4-2 白銀の剣

 何が起きたのか理解できなかった。

 だが、銀色の光が消えたとき、獣は跡かたもなく消えていた。銃声が鳴り響く中、キリクとその班員は、唖然として、何もいなくなった石畳を見つめる。

 かつん、と響いた靴音が、二人の意識を揺り起こした。

「間にあった」

 ため息混じりに呟いたのは、女性の声。見れば、彼らの隊長が、抜き身の剣を持って立っていた。班員が彼女の名を呼ぶ。キリクは、ただ息を吸う。

「先ほどのあいつは……いったい……? 銃弾が、刃も、まったく通らなくて」

 青ざめた班員の問いに、ステラは静かにうなずいた。

「だから、私が出てきた」

 ステラは短く答えた。そうかと思えば、だらりと下げていた剣を持ちあげる。いつの間にか、闇の中に新たな獣の影があった。

 キリクは思わず声を上げそうになる。獣がいたからではない。まるで、それに呼応するように、ステラの剣が銀色になったからだ。比喩でもなんでもなく、本当に、白銀の光をまとっていた。

「どうやら、この獣たちの中には、私でないと仕留められないような奴が混じっているらしいわ。そいつらは確実に私を狙ってやってくる」

「隊長? それは、どういう」

 ステラは、怪訝そうな班員に向かって首を振り、質問を封じた。

「――だから、そういう奴は相手にしないこと。私のところにできる限り引きつけて。あなたたちは、ほかの獣を退治しなさい」

 言葉の意味をはかりかね、キリクと班員は呆然となる。その間にも、ステラは彼らの横をすり抜けていた。気合の一声とともに、夜の影めがけて切りかかる。そこに潜んでいた獣は剣に打たれ、断末魔を上げる間もなく散っていった。軌道を描いた銀色も、静かにはらはら溶けてゆく。

 月のような輝きに、キリクは思わず見とれてしまった。だが、ステラと目が合った瞬間、我に返る。彼女は二人を認めるなり、眼光鋭くねめつけた。

「隊員、返事はどうした」

 波立たぬ問いは、さながら風雪のようだ。脳天からつま先まで一気に冷やされた兵士二人は、瞬時に敬礼をする。

「――は、はっ!」

「了解であります!」

「よろしい。早く行きなさい」

 ステラがうなずくのを確かめて、二人はすばやく戦場に意識を戻す。

 飛びかかってくる獣たちにキリクが発砲し、相手がそれを避けて体勢を崩したところを狙って、もう一人の班員が剣で斬りこんだ。イルフォード隊長に剣のわざをしこまれている彼らだからこそ取れる連携である。

「やるな、セレスト一等兵」

「ありがとうございます」

 振り向きざま、班員がにやりと笑う。キリクも、長い銃口を黒の中に向けたまま、口の端をつり上げた。

 彼は照準器から目を離さない。ただ、班員の声は聞こえていた。

「しかし、隊長のあれはいったいなんだろうな」

「分かりません。魔導術ではなさそうでしたけど……」

 キリクは、途中で言葉を切った。狭い視界のむこう側。うごめく影にめがけて撃つ。乾いた音と、獣の悲鳴が重なった。ようやく目を上げたキリクは、ちらりとよその戦場を振り返る。

 ステラ・イルフォードの戦いぶりは、やはり目をみはるものがあった。

 獣を一頭斬り伏せたと思えば、返す刃で一気に三頭ほどを薙ぎ払う。女だからと侮るなかれ、そこらの士官よりも強いに違いない。剣さばきは淡々としているようで、その実たしかな熱を帯びていた。ステラの剣が舞うところ、銀の光が舞い踊る。

 銃口を下に向け、キリクはわずかに首をすくめた。

 あの光を見ると、不思議と心が揺さぶられる。懐かしいような、恐ろしいような、心地よいような感覚。

 月のような銀の冷たさは、太陽のような金のぬくもりとはまた違う、静かな力を彼に注ぐ。

「大丈夫か、セレスト一等兵」

 キリクは強くグリップをにぎりしめた。


――きっと自分は、この感覚の正体を知っている。知識ではない、それよりも深い部分で理解している。だからこそ、こんなにも惹きつけられるのだ。明確なわけを表層の自分はまだ知らない。

 今はそれでもよいだろう。確認するのは明日でもできる。そのためには、この夜を無事に生き抜かなければいけなかった。


 ハシバミ色の瞳は、肩を並べて戦う先輩を見やって細った。

「すみません、大丈夫です。……行きましょう」

「ああ」

 班員は首をかしげていたが、彼の疑問を解消することは、キリクにはできない。今はそのための時間もない。だからただ、足を前に出すしかなかった

 二人はまた、銃声飛び交う街道を駆けてゆく。


 西北区域は少しずつ、静けさを取り戻しはじめた。ステラが戦線に出てきたおかげだろう。謎の獣の冷たい気配も薄らいで、気づけばキリクも恐怖から意識を逸らせられていた。

 二人は帝都案内所の前まで戻ってきた。最初にキリクが獣を待ち伏せた建物だ。そこには、ちょうどパウルス伍長の姿がある。彼はキリクたちに気づくと、ひげを動かし不敵に笑った。

「よう、うまくやったみてえじゃねえか」

「伍長、そちらは?」

「まー、ひとまずはおさまってきたな。完全撤退にはまだ早いが」

 班長の答えに、問いかけた班員はほっとした顔をした。一方、キリクは眉ひとつ動かさず、薄く煙る夜空を見上げる。なんとなく、胸がざわつく。

 そのとき、存在を忘れかけていた魔導具から、砂嵐混じりの声がした。

『こちら、イルフォード中尉。第三班、応答願います』

 三人は顔を見合わせる。伍長が通信機に向かって口を開いた。

「こちら第三班。いかがなさいました、隊長」

『パウルス伍長ね。よかった』

 魔元素マグノ・エレメルに乗せて、二人の声が交わされた。最初こそ安堵していた隊長は、すぐに気配を引き締める。続きを待つ部下たちに、彼女は深刻な事態を知らせた。

『第四班と、連絡がつかなくなっているわ』

「なんですと?」

『ディーリア中隊指令室から、先ほど連絡があったの。第三班から何人か、捜索に向かってもらえないかしら』

 パウルス伍長が、眉を跳ね上げ、次には眉間にしわを寄せた。声を聞いていたキリクと班員も、視線を交わす。きっと自分はさぞかし頼りない表情をしているだろう、とキリクは思った。

 第四班は、第三班の近く、帝都の西門前を陣取っていた班である。その班には、クリストファー・ノーマン一等兵がいるはずだった。


 第三班の人数は、班長を入れて八人だ。その中の三人が第四班の捜索に向かうことになった。三人のうちに、キリク・セレストも含まれる。言うまでもなく、自分から志願したのだった。

 第四班がいるはずの西門前には、人の気配どころか獣の気配すらない。パウルス伍長に相談し、帝都の外の林にまで足をのばすことになった。だが、林をいくらかき分けても、何度名前を呼んでも、人は出てこない。おまけに通信機の調子も悪くなってきた。キリクは、ステラの言葉を思い出して苦りきった顔になる。さりとて無力な少年は、よくない流れに乗るしかない。

 夜の中、視界をさえぎる木の葉は黒々としていた。冷たい風にこずえが騒ぎ、人々の不安をかき立てる。恐怖をどうにか抑え込み、軍人たちは進む。彼らにはそれしかできない。それこそが彼らの仕事なのだ。

 三人のうちの一人、あちこちに跳ねた栗色の髪をもつ軍曹が、あるときわずかに目を細めて足を止めた。最後の一人、金髪の青年上等兵が、大げさにのけ反る。

「軍曹、どうしました?」

「静かに」

 青年の声はひそめていても明るい。それを、軍曹の低いささやきが押さえつける。口をひん曲げる若者に向かい、彼は言葉を付け足した。

「物音がする」

「誰かいるかもしれない、ということですか」

「人か獣かは知らんがな。これで鹿だったら拍子抜けだ」

 おどけてみせた軍曹は、けれどすぐにはりつめた表情になった。歩きだす先輩に、キリクたちも黙ってついてゆく。

 草を踏みしめ、藪をかきわけた先は、ひらけた空間になっていた。そこへ顔を出した瞬間、二人の班員が凍りついた。あやうくぶつかりそうになったキリクは、すんでのところで踏みとどまる。

「何が――」

 あったんです、と訊きかけたキリクは、しかし最後まで訊くことができなかった。立ちすくむ少年の嗅覚を、濃い血臭が支配する。ひらけた地のまんなかに、赤い水たまりができていた。その中に、数人の体が沈んでいる。いずれもディーリア中隊の隊士のもので、誰も生きていないように思われた。

 青ざめたキリクはまず、赤毛の少年を探した。だが、血だまりの中にいるのは年かさの男ばかりだ。不謹慎にもほっと息を吐いたキリクをよそに、動揺したのは、金髪の上等兵である。

「こ、こいつら、第四班の連中だ! なんで、こんな……!」

「待て!]

 藪を乗り越えた後輩を、軍曹が止めようとする。

 しゃん――と不可思議な音が空中を揺らしたのは、そのときだった。すぐ後、軍服の後ろ姿が凍りつく。ただ事ではない気配を察し、キリクは中腰のまま身を乗り出した。

「あの、今度は何があったんですか」

 上等兵に呼びかけたが、返事はない。軍曹もキリクにならったが、やはりいらえはなかった。「不審」と書かれた顔を見合わせた二人は、慎重な足取りで上等兵に近づく。彼の前に回り込み、二人は落雷に打たれたような衝撃を受けて立ちすくんだ。

「……なんだよ、これ」

 キリクはうめいた。かすれ声は、ぶきみな光景への驚きを表現するには弱すぎる。

 上等兵の体は、文字どおりその場から動かなくなっていた。軽く見開かれた目も揺らがず、無理な姿勢に耐えかねた様子もなく。そして――彼の体の表面を覆う透明な膜が、青年軍人を異質な彫像に仕立てあげていた。

「まさか、魔導術か」

 キリクは、軍曹のささやきにはっとする。しかし気づくには遅すぎた。

 澄んだ音が、天と地のはざまを舞う。

 目の前を光が覆った。キリクはとっさに目を閉じる。闇が戻って目を開くと、その先にいる軍曹が口を半開きにしたままかたまっていた。嫌な予感にかられたキリクは、ほとんど叫ぶように名前を呼んだが、答える声はない。

 してやられた。

 少年がほぞを噛んだとき。木々の間から、殺気が染み出してきた。

 明るい色の目をすがめる。肌が粟立ち、冷や汗が背をつたう。落ち着け、と何度も言い聞かせ、キリクは視線だけを周囲に投げかけた。はっきりとした人影はない。そのことが、彼を戦慄させる。

 その殺気は戦う人のものではないが、恐怖を抱かせる寒々しさを持っていた。それが魔導士特有の気配だとキリクが知るのは、もう少し先のこと。今は取り乱さないようにするので精いっぱいだった。

 風が吹く。影がうごめく。キリクが剣に手をのばしたとき、草を踏む音が殺気を吹き飛ばした。

「待て、早まるな。その少年は、話せる状態にしておけ」

 淡々とした声は、高くさっぱりとした少年のものである。声のした方に目を走らせたキリクは、口を開けて閉じられなくなった。

「彼とはしっかり話をして、その後に殺してやらねばならないんだ。収めろ」

 喉が渇く。震える。出そうと思った声は出ない。

 命令されたせいか、ふくれあがっていた気配は急速にしぼんでいった。闇の中から声の主が出てきたのは、それと同時だった。

 キリクは『彼』から目が離せなかった。剣にのばしていた指から力が抜ける。

「なん、で。おまえが命令、してんの」


 ――これは、悪夢だろうか。


「クリス」


 闇の中。小さな人が、何人かの影を従えて立っていた。魔導術だろうか、光が生まれて、人影に明瞭な色彩と輪郭を吹き込んだ。浮かびあがったのは、赤い髪を夜風になびかせる、そばかす顔の少年。

 人々が、クリストファー・ノーマンと呼んだ者だった。

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