第42話-生存

 樋口香歩は満足していた。自分が今から死ぬというのに自分の生に後悔していなかった。

 願わくば、彼女の下で貴方だけでも逃げて、と叫んでいる美姫だけは無傷で助かりますようにと他人の心配はしていたが。

 このゲームを振り返れば、結果の伴わない行動ばかりだった。ただただ無力だった。けれど、意志を貫き誰かを救おうと考えることはできた。保身に逃げたりしなかったから、自分をこれ以上貶める必要がなくなった。

 最低限、彼に見せても呆れられないような姿だったと思えたまま、死を覚悟できた。


「これなら、死後の世界でも会えますよね。おまたせしました。いいえ違いますね。待ってます」

「そんなところで待っててほしくないね」


 声がしたと思ったら、耳をつんざく轟音が通路を揺らす。香歩は何が起きたのか確認したがったが、動けば美姫の盾になれない。なので、首だけ動かして情報を得ようとした。

 しかし、可動範囲の少ない首ではまともな情報が入らない。何が起こったのかわからず戸惑っていると、右肩を叩かれた。


「ドローンの制御機構を一時的に麻痺させてます。ゆっくり話している暇はないので、俺についてきてください」


 その声が誰のものであるか、姿は見えずとも香歩には分かった。一度目は幻聴かと思っていたが、二度目も聞けば現実と認めざるを得ない。

 身を起こした香歩は雅に右手を引かれていく。彼女は同じく身を起こした美姫とはぐれぬよう左手を繋いだ。

 走りながらも、右手に伝わる彼の手の厚さを、温度を、香歩は比べてしまう。彼女が香織であったころ、精一杯の勇気を出して、繋いでもらった手と。

 そうしていると、あっという間に欲望が目を覚ます。まだ死にたくない。彼ともっと話していたい、と何年も蓋をしていたものが噴き出てくる。先ほど死を意識していた人間とは思えぬほど、生に執着していた。

 ついさっきまでは、先生が生きているのだ、と死ぬ前に知れただけで満足していた。だが、彼の体温を感じると、どこまでも落ち着いてしまって香織が香歩になる過程で捨てたものを取り戻した。

 雅の登場による安堵が香歩に一時的に忘れていた疲労を呼び起こし、歩くことすらままならなくなる。TEを使用した反動はすぐに消えるようなものではない。

 いくら天才とはいえ、事情を知る由もない雅は狼狽えた。が、その時間が命取りとなることは嫌になるほどわかっている。彼はすぐ香歩を背に担ぐ。


「美姫さん、行けますか?」

「はい」


 雅は香歩を担いでいるというのに、歩調が変わることはない。むしろこれでも遅くしているのだろう。天才の回路は理解できないので、意識的か無意識かはわからないが、疲労している人が出せる適度なスピードに合わせているはずだ。


「目的地は上の階のセーフゾーンです。この階はセーフゾーンがないので」


 美姫が返事しようとしたので、雅は手で制した。走りながら、話すことも、片手で女性を背負うのも彼には簡単なことだった。


「きちんと確認しているから間違いありません。階段の位置も確認しています。貴方を先導させて囮にとかはありえませんよ。立候補されても困ります」


 美姫は目を大きく見開いた。雅の推測は当たっていたらしい。

 発言通り、すぐに階段は現れた。雅は美姫が上がるのを確認すると、階段に向かってマコトから拝借した爆弾を投げ込み罠を破壊する。

 その後も、迷うことなくセーフゾーンにたどり着くことができた。


「流石というしかありませんね、ほんと」


 中に入ってすぐ、ミネラルウォーターを持った皐月が出迎えた。

 ベッドで神奈の手当をしていた志郎もすぐ駆け寄ってくる。皐月、志郎、神奈に加えもう一人、セーフルームにいた。沙世はソファですやすや寝息を立てていた。


「よかった」


 沙世を見て、美姫が呟いた。彼女と共にマコトに身柄を拘束されていたので気になっていたのだろう。


「これも小松さんの指示ですよ」

「そういった話し合いは後だ。かお、香歩さんが怪我をしたみたいで」

「大丈夫です。怪我はありません」


 香歩はしっかりとした声でそう言い、雅の背から降りて自らの足で立った。


「それより、梨子と近藤さんは?」


 雅はおろか、誰も答えない。雅と神奈を除く全員は、近藤たちよりも先に上の階に来たので行方知らずだ。

 今、神奈は意識がないので、答えられるのは雅なのだ。しかし、彼は口を開こうとしなかった


「そんなに責めたらダメなのです。梨子たちはきちんといますよ」


 声がした後、セーフゾーンの扉が開いた。疲労困憊といった様子の梨子と対照的に涼しい顔の近藤が立っている。


「大男に肩を貸すのは苦行でした。汗まみれです」

「すまないな」


 感情のこもった梨子の言葉に、近藤は無表情のまま謝った。漫才でも見ているような真逆っぷりである。

 ゲームの現在生存しているほとんどの人間が、ここに集結していた。なのに、いがみ合うどころか、和んですらいた。全員が、一人一人の生存を喜んでいた。


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