6-3 二人の真実

 自己紹介が済んだところで、三人ぶんのお茶とお菓子が運ばれてくる。キリクはスコーンで、ステラとレクシオは、中身の違うタルトだった。運ばれたものに手をつけながら、ステラがようやく、今回の外出の意図を話した。『導師』の一件があり、『ヴィナード』も介入せざるを得なかったため、ステラとレクシオとキリク、三人で集まって話をしたかったのだという。ようやく納得したキリクは、静かな心持でスコーンを半分に割った。

「――まずは、謝らないとね。導師、ノーマン一等兵のことは、本当にごめんなさい。彼の素性を突きとめられなかったあたしたちの手落ちだわ」

 いきなりの重い話題に、キリクは全身をこわばらせる。割ったばかりのスコーンに目を落とした。前に食べたものと違い、中に黄色い粒が見える。乾燥させた果物だろうか、そんなことを頭の隅で考えながら、彼は口を開いた。

「大丈夫、です。むしろ、あのとき我がままを言ったのは、俺ですし。一番近くにいた俺たちも、クリスがそんな奴だなんて、全然気がつかなかったから……ステラさんたちを責められません」

 違和感を認めるべきだった。あの日の後悔が静かにせり上がってくる。それを強引に飲み下し、キリクは顔を上げた。

「彼は今、どうなっていますか」

「少しずつ尋問を続けているところ。自分が軍部にもぐりこんだ経緯については隠すつもりはないみたい。ぽつぽつと、だけど、話してくれてるわ」

「そうですか……」

 自分で自分の命を絶つ気はない、それが俺にとってのせめてもの抵抗だと――あの日、そう言って笑った少年の顔が思い浮かぶ。今、彼は、どんな思いで鉄格子のむこう側にいるのだろう。

「彼の処分についてどうするか、議論になっているの。大義名分を得たセルフィラの信者たちが暴走をはじめる可能性もあるからね。……あたしたちとしては、平和に解決したいんだけど、殿下や偉い人の考えは違うみたいで」

 泥沼に沈みかけた思考を、女性の声が現実へ引き戻す。はっとなったキリクは、晴れない気分をごまかすつもりで、スコーンのかけらを口に運んだ。優しい甘さと柑橘の香りが、ふわりと広がって鼻へ抜けてゆく。

「……セルフィラ神って、そんなに、悪い存在なんでしょうか」

 甘いかけらをのみこんだ後、キリクは心に浮かんだことを言葉にしていた。言ってから、しまった、と顔をしかめる。

 予想に反して、ステラもレクシオも、穏やかな表情のままだった。考えこむふうにカップを揺らしたステラが、息を吐く。

「セルフィラ神を、絶対的な悪だと言いきることは、できない。少なくとも、あたしたちはね」

 キリクは、目をみはった。己の心を代弁された気がして、どきりとする。中隊長は、隊士の内心に気づいた様子もなく、淡々と続けた。

「むしろ彼女は、優しいのよ」

「優しい?」

「そう。この大陸の生き物たち、その中でも特に人間のことを心配していたんじゃないかしら。人間たちは、賢くか弱い生き物なのに、放っておくと必ず殺し合いをはじめてしまう。そういう愚かさを憂えたからこそ、神と呼ばれている自分たちが人間を管理すべきだ、と言い張った」

 だが、それは、姉のラフィアに背くような意見であった。姉の意見は自由を望む多くの人間たちに受け入れられ、妹の意見は一定数の神族に支持された。そうして彼女たちは対立し、神代の戦ではセルフィラが負けた。

 それが事実だ。セルフィラが邪神と呼ばれているのは、負けたからに過ぎない。どちらが正しい、間違っているとは言いきれない、というのが、ステラたちの意見であるようだ。黙って耳を傾けていたキリクはしかし、話が一段落すると、違和感を口に出していた。

「まるで、知っているみたいに仰いますね」

 少しからかってみるくらいの、軽い気持ちで発した一言だった。けれども、ステラとレクシオが驚いた顔を見合わせたところで、キリクはただならぬものを感じる。彼の全身を駆け巡った形のない予感は、きっと正しいものだった。ステラは、キリクに目を戻すと、あっさり言い放ったのである。

「そりゃあ、当のセルフィラ一味と前に戦ったからね」

 あっさりと暴露された真実にキリクは愕然とした。だが、同時に、納得してもいた。『神様を倒した』――かつて出会った六人の学生のうち一人が、そのようなことを言っていたではないか。彼女の明るい声は、多少の正確さを欠きながらも、少年の記憶に残っていたのである。

 少年の喉が鳴る。散らばっていた点が次々と繋がって、線になっていっているのを感じた。

 ステラはそれ以上、セルフィラ神に触れなかった。話題はじょじょに移ろい、キリクの興味も神々から一人の魔導技師へと移った。

 タルトの生地を地道に掘っていた青年は、視線に気づいたのか、緑の瞳を上向ける。

「ヴィナード――レクシオさんは、どうしてあの場にいたんですか」

「あー、それねえ。説明しようとは思ってたんだが」

 はは、と笑ったあと、彼は薄く切られたリンゴをちぎるように噛んだ。

「なんて言ったらいいのかな。俺、実は、仕事をふたつ持っててな」

 さっそく妙な話になった。思いつつも、キリクはうなずいた。ここは、黙って続きを聞くことにする。

「ひとつめは、工房勤めの魔導技師。で、もうひとつの仕事っていうのが――ディーリア中隊専属の情報屋」

 キリクは、唖然として青年を見返した。レクシオの表情はちっとも変わらない。

「アーサー殿下やステラに頼まれて、あるいは自主的に神話のことや情勢のことを調べてまわっては報告する、そういう仕事をやってんだ。俺が工房から持ってきた品物をいつもステラが受け取ってんのも、そのときに情報交換をするためなんだよ」

 裏側をさらけ出す言葉は、よどみない。むしろ楽しそうですらある。

 キリクは口を開けっぱなしにしたまま、話を聞いていた。もはや、言葉が見つからない。あの親しげなやり取りの裏に、そんな事情があったとは。

 そうして情報を集め、中隊長や皇族と連絡を取っていたから、導師たちが動きだしたあの場にも、駆けつけることができたのだという。魔導技師のいくつかの顔を、ステラもレクシオも、もはや隠そうとすらしていなかった。

 固まる少年をよそに、苺のタルトを口に運んでいたステラが会話に加わってきた。

「あたしとレクは、学生時代からの付き合いなの。で、まあ、いろいろあってね。今はそうやって、表向きは違う仕事をしながら、裏で連携を取ってるの。先の一件でも、レクにはかなり頑張ってもらっちゃった」

「ほんとよ。今度、俺のお願いも聞いてもらうからな」

 レクシオが飄々として言葉を返すと、ステラは大げさにのけぞる。

「うわあ、レクのお願いって、えぐそうだな……」

「ふっふっふ。覚悟したまえ」

 二人の笑い声が、テーブルの上で弾ける。二人を交互に見ながらやり取りを聞いていたキリクは、それが終わったところで、おずおずと口を挟んだ。

「お二人は、どういうご関係なんですか」

 学生時代の知り合いだ、とは、先ほどのステラの言だ。だが、キリク少年には、この大人二人の間には友情を超えた感情と信頼が横たわっているように思えてならない。

 まっすぐすぎるキリクの問いかけに、ステラとレクシオは、少し困ったようだった。互いに鏡を相手にしているかのごとく、首をかしげあう。

「そうねえ。学友、ではあるけど」

「それよりむしろ戦友って感じもするし」

「戦友は堅苦しくない? それなら相棒の方がまだいいかも」

 かわるがわる、人どうしの関係を表す言葉を並べ立てた男女は、その後わずかに沈黙した。四つの目は、思案にふけったあと、スコーンをひとかけらずつ食べているキリクへと向く。彼が答えを求めて視線を上げると、ステラとレクシオはひとつうなずき、同時に口を開いた。

「でもまあ、今は戸籍上……夫婦」

 二人の声で、ひとつの言葉が奏でられる。答えを受けとめたキリクは、胸中でそれを繰り返す。ややして、意味をのみこむと、手にしていたスコーンを皿の上に落としてしまった。

「はあっ!?」

 上官を相手にしているとは思えぬ、少年のひきつった悲鳴が、喫茶店のなごやかな空気を揺るがした。

 ステラたちは、さすがに驚いたようで軽くのけぞった。しかし少年は彼らの驚愕を気にする余裕などなく、もたらされた情報を整理するのに精いっぱいだった。

 ステラが結婚している身だということは、とっくに知っている。だからこそ、どこかに彼女の夫なる人物がいるはずで、それがどこの何者なのか、気になってはいた。しかし、なんのことはない。ご夫君とキリクは、すでに顔を合わせていたのだ。当のご夫君は冗談を言っているふうでなく、気まずげにタルトを口に運んでいる。

 キリクが唖然としていると、鈴を振るような笑い声が、重い沈黙を破った。失笑したステラは気の済むまで腹を抱えて笑い、目尻ににじんだ涙をぬぐう。

「いや、そこまで驚かれるとは思わなかったわ」

 彼女が語尾を震わせて言えば、レクシオはタルト生地を噛み砕いて、伸びをした。

「まー、深く考えなくていいぜ。戸籍上そうってだけで、気分的には学生の頃とあんま変わんないし」

「普段は二人とも、元の姓を使ってるしね。気づくはずがないか」

 それに、貴族のお嬢様が一介の魔導技師と結婚しているとは、誰も思うまい。仲のよさを指摘されても、学友もしくは幼馴染とでも説明すれば、たいていの人々は納得して引き下がる。ステラとレクシオは人々の先入観を利用して、自分たちの現在の関係を隠すことに成功していた。そしてキリク少年も、先入観にとらわれていたうちの一人であったのだ。

「人間って、分かんないもんだな」

 なごやかに語りあう夫婦をながめ、キリクはひとりごつ。残ったスコーンの片割れに、添えてあった白いクリームを塗って、もそもそと食べた。

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