エビフライ定食

「ここの反応式はまず、H2Oを―」


 今、自分が教室で授業を受けている事が信じられない。


 なんせ、昨日まで学校に登校することすら珍しく、登校しても保健室でのんびり時間が過ぎるのをただ待っている毎日だった。

 そんな俺が今日、顔を出さなかったクラスで、周りの生徒と同じように朝のSHRを済ませ、1時限目の授業に参加している。当然、朝の俺の姿を見たクラスメイトは驚きを隠せないようだった。そして生徒達は影で


「あいつ誰だよ」

「あんなやつクラスにいたか?」

「転校生か…?」


 などと様々な噂を口ずさんでいた。

 先生からはこうなる事をSHR後に告げられていた。私はこれを覚悟したうえで今日は登校したのだ。やはり人との関わりに対しての恐怖心は減ることはなく、むしろ噂の数だけ倍になっていくような気がした。

 そんな時は昨日のファミレスでの出来事を思い出してみる。


『この世の中にはあんなに優しく声をかけてくれる人だっているんだ!』


 そう思う事でどこか救われる自分がいた。

 こうして休み時間は過ぎ去り、やってきた1時限目。毎日が保健室登校だった自分にはなかなかハードな授業で、内容なんて頭に入るはずがなく、クラスで授業を受ける大切さを学ぶのが最初の自分への課題だと思うことにした。


 時間が経つのは早いことで、気がつくと4時間も授業を受けていた。昼休みに入っても噂は止むことなくクラス中を飛び交っていた。

 うちの学校は学食がなく、お昼は近所の惣菜屋さんの定食弁当。まぁ、美味しいといえば美味しいのだがよくある味だ。


 空腹を満たした俺は眠気に襲われながらも、残りの2時間を乗り越えることに成功した。

 放課後、俺は職員室で担任からお褒めの言葉を頂いた。しかし俺は心の中に嬉しいなどと思っている余裕はなかった。

 担任からの話のあと、俺は一目散にファミレスに向かった。


 …テレレンテレレーン

「いらっしゃいませー!何名様でしょうかー?」

「1人です!」

「2人用のお席、ご案内致しまーす」


 先日の店員さんと同じ方だ。まだ2日目なのだが、もう慣れてしまった感じがする。しかし俺の返答がハキハキしていた理由はそれだけではない。

 今日の朝、母に夕食代として1000円貰ったのだ!

 共働きで兄弟のいない俺の家はそれほどお金に困っているわけでもなく、日々の生活には余裕がある方だろう。


 そして今日はこの1000円でエビフライ定食を食べる!


 そう朝から決めていたのだ。


 そういえば、前回はこの呼び出しボタンを押していなかった。今回は店員さんに聞かれる前に押してみる。


 ―ピーンポーン

「ご注文はお決まりでしょうか?」


「エビフライ定食を1つ!」


「はい、かしこまりましたー」


 なんだかこう、綺麗に注文できるとスッキリするもんだな。

 ちなみに、今日エビフライ定食を頼もうと決めていた理由は、昨夜のテレビドラマで好きな女優が食べていたから!ただそれだけである。


 俺がエビフライ定食を待っている間、通路を挟んで隣の席に4、5人ばかりの喪服姿の女性達がやってきた。近くに葬式場があり、時間的に俺と同じ様にご飯を食べにきたのだろう。

 聞き耳立てていた訳ではないのだが、ここはファミレス。それなりの音量で喋ると俺にまで内容が聞こえてくる。


「―自殺だったんですって。ロープと薬を使った。」


「あ、それ私も聞いたわ!身近に相談できる人はいなかったのかしら」


 お、俺は別に聞きたくて聞いている訳ではない。聞こえてしまうは仕方のないことだ。

 そう思って何も知らないフリをして携帯を眺める。


 自殺…か。そういえば俺もつい最近までそんな事考えたこともあったっけ。


 高校に行かない日もあるほど人生の途方に暮れていた俺は自殺をしようとしたことは幾度となくあった。しかしどれも勇気はでなかったのだ。

 ふと思ったのだが、自殺を周りの人に相談しなかったのだろうかなんて、おかしな話だ。

 言い方はよくないが、俺が幾度となくチャレンジして勇気が出なかったような事を行った人はきっと、悩みに悩んだ結果だったのだろう。きっと相談なんてとっくの昔にしているであろう。それを相談しなかったのかなんて、自殺で亡くなった方を


『最後まで無力だったんだな』


 と言っているのと同じことではないだろうか。


 お、おっと…いけないいけない!

 これではただの盗み聞きではないか。

 そう思っていた時…


「お待たせしましたー、エビフライ定食です。」


 やっと運ばれてきたエビフライ定食を目の前にして、俺の胸の高鳴りはピークをむかえる。

 それでは


 ―ゴクリ

「いただきます!」


 ひと口かじりついた瞬間に口内に伝わるサクサクとした食感。そしてエビとタルタルソースが奏でるあの濃厚な味付け。これはご飯が進む!

 完食するまでに時間はかからなかった。

 気がつくと外は暗闇に包まれ、喪服姿の人々はまた葬儀場に帰った様だった。

 急がないと遅くなると思った俺はお会計を済ませて、自転車に跨った。

 するとどこから鳴っているのか、木魚の音が鼓膜を震わせる。

 音が鳴る方を見ると、葬儀場の灯りがついていた。

 口に残るエビの味とともに、喪服姿の人々を思い出す。そしてまた、数日前の自分を思い出す。

 明日もまた学校はある。行きたくないなら行く必要はないのかもしれない。しかしもう、戻りたくはないと思った。それは俺の目に葬儀場の外で1人、泣き崩れる女性の姿が見えたからだった。

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