七 時計都市の共謀
下水道の行き止まりの壁に、マゴンサット卿は手を触れた。
「……この壁はつい最近作られたものだ。およそ百年しか経っていない。それに何かしらの魔法が働いている。手順を踏むか、選ばれた人間だけを通す、古い扉守りの魔法だろう」
それを聞いて、ロンビオン兵たちを率いる隊長がたずねた。
「では、この向こうに目標が。開けられますか」
「手順を知る者に開けさせるか、あるいは爆破して無理やりか、だが。貴重な遺構だ、破壊しないほうが良い」
「そう悠長なことは言っておれません」隊長は部下たちに向かって言った。「おい、大至急、発破の用意だ。それから退避急げ」
ロンビオン兵たちは指示に従うべく、行き止まりから離れようとした。しかし、きびすを返した兵士たちの目前に、いつのまにか小さな人影が大勢群れをなしていた。
彼らは手に手にシャベルやツルハシや、ゴミの中に埋もれていたとおぼしき金属の棒などを持ち、ロンビオン兵を今にも襲わんと取り囲んでいた。
「おまえたち、そこから離れろ」
「とっとと帰れ。さもなくば上には二度と戻れないぞ」
「な、なんだ貴様らは。そこをどけ。邪魔をするな」
ロンビオン兵たちは威嚇しようと銃口を向けたが、相手はひるまなかった。
「帰れ、帰れ、帰れ!」
「俺たちは銃弾を恐れないぞ。ここは俺たちの墓場だ、そしておまえたちの墓場だ」
押された兵士たちは「隊長……」とすがるような目で指示を仰いだ。
「ええい、やむをえん。強硬手段に訴えてでも……」
「お待ちなさい」
その時、ロンビオン兵と、ドブさらいの者たちとの間に、ポービズリーが割って入った。
「ここで命を落としても、なんの意味もありませんよ。我々の武器は強く、弾数も豊富です。みなさんが全員死に絶えても、我々は任務を遂行するでしょう。つまり無駄死にです。それに、我々は中央時計塔からの依頼でここにいます」
最後の言葉に「中央?」「中央から?」という呟きが沸き上がった。
「あなたがたのことも聞いています。その上でお願いしたいのですが、この秘密の扉を開けてくれませんか。もちろん、それについての許可も、ちゃんともらっていますよ」
〇
ランゼルたちは水路の途中で、小男と別れることになった。
「こっから先は、俺らは入っていけねぇ。ここでお別れだ」
「あんたのおかげで、とても助かったよ。ありがとう」
「まだロンビオンの兵隊がいるかもしれないから、気をつけてね」
「さっきは悪かったなぁ」小男は申し訳なさそうに言った。「俺ら一族は、見ての通りチビで、ひ弱で、上の世界じゃ生きていけねぇ。下水は汚ねぇし、くせぇけど、俺らにとっちゃ住み慣れた我が家だ。だから、約束は大事だったんだよぅ」
「わかってるさ。それは悪いことじゃねぇよ」
気ぃつけてなぁ、と言い残し、小男は水路の壁に開いた穴の中へ去っていった。その先にはきっと、入ってきた時と同じように秘密の扉があるのだろう。
「どのような場所や生業であっても、誇りと家族を守ろうとする者はおるのだな」デッケンベルターが感慨深げに頷いた。「まこと、人は見かけではわからぬものだ」
流れをたどり、下流へ。
三人は水路をひたすら歩き続けた。ランゼルの見立て通り、水路の形は懐中時計に組み込まれていた魔法陣の紋様と同じであり、迷うことなく奥へ奥へと進むことができた。
「あとどのくらいだ?」
「かなり中心に近づいているはずだ。もう五つぐらい角を曲がると思う」
「そろそろ上は中心街のあたりか。地下がどうなっているか知らないが、中央時計塔の真下とその周りが遺産の本体になっていると考えたほうが良さそうだな。なにしろ都市まるごと使った仕掛けだ、中心だって、でかいに決まってら」
「そういえば、この水は中心まで流れた後どうなるんだろう。かなりの量になるはずだけど」
「また別の排水溝があるんじゃないか。とびきりでかいのが」
「む? なにか聞こえてくるのである」
それは低く重い音だった。進めば進むほど音は大きくなり、やがて空気も振動しているのが感じられるほどになった。
やがて三人は、ついに水路の終点へたどりついた。
「なんだ、こりゃあ……」
ランゼルたちの目の前に現れたのは、巨大な縦穴であった。まるで空の下に出たのではないかと錯覚するほど天井は高く、対岸はかすむほど遠い。そしてその大きな奈落の底へ、縦穴の四方から流れ込んだ水が、大瀑布となって轟音を立てながら落ちていた。
「たぶん、ここが中心だ」
「底がまるで見えぬな」
「とんでもねぇでかさだ……おい、あれ見てみろよ。水車じゃないか?」
見れば、滝と化して落ちていく水の中に、光を返すものがあった。金属でできた大水車らしく、それは隣り合う歯車に動力を伝達しているようだった。
デッケンベルターが照明用時計の光をかざすと、すぐ近くの壁面にも、人間より大きな、黄金色に輝く歯車や軸があるのがわかった。それらはゆっくりと動き、噛み合いながら、上へ上へと繋がっていた。どうやら縦穴の壁面全体が、こうした巨大歯車に覆われているらしい。
「上になにかあるみたいだな」
「こっちに階段がある。登ってみよう」
ランゼルたちは、壁面を刻むように作られた階段を登りはじめた。
途中、歯車と壁面に挟まれた、トンネル状になったところを通りかかった時、その巨大な歯車を間近に見たランゼルが感嘆の声をあげた。
「歯車にも魔法陣が刻まれている。これは錆止めの魔法かな。すごいや、ここにある歯車の一つ一つに加工が施されているんだ」
「百年間、水しぶきを浴びても壊れてねぇのはそのためか」
「だろうね。どうやら僕ら、もう遺産の内側に入り込んでいるみたいだよ」
「まるで時計の中にいるようであるな」
巨大な機構で埋め尽くされた縦穴を、三人はさらに上へ上へと登っていった。
階段の終わりを見るより先に、ランゼルたちは頭上に輝くものがあることに気づいた。
「ねぇ、あれ」
ランゼルが指さすのは、縦穴の上、ようやく見えた天井部分である。
大きな邸宅がいくつも入りそうなほど広い円蓋を、無数の光る紋様が覆いつくしている。階段を上がるごとにはっきりと見えてくる天井は、金属でできており、紋様はそこに刻まれた溝
に沿って光っていることがわかった。
「遺産だ!」ウィゼアが叫んだ。「中央の地下で見た遺産と同じものだ。ここのは上下反対になっているが。裏と表で繋がっていたのか?」
「でも中央時計塔の土台部分より、大きくない?」
「ああ、私が見たのは、これの半分ぐらいだ。本体はこんなにでかかったのか……」
「それじゃ、あの真ん中にあるのが……」
ランゼルは目を凝らして、天井の中心を見た。そこには一際輝く光があった。遠くにあって見えづらく、正確な大きさはわからないが、おおよそ人間の拳ほどの大きさと思われた。
「お目当ての鉱石だろう。しかし、なんだあのでかさ」
「ほぉ、なんとも見事な石であるな」
「あれだけでかいと、もう宝石とか宝玉の類だな」
やがて三人は、踊り場のような広い場所に出た。見上げれば、光を発する巨大な天井が天蓋となって頭上を覆っている。
「さって、どうする」ウィゼアは天井を見上げる。「意外とあっさり目的のもんは見つけられたが。どうやって取り外したものか」
「上に橋が見えるが、それでも天井のはるか下に架かっているのである。リーズがここに入ることができれば良かったのであるが」
「とりあえず調べてみないと。もっと登ってみよう」
階段はまだまだ先があり、天井もいまだ遠い。
しかしランゼルたちの登り道はそこで終わった。
「そこまで」
突然、三人のものではない声が、縦穴の中に現れた。
「思っていたより、早く来たものだ」
声の主は、ランゼルたちの頭上、壁面から突き出た足場の上にいた。
白髪まじりの髪をなでつけた初老の男。手すりに手をかけ、悠然と三人を見下ろしている。
「ギアソン!」ウィゼアは叫んだ。「なんで、ここにいる!」
「ここは中央時計塔の真下にある最深部。私がいても不思議ではあるまい」
「てめぇ……この場所のことを知っていたのか!」
「無論だとも」ギアソンの言葉に嘲りが混じる。「あの水路を通ってきたということは、ドブネズミどもにも会ったのだろう。やつらに仕事を与えているのは我々中央時計塔だよ。そして君のかわりに、中央を取り仕切っていたのは、誰かね? この私だ。当然、ここへいたる通路も把握している。ただ君に伝えていなかった、それだけだ」
「ぬけぬけと、よくも……」
ウィゼアは怒りに顔を歪め、歯を食いしばった。
「もういい黙れ。そこで首を洗って待っていろ」
そして階段に向かって歩きだそうとする。
しかしそれを見たギアソンが、手を一度叩いた。
「君のその性格は、実に、わかりやすい」
その音を合図にするかのように、ランゼルたちの前に人のようなものが現れた。人間ではなかった。四肢はあったが生き物ではなく、頭はあったが顔はなかった。ただ目のような窪みが二つ、頭部の中心にあるのみ。
木とも金属ともつかぬ体のそれらは、続々と集まり、壁となって立ちはだかる。
「これは……」ウィゼアが後ずさった。「こんな、こんなものまで作ったのか!」
「驚くことではあるまい」ギアソンは冷ややかに答えた。「それもバーネンマイゼンの業にあったものだ。君もよく知っているだろう」
「ギアソン!!」
怒りに満ちたウィゼアの絶叫と共に、人形たちが一斉に押し寄せてきた。
ギアソンの傍らに、ロンビオンの将軍が立つ。
「あれも貴様らが作ったものか」
ゴドシン将軍は眼下にいる者どもを見た。
「実際に使ってみせるとは、わかりやすい売り込み方だな」
「いえいえ、あれらはただのオマケです。もちろん、お望みであれば追加生産しましょう」
「ふん、いい商売根性だ。で、あれはどういう代物だ?」
「時計仕掛けの人形ですよ。命令に忠実で、食事も要らず、決して眠らず、そして死ぬこともない。兵隊として最適かと」
「本当のことを言え。どうせ維持するための点検に手間と金がかかるんだろう」
「これは手厳しい」
ギアソンとゴドシン将軍は冷ややかに語りながら、見物でもするように視線を下に落とす。
下では、せまりくる人形たちを前にして、異国の軍装の男が奮戦していた。
おおお、と雄たけびをあげ、腕を丸太のように振り回し、手で相手を掴みとり、当たるを幸い人形たちを次々なぎ倒していく。
「たった一人にこの体たらくか。兵器としては不十分だな」
「素手ではさすがに。しかし人間と違って疲れ知らずで、いずれ疲弊した相手を取り押さえられるかと。それに……」
大きく投げられた人形が、縦穴の底へと落下していった。
「喪われたところで痛くもかゆくもありません。銃でも持たせれば、現状でもそれなりに役には立つでしょう」
「で、その銃は今どこにある?」
ゴドシン将軍の皮肉に、ギアソンは小さく笑うと、懐に手を差し入れた。
「ここに」
取り出したのは拳銃であった。唐突に出てきた武器にゴドシン将軍は鼻白み、自分の拳銃に手をのばしかけたが、当のギアソンはそんな将軍に構うことなく銃口を下に向けた。
「時間もおしてきました。そろそろ終わりにしましょう」
言う間に撃鉄を起こし、狙いをつけ、引き金を引いた。
ウィゼアの後ろの床に火花が散る。
「下手くそめ」ゴドシン将軍が言い捨てる。「貸してみろ」
ギアソンは恭しい手つきで拳銃を将軍に渡した。
「当てても構わなかったな」
ええ、という返答を半ば聞き流しながら、ゴドシン将軍は引き金を引いた。
一発目の弾丸が狙いを外した時、ランゼルは相手に銃があることを知り、怒りで我を忘れているウィゼアに駆け寄ろうとした。
しかし彼女に手をのばし、掴もうとした時、目の前で少女の身体が、強く跳ねた。
「ウィゼア!」
撃たれた衝撃で彼女は後ろへと倒れる。床に身体を打ちつけ、転がり、止まった。そして身をよじり、起き上がろうとした。だが、できなかった。
「く、ぁ……っ」
右腕は動いた。しかし左腕はだらりとして力が入っていない。見れば左の肩と胸の境に穴が開いている。そこを撃たれたのだ。
「おのれ!」今も人形たちを押しとどめているデッケンベルターが叫んだ。「子どもを狙うとは卑劣な!」
「うるさい」
三度目の発砲は、しかし狙われたデッケンベルターが後ろへ飛び退ったことで外された。
彼はウィゼアと、彼女を抱き起すランゼルをかばうように立ち、悔しげに上を睨み付けた。
「ここは一旦、退くのである」
「けど……っ」
「我らに勝ち目はない」なおも怒りを静めぬウィゼアに、デッケンベルターは言う。「早急に手当もせねば」
「勝ち目はおろか、逃げ道もない」
三人の頭上に、冷たい声が落ちる。
それに呼応するかのように、下から大勢の声が聞こえてきた。
「さっきのロンビオン兵……!」
ランゼルの言葉はほとんど悲鳴に近かった。
下水道で三人を追いかけた兵士たちが、水路を突破してやってきたのだ。
「茶番はここまで。実に楽な時間稼ぎだった。では、お戻り願おうか」
人形たちが三人に殺到する。同時に下のロンビオン兵が駆け上がって来る音が聞こえる。
前は無数の人形に阻まれ、後ろはロンビオン兵に断たれた。逃げ道はどこにもなかった。
「ギア、ソン……」
うめくウィゼアに、容赦なく人形の手が伸びる。
ランゼルやデッケンベルターも、四方から掴みかかられ、徐々に抑え込まれていく。
「ギアソン……!」
階段を打ち鳴らす軍靴の音が徐々に大きくなっていく。
ロンビオン兵たちの無数の銃に囲まれれば、抵抗できなくなるだろう。
もはやこれまで。
「ギ、ア、ソ、ン……っ‼」
ウィゼアが怒りと恨みのみが混じった叫びをあげた。
その途端、人形たちの動きが突如としておかしくなった。あるものは関節をあらぬ方向に曲げ、あるものは狂ったように痙攣し、あるものは動きを止めて倒れ伏した。
それはわずかな時間。だが、それだけで十分だった。
束の間の自由を得たデッケンベルターはランゼルとウィゼアを抱え、人形たちの包囲を脱出すると、縦穴の縁に足をかける。
「二人とも、掴まるのである!」
そして深淵の底に向かって、もろともに身を投げたのだった。
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