十 時計都市の謎
さて、話し合いの席は四つあったが、そのうちの一つはずっと黙ったままだった。
正確にはブツブツと独り言をすることもあったが、ランゼルはどこか上の空で、これまでの話を聞いているのかいないのか、よくわからない有様だった。
「彼、ほとんど喋りませんが、大丈夫なんでしょうか」
「また時計馬鹿が再発したかな。おいランゼル、聞いてたか?」
「うん? うん、まあ、聞いてたよ。ギアソンがどうとか……」
いやおまえの話をしてたんだが、とウィゼアが呆れているうちに、またランゼルの視線はどこか別の世界を見はじめていた。
「なんかぼうっとしてるな。風邪ひいてたりしないか? 大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫」ランゼルは首をふって気分を切りかえた。「それで、ギアソン家が怪しいっていう話ですけど」
「ええ。どうにも不気味ということで、このような人物との取引はなにかの罠ではないか、というのが上の見解です。新兵器は確かに魅力的ですが、本当にそんなものが実在すれば、の話ですし。手の込んだ詐欺かもしれません」
「腹立つことに新兵器は実在している」ウィゼアが憎々しげに吐き捨てる。「けどまあ、なんとなくだが、今の話を聞いて色々とわかってきた気がする」
彼女は腕を組み、自分の考えを確かめるように口を開いた。
「ギアソンが人間じゃないかも、って言ったよな。たぶんそれ間違ってない」
「どういうことであるか?」
問うたデッケンベルターだけでなく、ランゼルやポービズリーも驚きの目で彼女を見た。
「そもそもだ。あんな巨大な水路や遺産、誰にもバレずに造れると思うか。クソじじい一人で秘密裏にできるわけがない、かといって工事に必要な人手を考えりゃ、今でも少しくらいは話が伝わっているはず。なのになんで中央以外は誰も知らない?」
「あまり考えたくはないのであるが……。その昔、城砦を築く際には、秘密の通路の存在を隠すために、労役にあたった人夫をみな殺しにしたと……」
「いや、それよか、もうちょっと大人しい方法だろう」
ウィゼアはデッケンベルターの不安を否定する。
「一年前、私はやつに閉じ込められた。その時に言ってたんだ、契約が終わった、と。その時はなんのことか、わからなかった。今なら、わかる」
彼女は詩を詠むように言う。
「一人の人間に街は作れない。じゃあ魔法を使えばいい。人間の魔法で無理なら、人間じゃない魔法使いにやらせればいい」
「伝承にある、悪魔や妖精との契約というやつですか。命や運命を見返りに、あるいは騙して、財宝や魔法を得るという類の」
「じゃあ、その悪魔にあたるのが、ギアソン」
ウィゼアは頷いて肯定する。
「そう考えれば色々と腑に落ちる。百年前、突然こんな街や地下の水路や遺産が造られたこと。ギアソンが私に一年前まで表向きは従っていたこと。それらは契約によって無理やりそうするよう定められていたからだ」
「ではあのギアソン家の経歴は、彼の正体を隠すための偽装工作だったと」
「街一つすっぽり入る巨大な仕掛けを造れるってことは、元は相当力のある存在だったはずだ。悪魔か、竜か、吸血鬼か、妖精か」
「恐らく吸血鬼では」ポービズリーが予想を立てる。「時計王がこの街を築いたのは、百年前のレムマキア戦争の後、でしたよね」
ランゼルが頷いた。
「そうです。そういえば時計王は、レムマキアに味方していた吸血鬼を倒したとあります」
「百年間生き続けていたことといい、そしてあなた方を吸血鬼が襲ったことといい、ギアソンなる人物の正体が、その時捕らえられた吸血鬼の一人である可能性はあるかと」
「なんであれ百年も隷属を強いられたら、そりゃあ恨むだろうさ」
ウィゼアは憎むように悩むように顔をしかめる。
「クソじじいは、おおかた、あいつを自分が死んだあとの遺産を管理する番人にしたかったんだろう。見事に手を噛まれたがな」
ランゼルにとって、にわかには信じがたい話だった。長年、街の顔役の一人として、いくども名前を聞いた相手。直接会ったことがないにせよ、それが人間ではなかったなどと。
「本当に、人間じゃないの、かな」
「今やろうとしてることが、まあ証拠みたいなもんだな」
ウィゼアはランゼルに問う。
「なあ、御禁制の兵器を造って、外国に売る。普通はどう思う?」
「昨日言っていたことだよね。下手すると戦争になる。そうなると……うん、自分も危なくなるかな。兵器を造っているところって、真っ先に狙われそうだし」
「普通はそう考える。どんなに強い武器を造ったところで、戦争になればタダじゃすまない。金儲けにしちゃ割に合わないし、杜撰すぎる。だから、目的がわからなかった」
ウィゼアは歯噛みする。
「考え方が逆だった。あいつは兵器を使って何かをしたかったんじゃない。おそらく、その結果としてパスリムや、この国が滅びることを望んでいる」
「ど、どうして? なんでそんなことを」
「復讐だよ」ウィゼアは自分でもぞっとするような言葉を絞り出す。「あいつは自分を百年間契約で縛り続けていたクソじじいと、この街に復讐したいんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。話が飛躍しすぎじゃないかな。単なる自暴自棄ってことは?」
「だったら話は簡単なんだがな。死んだふりまでして百年間正体を隠し、用意周到に中央を支配した男が、ただの破滅願望で街ごと心中したいと考えるってほうが、無理があるだろ。ロンビオンに兵器を売りつけるってのもそうだ。わざと火種をばら撒きたがってるとしか思えない。実際それが目的なんだろうさ」
「これ以上の火種は困ります」ポービズリーが冗談抜きで青ざめた顔をする。「我が国はただでさえ周辺諸国との摩擦があるんです。もしそんな陰謀があるのなら、世界規模で戦争がはじまってしまいますよ」
「でもだとしたら、なんでこんな回りくどいやり方を? 君の話からすると、一年前に時計王の契約は解けていたようだし、その時に街を破壊するなりできたんじゃ」
「その程度じゃ怒りは鎮まらねぇんだろうな。回りくどいと言ったが、その結果は恐ろしいものだぜ。ただ破壊しただけじゃ、あとで再建される。だが世界を巻き込んだ大戦争でも起きれば、国ごと滅びてもおかしくない。ランゼル、おまえが好きな魔法の時計の文化ごとな」
「……なるほど、確かにこれは恐ろしい企みです」ポービズリーは冷や汗をぬぐうかのように、首筋を思わずなでた。「そして理解もできる。彼がかつての戦争で捕らわれた吸血鬼であるのなら、その復讐の対象はオストワイムに留まらず、彼らにとっての異教徒、我々西方世界の人間、全てでしょう。それらを根絶やしにすることが、彼の目的」
「百年越しの恨みであるか……」
ぞっとしたようにデッケンベルターは首をふった。
「しかも人間の手で。人間じゃないあいつには、さぞ楽しい滑稽劇だろうさ。あいつは餌を投げ込んで、それを奪い合って殺しあう闘犬たちを高みの見物ってわけだ」
ふざけるな、とウィゼアは悪態をついた。
「クソじじいが憎けりゃ墓でも蹴ってろってんだ。無関係の私らに八つ当たりしやがって。そんなふざけた計画、絶対に止めてやる」
「いよいよもって」ポービズリーが手を合わせながら言う。「我々はお互いに協力すべき、ではありませんか? 万が一これらの予想が正しかった時、事は両国だけの問題で済まないでしょう」
ランゼルたち三人は顔を見合わせ、三者とも頷いた。
「ああ。学者様たちが味方になってくれるなら心強い」
「それで、具体的にはこれからどうするつもりであるか?」
そうですねぇ、とポービズリーは呟く。
「一番問題となるのは、既に新兵器がある、ということです。あなた方、特にお嬢さんは、ギアソンという男から中央時計塔を解放したいでしょう。ですが法的にはともかく、実力行使で抵抗されると非常にまずい。最悪、この街で兵器を使われてしまう」
「そいつは嫌だな」ウィゼアは悪態をつくが、表情は暗かった。「絶対に嫌だ。だが良い方法が思いつかない。どうしたらいいか……」
「あのう」
おずおずとした声に、皆がランゼルを見た。
「少なくとも、地下にあった遺産の無効化だけはできると思う」
「なにか思いついたか時計馬鹿」
ウィゼアの罵倒は喜色に満ちていた。
「あの縦穴、下から上まで歯車でいっぱいだったよね。普通に考えたら、あんなもの必要ないはずだ。水路から集めた魔法の力を、天井の大結晶に貯め込んで、必要なだけ満ちたら時計魔法陣が起動するように作ればいい。じゃあ、あの巨大な仕掛けはなんなのかってなったら、たぶん、あれは時間を計っていたんだと思う」
「時間を?」
「決まった時刻になったら魔法が発動する時計と同じだよ。時計魔法陣が刻まれた金属板を分割して、時間になったら合わさるようにするやつ。あの天井、光る溝みたいなのがあったけど、もしかしたら僕が知らない時計魔法陣かもしれない。水路の水を動力源にした巨大な時限式のね」
「だが分割はされてなかったように見えたぞ」
「なら、もうその時は来ているか、間もなく来るか、だけど。僕の予想だと、たぶん、それは明日だ」
「明日? ……百年祭か」
「百年祭が、どう関係するのであるか?」
首を傾げる異国人二人に対し、時計都市で生まれた少年と少女は意味を理解していた。
「パスリムができて今年で百年。ギアソンが一年前に本性を現したのを考えれば、クソじじいとの契約期間も百年前後。そして明日は、秋分だ」
「昼と夜が同じ長さになる日。時計の時刻合わせに都合が良く、昔から春分と秋分は重要視されてきた。それこそ時計王の時代から……」
ポービズリーの独白に、ウィゼアが頷いた。
「もし遺産が百年後に動くよう定められていたのなら、明日はうってつけの日だな」
「実は明日じゃなくて、今年の春分か、ギアソンの契約が切れた一年前だったのかもしれないけれど。もしそうだったら、その時に何かが起きてたはず。そうじゃないってことは」
「本番は明日、か」
ウィゼアは頷き、そして眉をひそめた。
「だがなんで明日なんだ? いやまて、そもそもおかしいだろ。動かすまで百年も魔法を貯めなきゃいけないなんて、兵器としちゃ欠陥すぎる。じじいの死後に誰も動かし方がわからなかったから、百年も経っちまっただけじゃないのか?」
「あるいは、本当はあの遺産は兵器じゃない、か」
ランゼルの言葉は呟きのようにそっけないものだったが、周りの三人を驚かせるには十分だった。
「それはまた……前提条件が色々と覆りますね」
「言われてみれば、その可能性はある。私らは遺産の詳しい正体まで把握できていなかった。対レムマキア用の兵器だと言われていたが、そうか、それもギアソンのやろうのデタラメってこともあるか……」
「だが、まだそうと決まったわけではなかろう。本当に何がしかの兵器であるやもしれぬ」
「そう。だから念のためにも、あの遺産を無力化しておいて損はない、はず」
「で、肝心の方法は? どうするんだ?」
「あの天井にあった大結晶。あの中に百年分の魔法が溜め込んであるのなら、それを取り外してしまえばいい」
あれか、とウィゼアは天を仰いだ。記憶の中で、はるか高きを見上げるように。
「単純でいい作戦だ。問題はどうやってあそこまで侵入するかだが……」
「その他の、中央時計塔が作り上げた新兵器も確保する必要があるでしょう。どこに保管されているかも知りたい」
ハクション、という音が会話を遮った。ランゼルはくしゃみの後、鼻をこする。
「おや本当に風邪でも引かれたのでは。ちょっと待っててください、長い話になりそうですし、お茶を用意させましょう」
そう言って、ポービズリーが外で待つ兵士に声をかけている間、ランゼルは横に座るウィゼアに耳打ちした。
「あとそれから。君の心臓部になっている石は、遺産の裏側、中央時計塔の地下に設置されていたって言ってたよね」
ああ、という返答に、ランゼルはさらに続けようとする。
「それは予備の石かもしれない。君は……」
しかし会話はそこで中断を余儀なくされた。
けたたましい警笛が鳴り響き、次いでロンビオン語の怒声や悲鳴が聞こえてくる。
「なにごとであるか」
デッケンベルターはすぐに立ち上がり、胸のボタンに手をのばす。
「リーズか?」
「まだ早いのである」ウィゼアの問いは否定された。「近くまで来ているが、まだ見つかってはおらぬ。この騒ぎはいったい……」
「おやおや、まだ他にお友達がいるのですか。ともかくここで、じっとしていてください」
ポービズリーは軽口を叩きつつ、顔に緊張を浮かべながら外の様子を伺おうと、天幕の入り口をそっと開いた。
ロンビオン兵たちの叫びは消えており、代わって混乱と困惑のざわめきが夕暮れの大気にただよっていた。
「なにか事故でも起きたのでしょうか」
「学者様!」
ウィゼアの鋭い叫びが、ポービズリーの足元へと刺さった。
彼が開いた天幕の入り口から、黒いタールのような影が地面を這いより、中へと侵入してきたのである。
得体のしれない現象に、ポービズリーや見張りの兵たちは腰をぬかし、それを二度と見たくなかったランゼルたちは総毛だった。
デッケンベルターが椅子を掴み、地面の影へ叩きつける。無意味だった。影は立ちふさがる騎士を素通りし、その後ろの二人へと襲いかかった。
「動くと当たるわよ」
天幕の中に夕闇が集い、黒い人の姿になる。
現れた女吸血鬼は、ランゼルとウィゼアの背後に立つ。デッケンベルターが動けば、すぐに後ろから刺せる位置に。
「おぬし、なぜここに」
「地面の下の暗闇も、案外悪くなかったわ」
女吸血鬼は赤い唇で笑った。だが赤い眼は笑わず、騎士の一挙手一投足を見張る。
「さあ、お嬢ちゃん。あなたの中にある大宝玉を返してもらうわよ。大人しくしなければ、バラバラにしちゃうかも」
「知っていやがるのか。てめえ、いったいどこでそれを」
「だって、元々私たちのものだもの」
吸血鬼の手が、後ろからウィゼアの頬をなでる。その指から、白く細長いものが生えてくる。あの凶弾の正体は、先が尖った骨だった。
「そうね、こっちの子も一緒に連れていこうかしら。そしたら、そこの騎士様は手も足も出ないでしょうし」
ウィゼアだけでなく、ランゼルにも手がのびる。二人は女吸血鬼によって身動きを封じられ、恐怖も覚え、しかし希望を捨てていなかった。
彼らの目の前で、デッケンベルターの胸元のボタンが、ランプの灯火に照らされ、輝く。
「あなたは動いちゃ駄目。この子たちの首が飛ぶわよ」
脅しに、デッケンベルターは素直に頷き、口をきつく閉じてみせた。
彼は何も言わなかった。言わずとも心は通じていたからである。
「そこのあなた方も」
「いやはや、本当にいるとは。あなたが吸血鬼ですね。発音にレムマキアの訛りがある」
「あら知っているの?」
「事情は聴いておりますので」
「なら話は早いわ。この子は私がもらっていく。時計塔から許可ずみよ」
「ははあ、なるほど」ポービズリーは目の前の怪物が、ロンビオン人の全てが中央時計塔と通じている、と誤解していることを見抜いた。「しかし穏便ではないですね。外でいったい何をしてきたので?」
「私にその気はなかったのだけれど。失礼しちゃうわ、人を見たら銃をむけるなんて」
女は冷たく笑う。たとえ中央時計塔と関わる共犯者同士とはいえ、自分の邪魔になる人間など、どうなろうと知ったことではない。という意をその笑みが語っていた。
「そうですか。では」ポービズリーは言葉を選んだ。吸血鬼の勘違いを利用するにはどうすればいいか。選んだ答えはこうだった。「時計塔の主によろしくとお伝えください」
少女や少年が、裏切られたような顔をする。それでいい。彼らと内通していると思われなければ、中央時計塔を油断させられる。そう彼は判断した。
「いいわ。それじゃ……」
そして女吸血鬼が意識をウィゼアたちに戻した、ほんの一瞬。
彼女の背後の天幕を突き破り、獅子のごとく突進した飛竜の大きな口が、暴風と化して襲いかかった。
顎が閉じられ、女吸血鬼の頭が影となって雲散霧消する。
自由となったランゼルたちは、弧を描いて舞い戻ってきたリーズに掴まり、空へ逃亡した。
「リーズ、全速力である!」
クェーエといななく声が、夕闇の中にこだまする。
主の命に応えようと、リーズは翼をはばたかせ、空を翔ける。
しかしその背後から追う影が一つ。
「うしろ! 来ている!」
ランゼルの悲鳴寸前の声に、鞍上に登ったデッケンベルターが後方を見て愕然とする。
大きな翼を持つ黒い影が、こちらに迫ってきていた。
「なぜ無事なのであるか!」
「避けたんだ! あいつ、喰われる前に自分から影に戻りやがった!」
間近で見ていたウィゼアが叫ぶ。
夜に染まっていく空の中を、二つの翼が羽ばたく。いずれも素早く、しかし前を飛ぶ飛竜は、三人の人間を乗せているためか、徐々に距離を詰められていく。
必死になってリーズにしがみつくランゼルは、後ろから来る吸血鬼の顔を見た。勝利を確信したかのように不敵に笑っていた。それがわかるほど、追い付かれていた。
影の手が伸びる。それはウィゼアへと向かい、はためく服のすそを掴もうとする。
「ウィゼア!」
強い風音に負けぬようランゼルは叫び、覚悟を決めた。
「君が、この街を、守るんだ!」
そしてランゼルは自分から黒い影の手を掴んだ。
途端、強い力に振り回され、ランゼルの身体が宙を舞った。彼と吸血鬼は空中でぶつかり、丸めた布を放り投げた時のように、互いにもつれあって落下した。
その間に重荷を一つなくした飛竜は、素晴らしい速度で夜の彼方へと去っていった。
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