィゼアを包む。

「おーい。あの子、戻ってきたって?」

 そこへ一人の技師が新たに現れた。彼は手にあるものを持っている。

「よお、お嬢ちゃん。あんたの靴、直しといてやったぜ」

 それは吸血鬼に打ち砕かれていた、ウィゼアの時計仕掛けの靴だった。

「ありがたい。こいつがあれば、色々とはかどる」

「ん? お嬢ちゃん、なにかやるつもりかい?」

 ウィゼアは頷き、皆の顔を見渡した。

「皆、私の話を聞いてほしい。ギアソンがやろうとしていること、その計画を潰す方法を、ランゼルが教えてくれた。領主様たちも含めて、これから全てを話す。そして、それをどうやって成功させるか、皆の知恵と力を貸してほしい」


 〇


 ケートリィは短針塔の一室に影となって滑り込み、中に入ると再び人の姿をとった。

 中央時計塔に牢獄というものは存在しない。しかし鍵がかけられて、誰も使っていない部屋はいくらでもある。捕らえられた者は、そうした部屋に放り込まれることになっていた。

「こんばんわ」

 返事はなかった。

 いや、声は聞こえてきた。しかしそれは、ぶつぶつと小さい呟きで、今しがた部屋に誰かが入ってきたことにすら、気づいていないようだった。

 明かりがなくとも、虜囚がどこにいるかはわかる。ケートリィはゆっくり歩み寄る。

「ご気分はどうかしら。時計の味方さん」

 返事はない。

「あなたのお友達について、教えてほしいの。わかるでしょう。あのお嬢さんのことよ」

 返事はない。

 ケートリィは暗闇にうずくまる少年の隣に立つ。

「あなたはどこの子? たくさんの道具を持っていたわね。見習い工、というやつかしら。お友達の時計も持っていたし。よっぽど仲が良かったのね」

 ランゼルは答えず、ケートリィのほうを見ようともしない。ただぶつぶつと呟きつづけ、ここではないどこかを見ていた。

「あのお嬢さんがどこへいったか、心当たりはある? さあ、教えてちょうだい」

 返事はなかった。

 唐突に、ケートリィの足がランゼルの横っ面をしたたかに打ち、部屋の床に倒す。

「答えなさい」ランゼルの襟首が捕まれ、赤い唇に引き寄せられる。「私たちがなぜ、吸血鬼と呼ばれているか、ご存知? 血を吸うことで、相手を支配できるからよ。奴隷にもできるし、仲間にすることもできる」

 喉元をしめつけられ、ランゼルの顔が苦悶に歪む。

「そうしてもいいのだけれど。お嬢さんを守ろうとする、あなたの勇気。けっこう気に入ったわ。だから猶予をあげる。私とお話しする気になるか、それとも、私のものになるか」

 青くなりつつあったランゼルの首を、ケートリィは放した。

 ランゼルはしばし咳きこんだ後、うつろな目で吸血鬼を見る。

「さあ、お喋りしてくれるかしら?」

 笑みを浮かべるケートリィにむかって、ランゼルは口を開いた。

「呪い……」

「のろい?」

「彼女の、あの、呪い。呪いって、なんだ……」

 ケートリィは眉をひそめた。彼女、ということは、聞き出そうとしているバーネンマイゼンの人形のことだろうか。

「呪いが、どうかしたの」

「わからない。けれど、なにかおかしい。彼女は誰に呪われたんだ? ギアソンが中央の実権を握るために? でも、それなら、もっと言うことを聞かせられるような呪いを選ぶはず」

 ギアソンの名前が出た。どうやらこちらのことも、ある程度は知っているらしい。

「それになんで、呪いが強くなった時に、彼女の中の魔法が弱まったんだ。いや、そもそも、どうしてあんな大きな鉱石が必要なんだ。ギアソンの人形は、分解してみたら、ごく普通の仕組みだった。本来、あんな大結晶でなくても、彼女は動くはずなんだ」

「あなた、見たの?」大結晶という言葉に、ケートリィはランゼルの肩を掴んだ。「あのお嬢さんの中にある、私たちの大宝玉を。そう、見たのね」

「だい、ほうぎょく?」

「ええそう。私の一族に伝わる双子の石。『夜の女王』と呼ばれる二つの大宝玉。百年前、憎きバーネンマイゼンに盗まれたもの」

 徐々にランゼルの肩に指が食い込む。

「私はそれを取り戻すためにやって来たの。さあ、教えなさい。あれは今、どこにあるの?」

「取り、戻す……?」

 ランゼルは悲鳴をあげた。肩の肉に爪が深々と刺さっていた。

 我に返ったケートリィが手を放すと、ランゼルはがっくりと床に伏せる。

「取り戻す……」

 ぶつぶつと、その言葉を数度呟いた後、ランゼルは初めて、意識を吸血鬼に向けた。

「どうやって?」

「バラバラに引き裂いてでも」

 ケートリィの赤い唇と眼が、狂気に満ちた笑みに歪む。

「ちがう」しかしランゼルは動じなかった。「そのあとだ」

「そのあと?」

「どうやって、ギアソンから、返してもらうの?」

「……どういう意味かしら」

 吸血鬼の顔から笑みが消える。

「ウィゼアと、遺産に取り付けられた大結晶には、百年分の魔法が蓄えられている。ギアソンが兵器に利用しようとしている力だ。兵器が使われない限り、ギアソンが手放すはずがない」

「彼は言っていたわ。中にある力を取り出してしまえばいい、と。別の石に移し替えて」

「ありえない」

 ランゼルは首を振った。

「鉱石から鉱石へ力を移し替えるには、かなりの時間が必要だ。しかもあの大結晶には、百年分の魔法が注ぎこまれていた。それを全部取り出そうとしたら、何年も、何十年もかかる。……それこそ、爆弾のように、一度に使ってしまわない限り」

 ケートリィが反論しようとする前に、ランゼルは声を強めて言った。

「僕は時計のことで嘘はつかない。こればっかりは、たとえあなたが僕の血を吸って、奴隷にしたって変わらない。今言ったことは本当だ」

 思案するように沈黙したケートリィにむかって、ランゼルは問うた。

「ねえ。ギアソンは、あなたを騙してまで、なにをしたいんだろう?」


 長針塔の一室。窓辺に佇みながら、ギアソンは手の中のものをじっと見た。

 吸血鬼ケートリィが捕らえてきた少年から取り上げたものだ。彼女は再び夜の街へ飛び立つ前に、少女の人形の居所を探るべく、今は少年の尋問を行っている。

 古びた懐中時計。それをギアソンは窓から差し込む月の光にあてた。

 彼の手の中から、懐中時計が宙に浮かび上がる。

 それはギアソンが見ている前で、ひとりでにネジが回り、裏蓋が外され、中にある時計機械を露わにする。

 ギアソンは気づいた。本来そこにあるべき、時計魔法陣が刻まれた金属板がない。

「……魔法陣が、なくなっている」

 ギアソンの手の中に、懐中時計が落ちる。

 そのまま手を握り、耳障りな音と共に、懐中時計が粉々に砕け散る。

 時計王バーネンマイゼンが手掛けた時計が、一つ、この世から消え去った。

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