八 時計都市の過去

 ゴドシン将軍は舌打ちした。

「取り逃したか。あれでは助かるまい」

「惜しいところでしたな。あと少しで退路も断てましたのに」

 わずかの差で間に合わなかったロンビオン兵たちが、階段を登りきって現れたのを見て、ギアソンが皮肉ともとれる言い方をした。

「ふん。貴様の欠陥品が、肝心なところで壊れたように見えたがな。まともに動かんものを買う気はないぞ」

「鋭意、改良に努力しましょう」

「これで制御装置はまた行方不明。どうするつもりだ?」

「人をやって回収するのに時間はかかりません。明日にでも」

 その言葉忘れるなよ、と言い残し、ゴドシン将軍は指示を出すべく、足場の後ろに控えていたロンビオン兵たちのところへ戻っていった。

 ギアソンも踵を返し、後に続こうとする。

「ねぇ」足元から声がした。「私が出ていれば、すぐに片が付いたのではなくて?」

「君がいることを表に出しては、取引がうまくいかないのでね」

「ひどい話」

 縦穴の中の暗闇に潜みながら、ケートリィは語り掛ける。

「あれが私の一族の宝。失われていた大宝玉」

 うっとりとするような声は、縦穴の大天井に輝く光へと向けられていた。

「全てが終われば、取り戻せるのね」

「ええ、もうすぐです。それまで働きを期待していますよ」

「ねぇ」

 ケートリィの声は、今度はギアソンに向けられた。

「制御装置とかいうの、本当にあの子が持っているの?」

「そう言っておけば、兵隊を借りられたのでね」

「ひどい話」

 喉を鳴らす笑い声は暗闇の中へ消えていった。


 〇


 水を吐き出し、ランゼルは暗闇の中で思いっきり息を吸った。

 身体は流され、足も水底につかないが、隣にいる大きな身体に掴まっていることで、恐怖はいくらか薄らいだ。

 デッケンベルターの胸元で、ランゼルが貸していた照明用時計の光が輝いている。

「ランゼル殿! 手が離せぬ、明かりを」

 彼は今、自分と、そしておそらく反対の腕でウィゼアを抱えている。そう理解したランゼルは、水の流れに落とさぬよう、注意して照明用時計に手を伸ばした。幸いなことに、鎖がデッケンベルターの首にかかっているため、ちょっとやそっとでは落ちそうになかった。

 ランゼルが掲げた薄明りに照らされたのは、石組みの地下水道だった。下水道より新しく、魔法陣を模した水路よりも神秘的ではなかった。水は冷たく暗く、かつてのような魔法の力は流れていなかった。

 アーチ状の天井は高く、幅も広い。深さは言わずもがな。まるで巨大な竜の喉の中にいるようであった。

 ランゼルたちはしばらくそのまま流された後、湾曲して流れがゆるやかになっている場所で水路から岸へと上がった。地下水道を掘る際に崩れたか、元から地中にあった空洞か、水が流れているところよりも一段高くなっている場所だった。

 デッケンベルターは抱えていたウィゼアを横たわらせた。彼女はぐったりとしており、気を失っているのか目を開かない。

「傷口を見る。御免」

 そして撃たれた箇所を見ようと、左の肩のあたりをはだけさせる。

 デッケンベルターとランゼルは、ぎょっとした。

「これは……」

 光に照らされたウィゼアの鎖骨付近。そこに開いた穴から血は流れていなかった。

 そしてその中には、まぎれもなく、金属の鈍い照り返しが見えていたのである。


 ウィゼアは目を開いた。いつの間にか見知らぬ暗闇が目の前にあり、どうやら仰向けで横たわっているらしい。力尽きてから時間が経ったようだが、四肢にはいまだ力が入らない。

 明るくなっている横を見ると、そこにはランゼルがずぶ濡れのまま腰を降ろしていた。手に自前の工具を持ち、品定めするかのように何本もとっかえひっかえ確認している。

 デッケンベルターの姿はなかった。どこへいったのか。するとすぐに暗闇の奥から、ザブザブという水音と、嬉しげな声が聞こえてきた。

「おーい。見つかったのである」

 現れたデッケンベルターは、肩に異様なものをかついでいた。あの人形である。

 彼はそれを、ランゼルのそばに置く。

「どうやら落ちた時に壊れたようで、ぴくりともせぬ。危険はないだろう」

「ありがとうございます。さて、早速」

「おい」ウィゼアは気だるげに言った。「なにを、してるんだ」

「部品の調達」

 ランゼルは上の空で答えたあと、急に何かに気づいたようにウィゼアを見た。

「目が覚めた?」

「まあな。ここはどこだ?」

「たぶん排水路だと思う。あの大量の水を街の外へ出すための」

「そうか……」

 ギアソンたちに捕まらず、逃げ延びることはできたらしい。ほっとするべきか、逃げ恥を晒したことに怒りを覚えるべきか。どちらもできないほど、身体が重い。

「あの高さから落ちて、よく無事だったな」

「うむ、それはこのボタンがあったゆえ」

 デッケンベルターが三つある魔法のボタンのうち、一番下のものを指した。

「これは風の加護を得られるもので、高いところより落ちた者が、地面に激突しないよう守ってくれるのである。もっとも、水の中に落ちて流されてからは、流石に死ぬやもしれぬと思ったのであるが……」

「そこまでは、守ってくれなかったか」

 笑おうとして、力ない声しか出ないことにウィゼアは気づいた。どうにも気だるい。

 一方、ランゼルは工具を手にしたまま、かじりつくように人形の細部を見はじめる。

「それで、なにをしてるんだ、おまえは」

「応急修理の準備、かな」

「馬鹿かおまえ。そんなもん直してる暇があるか」

「治すのは君だよ」

 言われて、ウィゼアは思い出した。そして首を上げて、自分の身体を見る。

 左の肩の下、人間ならば鎖骨のあたりに、醜い銃弾の痕が残されていた。

「そうか」ウィゼアは再び頭を落とし、暗い天井を見た。「私は、撃たれたのか」

「君は、何者なの」

 ランゼルの問いかけに、ウィゼアは最初、沈黙で答えた。

「……私は」重苦しい返答を彼女は口にする。「人形だ。時計仕掛けの」


「この人形と同じ?」

「そんな出来損ないと一緒にするな」ウィゼアの声音は弱々しかった。「私は、忌々しいが、クソじじいの謹製さ。それはたぶん、ギアソンのやろうが、私をもとに作ったやつだろう」

「時計王が。それじゃ君は、百年前からいたってこと?」

「ああそうだ。だが目覚めたのは、つい数年前で、作られた時のことは覚えていない」

 話し疲れたかのように、ウィゼアは言葉を切る。

「どうにも力が入らねぇな……。悪いが横になったままにさせてくれ」

「撃たれたのであるから無理もない。楽にしているといいのである」

 いたわりの言葉をかけるデッケンベルター。対して、ランゼルのほうはといえば、おもむろにウィゼアの隣に人形を並べた。

「おい、なにをはじめる気だ」

「部品取りだよ」人形をためつすがめつしながらランゼルが言った。「見たところ、君と同じ仕組みのようだからね。からくりを知りたいし、交換用の部品も取りたい」

「馬鹿かおまえは。たった今、私は人間じゃないって告白したんだぞ。なに平然と直そうとしてんだ。他にもっと聞くことあるだろ」

「じゃあ聞くけどさ」

「おう」

「その撃たれたところの外装を剥がすにはどうすればいいの。こっちの人形と同じ手順?」

「騎士様、この馬鹿は放っといて、あんたはなんかないのかよ」

 ランゼルを無視したウィゼアの問いかけに、デッケンベルターは首をひねった。

「ふぅむ。正直に言って、昨夜から驚くことばかり続いたゆえ、今さら一つ二つ増えたところで、もう頭が追いつかぬのである。それに、ウィゼア嬢が人ではない、というのはその傷口を見れば一目瞭然なれど、こうして会話をしていると、まるで信じられぬ」

「だからって迷いなく直そうとするか、普通」

「傷ついた者を放ってはおけぬ。それが騎士というものである」

 まったく他意のない返答だった。

「真面目な話をするけど」人形の解体作業から目を離さずランゼルが言う。「君は間違いなく、時計機械の歴史上、最も優れた技術の集大成だ。ということは、僕が今するべきことは決まってる。壊れた部分を治すこと。時計職人としてこれは譲れない」

「どこが真面目な話だ馬鹿やろう」

 思わず出たウィゼアの罵声に、ランゼルは笑った。

「よかった。まだ元気そうだね」

 ウィゼアは言い返さなかった。

 しばし沈黙したのち、別の理由を口にする。

「……あとな、修理だなんて悠長なことを言ってる場合か。追手がくるぞ」

「いや、恐らくその心配は無用であろう」デッケンベルターがあっけらかんと言った。「さきほど下流を見てきたが、どうもこの先は枝分かれして、複雑な迷路のようになっているようである。いずれ立ち去らねばならぬが、今しばらくは誰も来ぬであろう」

「上流は?」

「この水路は、あの縦穴の底に溜まっていた水の、奥深くから通じていた。あそこをおいそれと潜ろうとする者はおるまい。非常に危険であるからな」

「それでよく生きてたな、おまえら」

 呆れたように言うウィゼアの横で、ランゼルが人形を分解しようとしていた。

「たぶんここかな。外装に隙間がある」

 工具をねじこんで無理やり剝がそうと、悪戦苦闘するランゼル。それを見てウィゼアは呆れたか諦めたか、力なく言った。

「腋の下だ。そこに左胸部のつなぎ目がある。とっとと外せ」


 分解作業を進めながら、ランゼルたちは会話を続ける。

「君が言っていた、バーネンマイゼンの末裔っていうのは、あれは方便だったの?」

「いいや、それは本当さ。私はいわば人造の後継者なんだ。つまりは遺言ってやつで、中央時計塔の正当な相続人に指名されている。されていた、と言うべきか」

 忌々しげに彼女は顔をしかめる。

「……目覚めるのが遅すぎた。私の意識がはっきりした時にはもう、ギアソンは中央を掌握していたんだ。そして何も知らない私は、簡単に騙された」

「利用されたのであるか」

「後になって考えたら巧妙な罠だったよ。あいつの言うこと自体は間違っちゃいなかったんだ。いくら遺言とはいえ、人形の私が財産を相続することは国の法律が許さない。時計を狂わす呪いがあれば、中央の名に傷がつく。そうやって、私の存在は外に知られないよう隠され、やつは代理人として表舞台に立った。私の許しを得て、な」

 過去の失敗を後悔するようにウィゼアは消沈する。

「私も馬鹿だった。裏でコソコソなにをやっているか気づけていれば。いいや、自分の足元のことくらい、もっと気を配っていたなら。こんな事態にはならなかったろうに」

「あの口ぶりでは、かなりのことを知っていそうであったな」

「まず間違いなく、あいつが造った兵器は、あの水路が集めた百年分の力を使うことを前提に設計されている。爆弾でも、大砲でも、一発でパスリムぐらいの都市を焼き尽くせるだろう。いったい、どれだけ量産されていることか……」

「しかし解せぬ」デッケンベルターは眉をひそめた。「それだけの兵器を造って、あのギアソンとかいう男は何がしたいのだ?」

「さあな。あいつは長い間、本性を隠してきた。それが露わになった時も、私はすぐ幽閉されてしまった。それから一年の間に何があったかも、よくわからない……」

 ウィゼアは遠い目をする。

「あの一年は長かった。閉じ込められ、鎖で繋がれ、それはそれは惨めだったさ。だが私は諦めなかった。バレないよう少しづつ鎖を傷つけ、壊れたふりもして、とにかく時を待った。そして、私が死んだとすっかり騙されていたんだろうな、閉じ込めていた部屋に入ってきたやつがいたんだ。私はそいつを、技師の一人を縛り上げて、そして逃げるついでに宝物庫から靴と時計を盗んでやった。いや、取り返したんだ。元々私のものなんだから」

 痛快だったと、ウィゼアは笑った。

「どうやら百年祭やロンビオンへの兵器の納品で、中央全体がごったがえしていたらしい。だから、展示会に運ばれる荷物に紛れ込んでも誰にも気づかれず、塔からまんまと抜け出せたってわけだ。そこからあとは、ランゼル、おまえの知ってのとおりさ」

「僕の大時計に忍び込んだんだね」

「ああ。もっとも、そこで万策尽きたんだけどな。次にどうするか、なにも手立てがなかった。私を最初に見つけてくれたのが、おまえで良かったよ」


 そういえば、とウィゼアは気づく。

「百年祭。そうだ、明日だった。明日にはロンビオンの飛行船がパスリムから出ていってしまう。その前に片をつけねえと……。今、何時だ?」

 その問いにランゼルは答えられなかった。

「それが、水に浸かったせいか、僕の持っている時計は全部時刻がおかしくなったんだ。君の懐中時計もだよ」

「そうか……いや、それは水のせいじゃねぇよ。さっきの、私の呪いだ。クソじじいか、まさかギアソンのやろうか。どっちにしろ厄介なもんかけやがって」

「おお、時計と言えば。自分も時計を持っていたのである」

 そう言うと、デッケンベルターは背嚢の中をまさぐった。

「無駄だよ騎士様、私と一緒にいたんだ、あんたのも壊れて……」

「これである」

 ことり、と置かれたものを見て、ウィゼアとランゼルはしばし絶句した。

 それは砂時計だった。

「今が何時かはわからぬが、おおよそ夕方より前といったところだろう。これは一回で五分を計れるゆえ、十二回ひっくり返せば一時間。それでだいたいの時刻はわかろう」

 ハ、とウィゼアが笑った。

「こいつはいい。どうやったって狂いっこねえ時計だ」

 その言葉に満足そうに頷いて、デッケンベルターは砂時計を引っくり返した。


「さて、こっちはこんなものかな。ウィゼア、君のほうを見るよ」

 ランゼルは工具を片手にウィゼアの近くに座り、指示されるとおり彼女の身体を開く。

 人形のそれとはまったく異なる、ほとんど人間と同じにしか見えない材質でできた左胸部を剥がし、中を見たランゼルは、一瞬言葉を失った。

「これは、凄い」

 ランゼルでなくとも、その光景を見た者は息を飲んだであろう。人間であれば心臓のある胸部中央に固定された、光り輝く大きな結晶によって、彼女の身体の中はエメラルドの海に沈んでいるかのように、不思議で神秘的な輝きに満たされていた。黄金色や白金色で彩られた歯車や軸や大小無数の時計魔法陣が、長い年月を経て形作られた鍾乳洞のような、財宝を積み上げた宝物蔵のような、複雑で美しい機構を、骨格じみたフレームの隙間から覗かせている。

「凄い! こんなの見たことないや、なんて精緻で見事で完璧で……ああもう言葉が足りない! こんな素晴らしいものが百年も前に作られていたなんて! 僕らはこの百年、いったい何をやっていたんだ、ちっとも進歩していない、いや進んですらいなかった!」

「女の身体を見て興奮してんじゃねぇよ変態」

「僕が見てるのは身体の内側だよ」

「余計に気色悪いわ!」

 いいからさっさと直せ! とウィゼアに叱られ、ランゼルは壊れた箇所の点検をはじめた。

 左の肩と胸部の間に開いた穴の下は、銃弾で機構のいくつかが壊れ、ヒビが入り、粉々になっていた。ランゼルは使い物にならなくなった部品を一つ一つ取り除き、広げた布の上に置いていく。あとでどれがどこにあったか思い出せるよう、目を皿にして記憶に刻み付けながら。

「おっと」

 ランゼルの手元を照らすため、照明用時計を掲げていたデッケンベルターが、足元に置いていた砂時計に手をのばし、上下を引っくり返した。

「つい忘れていたのである。ふうむ、やはり人の手で時間を計るのは大変であるな」

「時間なんてのは、本来それぐらい適当でいいのさ。太陽が昇ったら朝、真上なら正午、沈んだら夜ってのが、人間には一番あってるんだ」

「なるほど、道理やもしれぬ」

 ウィゼアの言葉に、デッケンベルターは一度だけ頷いた。

「しかし時計がなくては困る者たちがいるのも事実である」

 たとえば、と彼は言う。

「我が主、シャペオン様が治めるバンデンタール領は、霧深い谷間にあり、陽の光があまり差さぬ。それゆえ、太陽を見て時を知ることは難しい。晴れていれば、まだ空の明るさで判断できようが、霧が重い日にはそれすらもできぬ。シャペオン様がこの地へ参られたのも、そうした民のための時計塔を所望したがゆえのこと」

「いい領主様なんだな」

「仕えるに値する主君である」

 誇らしげに北方の騎士は胸をはった。

「しかるに、正しい時を刻むことは、そう悪くはないと思うのである。もっとも、自分はあまり詳しくないゆえ、大したことは言えぬのだが」

 ちらりとデッケンベルターはランゼルを見た。少なくともこの場では一番時計作りに深く携わっている少年だ。彼は一心不乱にウィゼアの修復に邁進し、さっきから一度もよそ見すらしていなかった。

「正しい時、か」ウィゼアは呟く。「それを求めるのは間違っちゃいないさ。だけど、あんな馬鹿でかいだけの塔と遺産を遺すほど、時計ってのは大したもんなのかね。そのせいで、私や、皆がどれだけ迷惑するか」

 怒るように、嘆くように、彼女は苦しげな声を出す。

「全部あのクソじじいのせいだ。ギアソンなんぞに利用されたのも、私が苦しい目に遭ったのも、大勢の人や国が危険に晒されているのも、みんなみんな、クソじじいが遺産なんてものを遺しやがったからだ。余計なことをせず、大人しく独りで時計を作っていれば良かったんだ」

 恨みのこもった言葉が、今にも泣きだしそうな声でつづられた。


「それは違うよ」

 作業の手を止めずに、ランゼルはそう言った。

「君を作った時計王は、大事なものを遺してくれた」

「なにをだ」

 ウィゼアの問いかけに、ランゼルは「うーん」と曖昧な声を漏らした。それは考えをまとめるようにも、目の前のからくりの構造について思い悩むようにも見えた。

「僕はさ、時計が好きだ」

「見りゃわかる」

「でもどうしてかは、わからない。思い返せば、僕は最初から時計が好きだった。小さい時から、物心ついた頃から、父さんの仕事場が一番楽しい場所だった。僕の父さんも時計職人でね、今も都で働いているんだ。たまに手紙をくれる」

 ランゼルは言葉を口にする間も、作業の手を止めない。直すことが大事で、会話は二の次なのだとでも言うかのように。

「僕が時計職人になりたいって言った時、父さんは気のりじゃなかった。もっと良い仕事を見つけたらどうだ、って。でも僕は、時計をいじくらない生き方なんて、想像もできなかった。だって見てるだけで面白いし、設計図からどんな時計ができるか考えるのは楽しいし、なにより、自分の手で作り上げた時の嬉しさは、無上のものだからね」

 口の端で小さく笑いながら、ランゼルは語り続ける。

「それでね。ここからが大事なんだ。僕は時計職人になりたかった。だから自分で時計を作って、品評会に出した。そしたらハーダー男爵様という方がお金を出してくれて、僕をこの街の工房で働かせてくれるよう取り計らってくれた。僕はベルランフィエで働いて、腕を認めてもらって、つい最近は展示会に出す時計の設計と制作に携わることができたんだ。君が隠れた、あの大時計だよ」

「さっきから、なんの話をしてるんだ、おまえは」

「気がつかないかな。全部、この街があったからなんだよ」

 ランゼルは穏やかに笑った。

「パスリムという時計都市があって、そこに沢山の時計職人が集まって、日々時計を作り続けている。それはオストワイム中に広まって、この国じゃ時計がとても価値あるものとして認められるようになった。才能や素質のある人を見つけ出すために、子どもでも作品を出すことができる品評会が開かれるほどにね」

 思い出にひたるような目をしながら、寝物語を読み聞かせるように彼は優しく言う。

「ねぇウィゼア。君のお父さんは、素晴らしいものを遺してくれたよ。パスリムの街ができたおかげで、この百年の間に、どれだけ多くの人が幸せになったと思う? 僕たち時計職人は仕事が増えて路頭に迷う心配がなくなった。職人や、その家族が増えたことで、商売をする人たちの仕事もできた。あの暗渠掘りの人たちだって、その中の一つさ。それに魔法の時計があることで、生活が楽になったり、良くなったりした人たちは、この街だけに限らない。それこそ、シャペオン様がここの時計を持ち帰ったら、ターラントにもその恩恵は広まるんだ」

 ウィゼアは黙ったまま。それでもランゼルは言葉を重ねる。

「そしてパスリムがあったからこそ、僕はここにいる。僕がいたから、君はここまでこれた。君は時計王の遺産によって苦しんだかもしれない。でも、君を助けたのも、回りまわって時計王が作り上げたこの街だったんだよ」


 詭弁だ、とウィゼアは言った。

「そんなのは詭弁だ。私を助けたのはクソじじいじゃねぇ、おまえだ、ランゼル。そこを間違えるな。おまえはクソじじいに言われたから、そうしたわけじゃないだろ」

「まあ、そうだね。そういえば僕はなんで君を助けたんだろう。やっぱり時計仕掛けだったから、本能的に味方になろうって思ったのかな」

「人間だったら助けなかったのかよ」

「何か時計を持っていたら話は別かもね。実際、君もあの懐中時計を持っていたし」

 あきれたように少女はため息をついた。

「おまえは、本当に、馬鹿だな」

「ああ。馬鹿さ」

「おまえみたいなのが、一人でも中央にいたら、良かったのに」

 ウィゼアは上を見上げて、しばし沈黙し、そして呟く。

「私は、時計が嫌いだ」

「僕は好きだ」

 ランゼルは迷いなく言った。

「そして君も、本当は嫌ってなんかいない」

「……なんでそんなことがわかる」

「本当に嫌いだったら、あんなに時計の仕組みに詳しいわけないじゃないか」

「そりゃ、私は中央に何年もいたんだぞ。嫌でも覚える」

「ならどうして、ギアソンが憎いんだ。時計や遺産が嫌いなら、一緒に台無しにしてしまえばいい。でも君は、こんなになるまで頑張って阻止しようとしてきた。この街を守るために」

 そしてランゼルは、ウィゼアを見た。

「それにさ、ウィゼア。君は一度だって、街の時計や、時計職人を悪く言わなかった。自分で気づいていないかもしれないけど。君が悪態をつくのは、時計を悪用しようとする人たちに向かってだけだったよ」

 作業の合間に一息つくように、ランゼルは手を止めて語り掛ける。

「君は、本当は優しい子なんだ。礼儀正しく、正義感があって、この街を大事に思っている。そして時計が、少なくとも嫌いじゃない。ただ呪いのせいで時計のほうから嫌われて、悪い大人たちから酷い仕打ちを受けて、ひねくれてしまっただけなんだ。この歯車みたいにね」

 ランゼルは、銃弾によってひしゃげた歯車を手に取ってみせた。

「お前に、私のなにがわかるってんだ」

「時計のことで僕にわからないことはない」

「はん」ウィゼアはせせら笑った。「私が時計仕掛けだと知って急に強気になりやがって」

「君は、この街のことも、嫌い?」

 その問いかけに、返事はなかった。ウィゼアは思案するように上にある暗闇を見つめ、口を閉じた。

 ランゼルもそう長くは待たず、残り少なくなった破片の拾い上げに戻る。

「今にして、考えると……」

 ぽつりと、ウィゼアはそれだけを呟いた。独り言だったのか、そのあとに言葉は続かない。

「なに?」

「私の胸のところに、光る石があるだろう」

 ランゼルは頷いた。彼女の体内を輝きで照らす、魔法の力が内包された大きな結晶だ。

「私の身体は、その石が内包する魔法で動いている」

「文字通りの、心臓だね」

「さっきの水路や、遺産や、おまえの話を聞いて、思ったことがある。遺産の天井にあった大きな石を見ただろう。あれは私の石と似ている気がする。私のこの石も、元々は中央の地下にあったそうだ。ギアソンのやろうの言うことだから信用ならんが……」

「もしかしたら、君の石も遺産の一部だった……?」

「まあ、その可能性はある。もしそうなら、私の力の源は、あの水路で集められた、この街の魔法なのかもしれない」

 たぶんそうなんだ、と彼女は確信したようにつぶやく。

「私はいつも、時計塔の上から街を見下ろしている時、なぜだか懐かしいと感じていた。その理由がわかった気がするよ。私の中には、この街の記憶が流れているんだろう。おまえらに血潮が流れているように」

 ウィゼアの目に、力強い光が戻った。活力と遺志が戻ってきた。

「一つだけ、おまえが正しいことを言ったのを認める。私はこの街が大事だ。クソじじいの作ったものがどうなろうと知ったこっちゃねぇ。けど、私を産んだこの街は、なにがあっても守りたい。だから私は、あの一年を耐えてきたんだ」

 彼女はランゼルと、そしてデッケンベルターを交互に見た。

「ランゼル、それに騎士様。私は無力だし、時間も残り少ない。助けがいる。頼む、力を貸してくれ」

「あいわかった」間髪を入れずにデッケンベルターが応えた。「悪漢どもの手より無辜の民を守るは騎士の務め。自分はもとより、シャペオン様にもご助力を乞うのである」

「僕はもう決まり切ってる」ランゼルは静かに言った。「あいつらは僕の目の前で時計を壊した。それだけで僕の敵だ。絶対に許さないし、報いは受けさせてやる」

 二人の言葉に、ウィゼアは頷いた。

「ありがとう。恩に着る」


 応急修理をしていたランゼルは、一息をついた。

「ひとまずこれで良いかな。ちょっと腕を動かしてみてくれる?」

 言われたとおりにウィゼアは左腕を動かそうとした。動いた。しかし少しだけだった。

「まだダメか……」

「いや、噛み合わせは悪くない。私のほうが、力が出ないだけだ」

「病み上がりゆえ、仕方ないのでは」

「私は人間と違って、撃たれたぐらいで死にはしないさ。ただ、なんかだるくて……」

 うーん、とランゼルは首をひねる。

「機械じゃないなら魔法関係かな。心臓部分から力が抜けているのか……そうだ」

 何かを思いついたのか、ランゼルはウィゼアの懐中時計を取り出し、ネジを回して裏蓋を外した。そして中身の分解もはじめる。

「なにをしてるんだ?」

「ちょっと思いついた。これの時計魔法陣を上に置いたら、回復しないかな」

「魔法の力を集めるってやつか」

 ランゼルは手早く魔法陣の刻まれた金属板を取り出し、それをウィゼアの胸部中央にある大結晶の上へ運ぼうとした。

「……あれ?」

「どうした」

「ここに、魔法陣をはめ込む隙間がある」

 今まで左肩のあたりを見ていたランゼルは気づかなかったが、大結晶と重なるようにして金属の枠が胸部に設けられていた。その大きさは、今ランゼルが手にしている金属板がちょうど収まるぐらい。

 試しにランゼルは金属板をその枠内に嵌めこんでみた。

「お」するとウィゼアが声をあげた。「うおお、や、やばい」

「どうしたの?」

「ちか、力が、抜けて、いく……」

「しまった、向きが逆だったのかも! 魔法が中じゃなくて外に向かってる!」

 慌てて取り外そうとしたランゼルの手は、異音によって止められた。

『……ガ……ギ……』

「なんだ……?」

 聞いたことのない音。少なくともランゼルが知る歯車や軸があげる音ではない。むき出しになったウィゼアの体内のどこにも異常は見られない。しかし音は確かに聞こえる。

『……こ……も……』

「なにやら、人の声がせぬか」

 デッケンベルターの言葉に、はっとなったランゼルは耳をすませた。

『……たしは……ネンマイゼ……』

「バーネンマイゼン……?」

 どこからか聞こえてくる声は、低く、しわがれ、まるで老人のよう。そして聞き取れたその言葉、その響きは、パスリムの者なら誰もが知る名前。

「これ……時計王の声……?」

 驚くランゼルにかまわず、声は流れ続けた。まるで壁を挟んで隣の部屋にいる人間の呟きを聞く時のように、音は小さく、聞き取れない言葉も多かった。かろうじてわかるのは、この声の主は、何かを伝えようとしている、ということ。

「が、あ、はやく、止めろ、気が、遠く、なる……」

「ああ、ごめん!」

 声も絶え絶えになったウィゼアの叫びに、ランゼルは金属板を今度こそ取り外した。

 しかし、かっちりと嵌まったそれに手こずっている間、声は最後にある名前を告げた。

『……のこ……は……ぎあそん……に』

 ようやく金属板が外れると声は止んだ。

 時計魔法陣を引っくり返し、魔法が大結晶へ流れ込む向きになおして再び枠内にはめ込んだあと、ランゼルは茫然と呟いた。

「……ギアソン?」

「今の声は、いったいなんだったのであるか」

「たぶん音を使った時計魔法陣だと思います。今のが時計王の声なら、音を記録する、原理自体は単純なやつ。きっとこの中のどこかに組み込まれて……」

「しかし、時計王とは百年も前の御仁なのであろう? なぜ、あのギアソンという男の名前が出てくるのだ?」

「ギアソン家は代々中央時計塔にいる名家で、パスリムの建設にも携わったと言いますし、初代のことなんじゃ……」

 疑問に頭が混乱しつつ、ランゼルはウィゼアに声をかける。

「魔法陣の向きを変えて力が流れ込むようにしたよ。気分はどう」

「危うくまた気を失うかと思った……ああ、前より楽になってるな」

 ウィゼアは目を閉じ、気力を休ませたあと、目を開いた。

「今の話……」

「時計王と、ギアソン家のこと?」

「ああ。しかし、なんでクソじじいの声が、私の中に?」

「ううーん、なんでだろう。製作者のサインがわりなのかな。君の身体は色々組み込まれていて凄いなぁ、もう一回聞いてみていい?」

 ウィゼアは心底嫌そうな顔で拒否した。

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