六 時計都市の秘密
パスリムの市街地の外で、巨大な船が地上に影を落としていた。
ロンビオンの飛行船『空の女王号』は鋼鉄製の綱で固定され、本来は牧場である広い草地の上に空中停泊している。
艦橋では航海士や通信士らが持ち場につきながら、しかし手持無沙汰にしていた。
「いったい、いつになったら積み込めるんでしょう」
副長のぼやきに、船長は頭を振った。
「それは将軍閣下の交渉次第だ」
事務的な返答だったが、閣下、という言葉には皮肉げな響きが混ぜられていた。
「陸軍の連中、また面倒ごとを起こして予定を台無しにしてなきゃいいんですが。やはりどこかで置き去りにして、我々だけで航海を続けたほうが良いのでは」
「その提案を聞くのは何百回目だったかな、副長」
「昔のことは覚えてませんが、あと五万回はお聞きすることになりますよ」
子どもに手を焼く親のように船長は溜め息をついたが、たしなめるような言葉は口にしなかった。彼もまた、陸海混成の現状には、ほとほとうんざりしていたからである。
上層部の政治的駆け引きに興味はないが、その結果を押し付けられる身としては、呪詛の一つも呟きたいところだった。
パスリムの中心街は、中央時計塔に隣接する広場と、それを取り囲むように様々な店舗や施設が建ち並ぶ区画を核としている。
それらの中に、上流階級向けの料理店があった。晴れた日には屋上に席が出され、広場を見下ろしながら食事を楽しむことができ、ちょっとした人気のある店だった。
「しかし撃っても構わんとは、ずいぶんと大胆なことだな」
ゴドシン将軍はグラスの中で酒と太陽の光をくゆらせ、喉に流し込んだ。牛のように太い腕と胴の持ち主で、頭頂部はすり減ったかのように地肌がむき出しになっている。彼は酒の味よりも、立派な口髭を濡らさなかったことのほうに満足し、向かいの席に座る相手を見た。
「男はともかく、小さな女の子に当たってしまえば、体面に触らんかね」
「ご心配なく」
悠然と、初老の男は微笑みさえ浮かべて答えた。
「あれは撃たれたところで歯向かうのを止めぬ、じゃじゃ馬です」
「おまえの言う、盗まれた制御装置に当たったらどうする?」
「銃弾で壊れるようなものではありません」
ゴドシン将軍は、このギアソンという男をまだ信用してはいなかった。周りをロンビオン兵に囲まれている中、平然と会食をしているあたり、肝は据わっているようだが。
そこへ、ロンビオン兵の一人が現れ、将軍に耳打ちした。
「見つかったそうだ」将軍は席から立ちあがった。「我々のほうが早かったな」
「治安維持のために協力を要請したかいがあったというものです」
いけしゃあしゃあと言うやつだ。将軍は、ふん、と不満げに鼻を鳴らした。
「これでようやく、積み込みが始められそうだな」
「ええ。では行きましょうか」
上品に口元をぬぐうと、ギアソンも立ち上がった。
「行く? どこへだ」
「納品の前に、閣下にも我々の仕事の成果を見ていただこうかと。ご案内しましょう」
〇
「なんだ、ここ……」
あたりを見渡して、ウィゼアが思わず言葉を漏らした。
彼女が下水道で、行き止まりの壁を叩いた時、そこにぽっかりと大穴が開いた。三人はロンビオン兵から逃れるため、そのまま穴の中へと入ったのだが、そこからしばらく上り坂を歩いていくと、下水道とは明らかに異なる場所に出たのである。
「なんとも、不思議な光景であるな……」
ランゼルたちの目の前に現れたのは、水路であった。デコボコしていた下水道とは違い、壁や天井は綺麗な石組みでできており、磨いたかのように滑らかな表面がどこまでも続いていた。
最も不可思議なのは、窪みに沿って流れる水である。一切の澱みなく、透き通り、そして淡い光を放っている。それが水路全体をほのかな水色に染めており、火や照明用時計がなくとも奥まで見通せるほどの明るさを生み出していた。
ランゼルは膝をつき、水路を流れる水をよく見た。
「これ、浄水塔から引いている水によく似てる。魔法で浄化された水だ。でも、こんな場所に上水道があるなんて、聞いたことないや」
言いつつ、ランゼルは水を掬い上げようと、手をのばした。
その時。
「あ、あんたら、なんで」それは悲鳴に近かった。「なんで、ここにいるんだよぉ!」
声がした方向を見れば、先ほどまでランゼルたちと一緒にいた小男がいた。彼はシャベルを握りしめ、一歩ずつ、ゆっくりと近づいてきた。
「なんでもなにもあるか、一人だけ逃げ出しやがって。ここはいったいどこだ?」
「ここは、俺ら一族しか入れねぇ、大事な場所だ。いくら旦那でも、ここを見られちまったからにゃ、生きて返すわけにはいかねぇ」
小男は震える腕でシャベルを振りかぶり、デッケンベルターが行く手をさえぎるようにランゼルとウィゼアの前に立った。
「待たれよ、ここがおぬしらの聖域というならば、土足で立ち入った非礼は詫びよう。しかし、この二人を害するというのであれば、我が主の名にかけて、自分が相手になるのである。そうなれば、おぬしは間違いなくただではすまぬ」
「仕方ねぇ、仕方ねぇんだ!」小男は叫んだ。「ここを守る。かわりに俺らは仕事をもらえる。そういう約束なんだ」
「約束?」
「そぅよ、約束よ。ここを造った時計王との、古い古い約束よぉ!」
小男の、ほとんど絶叫に近い言葉に、ランゼルたちは顔を見合わせた。
「この水路を、時計王が造ったって? それじゃ、この街ができた、百年前に?」
「そうともよ。時計王はここを造った。そして俺の爺さまの爺さまに、ここを秘密にするよう、守ってくれるよう頼んだ。そのかわりに、地下での暮らしを保証してくれたのさ」
小男はシャベルを構え、今にも突き刺しにくるかのように睨み付けてきた。
「一族みんなの約束なんだ。だからよぅ、旦那、気の毒だけど死んでもらうしかねぇんだよ!」
そして突進の前の一歩を小男が踏み出した時、その眼前にウィゼアが現れた。
「待った!」彼女は前にいたデッケンベルターを押しのけながら言った。「あんたには、伏せていたんだがな。私の名前は、ウィゼア・バーネンマイゼンという」
「バーネン……マイゼン?」
はっ、としたように小男は止まった。
「そうだ。私は中央時計塔から来た。ヴェンツェス・バーネンマイゼンの後継者だ。証拠が見たいなら、そこの旦那が持ってる」
言われて、ランゼルは懐中時計を取り出した。
「これだよ」包んでいた布をとり、小男の前に掲げる。「時計王のものであることは、僕らが確認済みだ。ベルランフィエの名にかけて」
「お、おお……」
小男はシャベルを落とし、両手で懐中時計を包み、しかし神聖なものであるかのように触れようとはしなかった。
「この太陽と剣の印。間違いねぇ、この水路のところどころに刻まれているものと同じだ。そうか、だからか。時計王の一族だから、入り口が開いたのかぁ」
そして小男は膝をつき、頭を垂れた。
「そんなら俺ぁ、あやうく間違いを犯すところだった。許してくれ。あんたはここに入れる、ちゃんとした理由のあるお人だったんだ」
「お、おい、そこまでかしこまるなよ」
震える小男の肩に、デッケンベルターが優しく手を置いた。
「詳しいことはわからぬが、おぬしは契約と一族の名誉を守るために、闘おうとしたのであるな。それは立派なことなのである」
ランゼルたちは、静謐な水路を歩きはじめた。
「さっき入ってきたところは、まだ連中がいるかもしれねぇ。ここから一番近い、別の魔法の扉んとこまで案内します」
四人が歩く通路の横を、水面がどこかわからないほど透明な水が、静かに流れていく。流れはランゼルたちが進む方向と同じで、ゆるやかに湾曲する水路の向こうへと消えていった。
「驚くほど澄んだ水であるな。このように綺麗なものはターラントでも見たことがない」
「これは魔法の水で、どんなものでも綺麗にしてくれるんでさ。けども俺らは、ここを汚さないよう、手をつけねぇようにしている。ここの水を借りるのは、怪我人に使う時だけでさ」
「きっと、浄水塔で作られた水だ。それでも、こんな川になるほどあるなんて」
「なぁに、ここらはほんの上流よ。下流に行けば、もっと増えまさぁ」
その通りだった。奥へ進むと別の水路と合流し、さらにそのまた奥へと進めば新たな水路と合流する。そうして水はどんどんと増えてゆき、水路の幅と深さも広くなっていった。
「それにしても」いくらか歩き続けた頃、ウィゼアが呟いた。「随分と、曲がり角が多いな」
「そうだね。普通、水路はゆるやかに曲がるものなのに、ここは直角に曲がるところがやたらある。ゆっくり流れているから、それでも問題なさそうだけど」
「あのクソじじいは、いったい何の目的でこんなもんを造ったんだ?」
「む、また曲がり角であるな」
見れば、またしても水路が直角に折れ曲がっている。
「ここらは特にクネクネしてたはず。滅多に来ねぇんで、あんまし覚えてねぇんですが」
「まるで迷路であるな」
「水の流れはいつでも同じだから、下流へ行くだけなら迷うこたぁねぇですよ」
「そういえばこの水、どこへ流れていくの?」
「わかんねぇなぁ」小男は首をひねった。「一番奥は俺らも入っちゃいけねぇんで。ただ場所ならわかります。街の真ん中ぐらいでさ」
「中心街?」
「いや待て、クソじじいが造ったのなら、パスリムの中心といえば……」
ランゼルは、はっとなった。
「中央時計塔?」
「つまりあれか。これは中央で使う水を引くための水路ってことか」
「それにしちゃ、大がかり過ぎない? 中央って、こんなに大量の水を使うの?」
「いや、そんなことは、ないが……」
ウィゼアは記憶を探るようにうつむいたが、解答を探し出すことはできなかった。
かわりにデッケンベルターが問う。
「ふぅむ。時計王が造ったのであれば、やはり時計に関係するものではないか? 水を使った時計というものは、ないのだろうか」
「大昔には水時計というものがありましたけど、こんな大きな水路はいりません。第一、機械式時計や時計魔法陣で名を馳せた時計王が、原始的な方法に、戻る、はず、が……」
語る途中で、ランゼルの言葉は途切れ、その後に沈黙が続いた。言葉だけでなく、その歩みもまた唐突に止まり、ランゼルは茫然と立ち尽くした。
「おい、どうした?」
ランゼルは答えなかった。
目を見開き、しかし何も見ず、口を開き、しかし何も語らず。そして手をわななかせ、髪をかきむしり、最後には絶叫した。
「まさか、そんな、馬鹿な!」
驚いて何も言えないウィゼアとデッケンベルターをよそに、ランゼルは小男に問うた。
「ねぇ、この先の水路は、どっちに曲がる?」
「え、えぇと、確か向かって左ですぜ」
「その次は?」
「別の水路と合流して、あと、水は左右にわかれて流れていく……」
「その次は。右にずっとずっと行って、そしたら左、右、左と曲がらない?」
「ど、どうしてそれを。なんで旦那が知ってるんですかぃ?」
またしてもランゼルは答えず、奇妙な唸り声をあげてうろうろと歩き回ったあげく、四つん這いになって水路を流れる水に顔を近づけた。
「いったいどうしたランゼル、なにがあった」
「この水」ランゼルは振り向きもしなかった。「この光は、一緒に流れる魔法によるものだ」
「普通の水じゃないのは見りゃわかるだろ。私たちにもわかるように説明しろ」
ランゼルは跳ねるようにして飛び起きた。
「時計魔法陣だよ!」彼は叫んだ。「この水路は、時計魔法陣と同じなんだ!」
「なんだと?」
「水に魔法がかけられているんじゃない、水と一緒に魔法が街の中心へ流れ込んでいるんだ。板に刻まれた魔法陣に沿って、力が時計中央にある鉱石へ集められるのと同じ仕組みで!」
「ま、待て、待て、待て!」ウィゼアは興奮するランゼルを押しとどめるように手をつきだした。「なんで、そうだとわかる。根拠はなんだ?」
「君の懐中時計だよ!」ランゼルは時計を再び取り出した。「ここの水路の形は、この中に組み込まれていた時計魔法陣と同じなんだ。ごく初期の、魔法の力を集めるためだけの魔法陣。ああ、そうか、そういうことか。これは地図なんだ。この水路の地図だったんだ!」
「いや、だから待てって! なんで見てもいねぇのに形が同じだってわかるんだよ!」
「そんなの、魔法陣の形を覚えているからに決まってるじゃないか!」
「おまえ、ほんっと時計馬鹿にもほどがあるだろ!」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人を、デッケンベルターが仲裁した。
「落ち着くのだ二人とも。正直、自分はよくわからぬ。順を追って説明してもらえぬか?」
四人は水路の端に集まって腰を降ろした。これまで何時間も歩き続けてきたため、休憩も兼ねてのことだった。
「話を整理しよう。まず、この水路は百年前に時計王が造った。それはいいね」
ランゼルの言葉に、小男が頷いた。
「そうよ。俺ら一族がここを守ると約束したのも、その頃さ」
「パスリムが建設された当初、街は今よりもっと小さかったけれど、その時から中央時計塔と、それから浄水塔はあった。きっと、この水路の水は、街のあちこちにある浄水塔から集められているんだと思う」
「その行きつく先が、中央か」
「そうだね。もしこれが時計魔法陣と同じなら、魔法の力は魔法陣の中心部に向かって集まっていくはずだ。浄水塔が建てられている全ての場所を考えると、それらの中心には中央時計塔が位置している。そこに集められているのは間違いない」
「さっきの学者様が言っていたな。ここらは魔法に適した土地だって。いってみればこいつは、まわりの魔法を根こそぎ集める装置みたいなものか」
ウィゼアは頷き、しかし眉をひそめた。
「だが目的はなんだ? 中央にはこんな水路から集めた力を使う設備はないぞ」
「僕らが今いる場所の深さを考えると、全ての水路が合流するのは中央の地下になるはず」
「地下、か……まさか」
ランゼルは懐中時計を掲げた。
「君は言ったね。これは、時計王の真なる遺産にたどり着くための鍵だ、って。中央時計塔の地下にあるという遺産。この水路がその一部なのだとしたら」
「なるほど、いくら調べても、なにもわからねぇわけだ。遺産の本体は中央の地下に埋まっているんじゃない。このパスリム全体が一つの時計魔法陣だったんだ」
「そしてこの水路をたどった先に、遺産がある」
ランゼルは水の流れていく先を見た。
「おそらく、遺産の心臓部にあたるものが」
興奮冷めやらぬランゼルに対し、ウィゼアの表情は晴れなかった。
「しかし、だとすると、こいつはまずいな」
「どうして?」
「集められた力は鉱石に蓄積される。ギアソンが利用しようとしている遺産にも、原理が同じなら蓄積用の鉱石があるはずだ」
ウィゼアの口が歪む。
「その中に貯め込まれた力が、こんな巨大な水路から、百年も集められていたとなると。私が思っていた以上に、兵器の威力は桁違いなものになる」
それを聞いたランゼルの顔が、さっと青ざめた。
「ちょっと待ってよ、ざっと見積もっても、パスリム全体を百回は燃やし尽くせる力だ。一千回かもしれない。そんなものが、兵器として使われたら……」
「いったい、どれだけの国が亡びるか……」
事の深刻さに、ランゼルとウィゼアは恐怖し、息を飲んだ。
「ふうむ」そこへ、空気を読まない声が割り込んだ。「おおむね理解したが。その溜め込まれた魔法の力とやらを、別のことには使えぬのか?」
「別のこと?」
「ようは、油の入った大きな壺が、今にも倒れて大火事になるやもしれぬ、ということであろう。であれば、倒れる前に壺の中の油をくみ出し、別の器に移し替えれば良いのでは?」
「鉱石から鉱石へ力を移し替えるのには、かなり時間がかかりますよ。ましてや百年分ともなると、何年、何十年になるか……」
「いや、待て。そうだ、それだ」ウィゼアが膝を打った。「移し替える、というより、奪えばいいんだ」
「どういうこと?」
「鉱石を取り外しちまうってことさ。クソじじいがどんな遺産を造ったかは知らねぇが、それを動かす力の源がなけりゃ、ただのガラクタだ」
「でも、いわば心臓部だよ。それが遺産のどこにあるか分からないのに……」
「だったら、おまえが見つけろランゼル。天才なんだろ?」
ウィゼアは立ち上がった。
「さあ、行こうぜ。おあつらえ向きに、この先に遺産があるってんだ。石さえ奪えれば万事解決だが、それにはおまえの手がいるかもしれん。一緒に来てくれ」
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