一 時計都市の夜
商工会館はパスリムの中心街にほど近い場所にある。
とっぷりと日は暮れ、時計仕掛けの街灯が定められた時刻になったことで灯を点していく。その中で、ランゼルと老技師、そしてベルランフィエ時計店から迎えに来た技師たちが、商工会館の前で大時計を荷馬車に載せていた。
重い大時計を、時間をかけず運ぶには馬の力がいる。しかし精密部品のかたまりにとって振動は大敵だ。そのため荷馬車には緩衝材となるクッションが十分敷き詰めてあった。その上にお姫様のごとく時計をうやうやしく置くのだ。
そうした作業をしているところへ、通りがかった者がいた。
「こんばんは、みなさん。ベルランフィエの人かしら?」
伴の者らを引き連れて、シャペオン夫人が歩いて来た。夜会帰りなのか丈の長いドレス姿であり、スカートの端をつまみながら夜風のイタズラをいなしている。
ランゼルら技師たちも、作業の手を止め、礼をとった。
「はい、そうでございます」技師たちを代表して老技師が応える。「今日お越しいただいた方とお見受けしますが」
「ええ。丁度良かった、後でそちらのお店に顔を出すつもりだったのよ。会食が長引いちゃったのだけど、今からでも遅くないかしら」
「はい、店はここ数日、百年祭の準備で遅くまで開くようになっております。今はまだ閉まるには早い時間でございますよ」
「それは良かった」
「店の場所はご存知でしょうか。店舗があるマニスリング街は他にも時計店がひしめいておりますゆえ、初めてのお客様はよく迷われるのです。いや失敬、この歳になると、どうも余計なことを申しがちで」
「いいえ、ご忠告ありがとう。馬車の御者に聞けば良いかしら」
「今はどこも祭の準備でごった返しておりますからなぁ、もしかすると店のある通りまで馬車が近づけぬやもしれませぬ」
「まあ」
「よろしければ、案内を一人おつけしましょうか」
老技師は後ろを振り返り、居並ぶ同僚たちを見る。そしてランゼルに視線を止めた。
「ランゼル。お前さん、ちょっとこの方たちを店まで案内してさしあげろ」
「えっ」
ランゼルは驚き、荷馬車に載せられた大時計を不安げに見た。
「おお、彼であるか」シャペン夫人の横にいた軍装の男が笑顔になり、主に語りかけた。「自分はあの少年に色々と教えてもらいました。信用できる者と存じまする」
「そう? それじゃ、お願いしようかしら」
あれよあれよと言う間に話が進んでいき、ランゼルだけが取り残された。
「さあランゼル、しばらくは力仕事だけだから、お前さんは店に行って、それからゆっくり工房へ来るといい」
「あ、あの」ランゼルは大時計をちらちらと見る。「でも、僕」
「気になるところは後でじっくり調べられるさ。今は少し他の空気を吸ってこい。それと、若いうちからお客と縁を結んでおくのは大事だぞ。さあ」
小声でそう囁くと、老技師はためらうランゼルの背を押して送り出した。
「失礼、こやつ時計が運ぶ間に壊れないか心配なようでして」
「まあ、時計が大好きなのね」
ランゼルの胸中を知らず、孫を見るかのようにシャペオン夫人は笑った。
馬車の停留所は商工会館のすぐ側にあるが、百年祭前々夜ということで利用する客は多く、シャペオン夫人がいかに位高い身の上とはいえ数台ほど待たねばならなかった。そのため、ランゼルらが馬車に乗り込んだのは、ベルランフィエの技師たちが出発してしばらく後のこと。
「本当に街中、時計だらけなのね。時計都市と謡われているだけあるわ」
馬車の窓から外を眺める夫人の口元に、上品な笑い皺が生まれる。
車窓からは、街のあちこちにそびえる時計塔や、街路端の消火栓に取り付けられたポンプ用の時計、店の軒先に下げられた看板用の時計、そして外国人には用途がわからぬ様々な場所にある魔法の時計たちが、街路に並んだ照明用時計の明かりに照らされているのが見えた。
「どうして、こんなに時計が多いのかしら? ランゼルさん」
「は、はい」急に名前を呼ばれて、緊張していたランゼルは慌てて返答する。「それは、この街が元々、時計を作るために建設されたからです」
「時計を作るため?」
「はい。百年前、バーネンマイゼンという時計職人がいました。その人は、魔法の時計を作るのに必要な、様々な仕組みを発明した天才で、僕たちは時計王と呼んでいます」
「あら、その名前はさっきの会食で出てきましたわ。ほんの少しでしたけれど。こんな立派な街を造ったのだから、時計王、というようにオストワイムの皇族の方だったのかしら」
「いえ、そうではありません」
ランゼルは不安な心を落ち着かせるように、自分の知る街の歴史を語っていった。
ヴェンツェス・バーネンマイゼンは、一言で表すならば技術者である。ただし普通の技術屋ではなかった。
後に「時計王」の異名を持つように、本業は時計職人である。これだけを見ても非凡な発明を生み出しているが、他にも彼は博物学、天文学、そして軍事にも造詣が深かった。
彼が活躍した百年前は、隣国レムマキアとの最後の小競り合いが起きた頃である。
レムマキアの深い森には古来より吸血鬼が棲みついていた。おとぎ話に出てくる軟弱なものではない、本物の怪物である。彼はらしばしば戦場に現れ、オストワイムだけでなく近隣諸国の軍勢を苦しめていた。
しかし、この最後のレムマキア戦争において、バーネンマイゼンは自身の発明した新兵器を用いて、吸血鬼の一軍を、それも長を仕留めることに成功したのである。
西方世界の人間にとって厄介な吸血鬼が壊滅したことで、戦争はオストワイムの有利に進んだ。戦後、この功を讃えて、バーネンマイゼンには恩賞と領地が与えられている。
莫大な富と名声。その気になれば仮貴族として安泰な一生を送れるはずだった。しかし彼はそうした財産の全てをなげうって、パスリム西部の渓谷に大規模な時計工房を作る資金にしてしまったのである。
彼は多くの職人たちを呼び集め、やがて彼の工房であった大時計塔を中心に、時計職人の街が成長していくこととなる。それは彼の死後も止まらず、街はいつしか時計都市パスリムと呼ばれるようになった。
「僕たちが彼のことを『時計王』と呼ぶのは、伝説の時計職人として尊敬しているだけじゃなく、この街を作った偉大な人だから、敬愛をこめて。というのもあるんです」
「まあ、職人と軍人を兼ね備えるなんて、それは大変な才能をお持ちだったのね。聞いていたかしらデッケンベルター、あなたも軍学だけやらずに見習いなさい」
「は、努力するであります」
デッケンベルターと呼ばれた軍装の男は頭を下げた。
その時、馬車が速度をゆるめて止まったので、丁度頭を下げていたデッケンベルターがつんのめりそうになった。
「な、何事であるか?」
「検問です」外から御者の声が聞こえてきた。「夜警が道を塞いでます。すみませんが少し待ってくださいませんかね」
ベルランフィエの大時計を運ぶ荷馬車は、ランゼルたちより早く検問に引っかかった。
「いったい何だってんだ。おい、勝手に触るな! 壊れたらどうする」
荷馬車を検分する夜警に、技師たちが文句を言う。
「何を運んでいる?」
「最高級の時計さ、あんたらの給料じゃ二〇年分はかたいね」
「随分とでかいな。中になにか隠せそうだ」
「あいにくと中身は歯車でいっぱいだよ。もういいかい」
夜警の一人は大時計を指で軽く叩いていった。
「ここだけ音が違う。おい、このあたりに歯車は詰まっていないようだが?」
「けっ、余計なことを。そうだよまだ組み込む予定の中身が完成しちゃいないんだ」
「中を改めさせてもらうぞ」
好きにしな! と技師たちは不満たらたらでふてくされた。
夜警らは裏にある下部の点検用扉を開き、カンテラ型の照明用時計の光を投げ込んだ。
「……空、だな」
「満足したか?」
不機嫌な技師たちを前にして、夜警らは「行ってよし」とだけ告げた。
ランゼルらが乗る馬車の扉がノックされる。
「失礼。中を改めさせてもらっても?」
返事を待たず、夜警が窓から馬車の中をうかがう。夜会帰りなのかドレスを着た上品な年配の女性と、オストワイムのものではない異国の軍装の男、その二人の対面に座る少年。乗っているのはそれだけだ。
「これはターラントのバンデンタール領主の馬車である。あまり無礼なことはされぬよう」
「よしなさいデッケンベルター。それで、なにかしら?」
夜警の男はさっと車内に目を通した。この型の馬車はどこにも隠れる場所がない造りをしている。反対側の扉の窓から同僚の夜警が覗き込んでいるので、自分からは見えない死角も確認しているはずだ。
「これは失礼を。中央時計塔から金品を盗んだ者がおりまして、検問を敷いているのです」
「まあそうなの」
「金の髪に青い服の女の子だそうですが、心当たりはおありですか?」
「いいえ。その子は何を盗んだのかしら」
「さあ、ただ我々が聞いているのは、懐中時計が一つ、ということだけです。なんでも時計王ゆかりのものらしく、中央時計塔にとっては大事なものなのでしょう。あそこは時計王の直系ですからね」
そうして話している間にも、夜警たちは馬車の外側を隅々まで調べていたが、どこにも怪しげなところはなかった。
「不審な点はありません」
「そうか」報告を受け、夜警は夫人に敬礼した。「お待たせしました、どうぞいってください」
「ご苦労様。それじゃ」
夫人が頷くと、馬車は再び走り出し、夜のパスリム市街を進んでいった。
デッケンベルターは隣に座る主に問いかける。
「よろしかったのでありますか?」
「そうね」シャペオン夫人は笑みをこぼした。「私は良かったと思っているわよ?」
「シャペオン様が、そうおっしゃるのであれば」
「あら駄目よ。そこはもう少し主をいさめるぐらいしなきゃ。あなたはちょっと聞き分けが良すぎるわ」
子どもをしかる母親のように言ったあと、夫人はドレスのスカートをつまんだ。
「さあ、もう大丈夫よ。出てきてらっしゃい」
ランゼルとデッケンベルターは手で目を隠した。するとシャペオン夫人の足元から、真鍮色の髪に青い服の少女が現れた。
「……どうしてこう、パーティ用のドレスってのは、無駄に長いんだろうな。踏んづけたりしないのか?」
「そうしないようにするの、実は大変なの。おかげであなたを隠せたけれどね」
乱れた髪をなでつけるように整える少女に、夫人は笑いかける。
「さ、お友達の隣にお座りなさいな。知りたいことが沢山あって困っちゃうわ」
商工会館から出た後、少女はランゼルやベルランフィエの技師たちと共に店へ向かうつもりだった。
ところが物陰に隠れて大時計の積み込みを待っていると、ランゼルがシャペオン夫人らと同道することになってしまった。そこで、ひそかに後をつけ、馬車の停留所でランゼルと合流。そしてランゼルの友達と偽り、まんまと同じ馬車に転がり込んだのである。
「あなた、泥棒さんには見えないけれど、本当にその、時計を盗んだの? ぜひ事情を聞かせてちょうだい」
ランゼルの横に腰かけた少女は、口を開く。
「まずは礼を言う。匿ってくれてありがとう。その上で聞いてもらいたいし、信じてもらいたいんだが。私は何も悪いことはやっていない。本当だ」
「信じるわ。でもどうして隠れて逃げているの」
「悪い奴らに追われているんだ。連中はどうしても私を捕まえて連れ戻したがっている」
「連れ戻す、それじゃ一度は捕まっていたのね」
「ああ。なんとか隙を見て逃げ出して、それでこいつと会ったんだ」
「ちょっと待って」ランゼルは少女の言葉に反応した。「展示会には招待客か出展関係者しか入れなかったはずだ。あそこにいたのなら、君はその中の誰かに捕まっていたってこと?」
その問いかけに、少女は「あー……」と考え込むように客室の天井を見上げた。
「それは、その……ここでは言えん」
「なぜであるか?」
「ちょっと込み入った事情があってな。悪いが、誰が何をしようとしているのか、外国から来たあんたらには、話せないんだ」
デッケンベルターが怪訝な顔をすると、その横のシャペオン夫人が少女のほうを改めてまっすぐ見た。
「あなた、お名前は?」
「ウィゼアだ」
「良い名前ね。それにとても綺麗な髪」夫人は髪をすくように手を動かす。「オストワイムの高貴な家柄では、金色の髪が好まれたと聞くわ。ただ、同時に長い髪であることもだけど、あなたのはちょっと短いわね」
オストワイムでは貧富を問わず女性は長い髪が良しとされてきた。特に貴族の婦女であれば、束ねて結んだものを別として、腰まで届くほど伸ばすのが通例である。しかし少女ウィゼアの髪は男性より十分に長いものの、肩のあたりで終わっていた。
「いずこの名のある家の出なのかしら。だから、おいそれと他国の人間には言えないことに巻き込まれているのね」
「私は」ウィゼアは頭をふった。「そんな大した生まれじゃないさ。ただ、話せない理由があるってのは当たってる」
「偉いわね、その歳で家や国を考えられるなんて」
シャペオン夫人は慈しむような、あるいは痛ましいものを見るような目をした。
「でもちょっとお転婆ね」
「素性のしれないやつを、簡単に同じ車に乗せる領主様に言われるのはなぁ」
「本当に困ったものであります」
デッケンベルターが嘆息する。
「ウィゼア嬢が盗みを働くような人間ではなかったから良かったようなもの、万一のことがあればどうするのでありますか」
「いや、その」ばつが悪そうにウィゼアが言った。「盗んではいないが、取り返すのに盗人みたいなことはした、かな」
彼女は服のポケットから、それを取り出した。
「まあ、それがさっき聞いた時計王ゆかりの品ね」
ウィゼアが掴む鎖の先に、丸い懐中時計がぶらさがっていた。
「ちょっといいかな」
それを横からランゼルが受け取る。彼はルーペを使って時計の細部を隅から隅まで見て、自分の記憶にある造形と比べた。
「この剣と太陽の装飾は百年前に流行したものだ。金属加工の仕方もそのくらい古い。この大きさだと中身は、たぶん時計魔法陣を組み込むものとしては初期の機構かな。作りは確かに時計王が生きていた頃のものと一致する。年代物としてだけでも価値があるよ。ただ一点だけ」
ランゼルは懐から自分の照明用時計を取り出して、文字盤を見比べた。
「微妙に時間がずれているという点をのぞけば」
本当に時計が大好きなのねぇ、とシャペオン夫人が微笑んだ。
「これ以上は鑑定士に見てもらわなきゃ、時計王の物か断言できないけれど」
「本物かどうかは、この際どうだっていいさ。とにかく連中の手に残しておけなかった」
「偽物でもかまわぬと? どういうことであるか?」
「ああそうか、時計魔法陣だ」ランゼルは合点した。「大事なのは時計じゃなくて、中に組み込まれている魔法なんだね。それを発動させることで、なにかが起きるんだ。でも百年前に作られた時計魔法陣じゃ、そう大したものはないはずだけど……」
「実際これがどう役に立つのかは、私も聞かされちゃいない。ただ、こいつは」
ウィゼアは言葉を続けようとしたが、会話はそこで終わりとなった。
突然、馬車の車体が大きく傾き、次いで屋根が吹き飛んだからである。
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